第七十服 出来過ぎな空 (キャラクターデザインイラストあり)
「家庭科部?
なんだよテラそれ。どういう文脈?」
「いやぁ、一昨日あのババァからさ、なんもやりたいことないって言われたんが腹たって、なんかやってやろってずっと考えてたんやけど」
「俺のやりたいことって、やっぱあのババァが…かあさんが店ん中で客と一緒に笑顔でいるのを、支えてやりてぇのかもな…って思いはじめてもうてさ」
寺崎は少し頬と耳の辺りを赤らめながら頭をぽりぽりと掻いた。
「で、今お前らのケンカ見てさ、自分のクソみたいなプライドとか捨てて、素直にやりたいことに向き合ってんの、かっけぇなって」
「いや、俺はもろプライドガチガチで逃げようとしてるって、こいつに言われてたし」
光瑠をちらっと見ると、気まずそうに視線を泳がせた。
でも、そういうのも、こいつの優しさなんだって、知ってる。
「でも、碧。お前もう大丈夫やろ。
ていうか、もう腹決まっとんのやろ?向き合うって!」
寺崎は軽く指をしならせておでこを弾いてきた。
頭の中の最後のモヤモヤを打ち消してくれるみたいに。
「よかったな、こいつがいてくれて」
今度は光瑠の肩をバンバンと叩く。
光瑠は自分の発言に対してまだ少し戸惑いながらも、泳がせた目をこちらに向けた。
その目にはまた大粒の塊が浮かんでいる。
「愛されてんなぁ碧、こいつにも、俺にもさ!」
「なんだよ…それ…」
ずっと一定の距離を保って、踏み込まないように、踏み込ませないようにしていたのに。
なんだよ…。
「俺もこいつも、おまえの夢中な目が好きなんやよ」
「なんだよ…!泣かせにきてんのかよ」
「はは!もう泣いとるやんか!」
目を合わせないようにしたつもりだったが、うまく隠せていないみたいだった。
「あれ、つうか、保健室の先生、おらんやん」
保健室のドアを開けるとがらんとした部屋に、窓から差した光だけが揺れていた。
光瑠の鼻血も止まっていたので、保健室に向かっていたことを忘れそうになっていたが、その頬はさっきよりもだいぶ腫れてきていた。
「もうあとちょっとで昼休みも終わるし、とりあえず顔冷やして先生くるの待つ?
次、俺の嫌いな数学やし。つうかそもそも結局昼メシ食えてへんから腹減ったし。
もうサボりでええやろ」
そう言うと寺崎はスッと立ち上がって小走りにドアへ向かう。
「俺、急いで弁当とってくるから、ここで待っとってな」
少年野球をやっていたという寺崎は、ドアに手をかけてベースを回るようにくるっと体を翻して廊下を走っていった。
最後にクイッと立てた親指を残して。
普段お調子者の寺崎が、こんなに大人だとは思わなかった。
ほんと幼稚でダサいのは俺だけだ。
「光瑠、ごめん。
顔、大丈夫?」
「ほんとだよ。
まさかあんなパンチ飛んでくると思わなかったぞ!」
左手で覆った頬は、いよいよ親知らずを抜いた後のようになっていて、少し笑える。
「避けろよ。あれくらい。ひでぇ顔」
保健室の冷蔵庫から保冷剤を勝手に取り出し、真っ赤に腫れた光瑠の頬に当てがった。
「碧、俺もごめん。本当はあんなこと言うつもりなんてなかったんだけど」
俯きながら自分で保冷剤を押さえたあと、震える手で碧の袖口を掴んでそう呟いた。
「いや、俺が言わせちまったよな。
お前は人を傷つけるようなこと言うヤツじゃないって、幼馴染の俺が一番よく知ってる」
ハッとした表情で顔を上げた光瑠の睫毛はしっとりと濡れていた。
「光瑠の言うとおりだよ。一ヶ月前に言われた言葉、また言わせちまった。
あの時から全然成長しないのな、俺。ほんとごめん」
銀次郎先輩の癖がうつったのか、思わず光瑠の頭をくしゃっと撫でる。
「おかげで目が覚めた。俺、ちゃんと向き合うことにするから」
「碧〜…!!! 俺はな、お前の本気の顔が好きなんだよ〜!!!」
「げ〜!光瑠!きたねぇな!ちゃんと顔拭いてからにしろよ!」
光瑠がぐしゃぐしゃと顔を擦り付けてくるので、鼻水と一緒にまた鼻血が出て制服がベトベトになった。
光瑠は、本当に昔から変わってないんだ。
逆に俺は、ちゃんと変わらなきゃなんねぇんだ…。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、それと同時に寺崎がひょこっとドアから顔を覗かせた。
「おまた〜!仲直りできたみたいやん。
屋上行って弁当食おうぜ、先生には上手いこと言ってきたから。
あ、でもD組の方は教室誰もおらんくてよう分からんかった!」
「あ〜次は化学だから実験室に移動だったわ…。まあいっか」
光瑠は勉強が苦手ながらも、授業は真面目に出るタイプで、おそらく風邪をひいても皆勤賞を死守するようなヤツのはずだった。
「光瑠、いいのかよ?」
「いいだろ、一回くらい。俺、このまま碧と話してぇもん」
そう言って、揃って屋上に向かった。
胸がキュッとなる。
やばい、なんでこいつら…。
この三人で並んで屋上への階段を上るなんて、なんだか妙な気分だ。
六月が始まったばかりの空は出来過ぎなくらい清々しく澄んでいて、そこには高く昇った太陽しかなかった。
寺崎の弁当はいつも美代子さんのお店のおばんざいが詰められている。
「テラが家庭科部に入るのって、やっぱり美代子さんの料理手伝って楽させたいから?」
美代子さんの作った大葉とちりめんのだし巻き卵をもらいながら、弁当をまじまじと見る。
一つしかない弁当を、男子高校生三人が突っついているのが妙におかしな構図だ。
「まぁ今でもちょいちょい手伝っとるけど、なんやろなぁ。
ほんまは、ババァに褒められたいんかもな。
あ、マザコンとかやないで!一応言っとくけど!」
海老真薯を口に放り込みながら慌ててフォローした言葉が余計逆効果なのも、寺崎らしい。
「でもなんか、あるやんそういうの。
客にも認められたいし、俺自身も俺を認めて、褒めてあげたいんやと思うわ」
「わかる。俺も認めてもらいたい…から、やってんのもある」
光瑠も肉団子のお裾分けを口の中でモゴモゴとさせながらコクンと一つ頷いた。
「多分、自分の中で『これだ!』って信じられる何かが欲しいのかもしれんな。
それが、今は俺ん中で、あの店をもっと繁盛させてやるっていう感情なんやって」
自分の中で信じられる何か…。
「碧のおかげで気付いたんやで?」
寺崎が箸の先をチョンチョンと二回打ち鳴らす。
綺麗な箸の持ち方だ。
「テラ、光瑠…ありがと。俺も…決めた…!」
出来過ぎなくらい、雲一つない透き通った青だ。
「ぜってぇ本家なんかよりカッケェ茶の道、極めてやるって…!」
体の中の何かを、吐き出したようだった。
「お、碧言うたな?
今度俺にも点ててくれよな。飲みに来いっつったのお前なんやから。ちゃんと約束果たせよな」
出来過ぎなくらい、眩しい太陽だ。
「俺だって碧に負けねぇくらいかっけぇ茶碗焼いてやっから!」
スッと伸びた空は宇宙まで見通せそうだ。
ごろんと屋上に寝転がって、そこに延々と伸びる天井を見つめた。
不意に、また頬に何か伝ってきそうだったのを隠したくて。
「ちなみにな、家庭科部には遠藤さんおるんや。
俺に彼女出来ても、寂しがんなや?」
「なんだよそれ、カッコつけといて、本当は下心じゃねぇかよ!俺の感動返せよ!」
寝転がりながら寺崎の肩にグーパンをいれる。
「冗談やって! あ、いや半分本気やけど。
そういやコウサキって、茶道部じゃないん?茶碗焼いてるん?」
「はは!そういや、お前ら二人って初対面だったよな…!なんかウケる…!」
二人が当たり前のようにそこにいるので、すっかり忘れていた。
思わず一人で腹を抱えて笑った。
その後は五限が終わるまで屋上で三人で話した。
出来過ぎなくらい高くて眩しい空は、その後もずっとずっと雲一つよこさなかった。




