第六十八服 行ったり来たり
「うーわー!落ちたー!」
「テラ、お前全然学習しねーな」
「いや碧も大概同じとこでヘボしとるやん!つうか、今のはお前が落としたろ」
脳みそが溶けそうだ。
寺崎の家でのゲームはスマブラか桃鉄、マリカーが定番でたまにスプラだった。
中でもマリカワールドのグランプリモードは無心でゴールまでの最短ルートをただただトレースすればいいので、頭を使わないで済む。
アイテムもスターも、前を走る邪魔なピーチ姫もやクッパも、その都度適切に処理すればいいだけのこと。
「どうもみんなこんにちはぁ。
いつも誠司と遊んでくれてありがとう。
これよかったら食べてってなぁ」
「あ、美代子さん、ご無沙汰してます」
小料理屋『美代』をやっている寺崎のお母さんは、みんなに名前で呼ばせている。
おばさんと呼ぶとめちゃくちゃ怖い。
二条城の近く、御池通から一本入ったところに店があり、その二階に親子二人で暮らしている。
店が休みの日にこうして部屋で屯していると、いつも『おばんざい』などを差し入れてくれる。
松葉屋や、せん賀のような凝ったものではなかったがホッとする家庭料理。
何度か遊びに行った店内はいつも常連で賑わっており、手伝いをする寺崎も客に可愛がられているようだった。
「碧くん、なんや久しぶりやないの〜。
誠司に聞いとったで。茶道部入ったんやて?
かっこええやん。
今度うちにもお茶点ててもろてもええ?」
「ババァ!そうやっていつも碧のことナンパすんの、ほんまにやめえやぁ」
「誰がババァや!もう一度言うたらあんた出禁やで」
美代子さんは若くして出産したのでまだ三十代だと聞いていた。
高校生の息子がいるとは思えないその器量好しで明るい性格は、いつでも再婚できそうなもんだった。
「はは。でも、もうやめるかもしれないです、茶道部」
「は?なにお前もうやめるん?
この間まで張り切っとったやないの。
なんや大会ある言うて」
「いやーやっぱり場違いだった、みたいな?
家柄格差っつうの?
俺が踏み込む世界じゃねぇなぁーなんて」
「なんやぁ、なんかあったん?
碧くんらしくないやないのぉ」
「茶って家柄とか血筋とかそういう世界で、俺みたいなやつが頑張ったところで、所詮ホンモノには追いつかねえっつうか」
「へぇ、なんや、あんま立ち入ったことは言いたくあらへんけど…。
碧くんは、追いつきたい思うくらい、真剣やったいうことやねえ」
(……!)
「うちのお客さんでな、歌舞伎のお家の人がおんねん。
あそこはな、ほんまもんの世襲の世界やねん。あ、『国宝』観た?映画の。
ほんまにあれの世界や」
『追いつきたい』…そう思っていたのだろうか。
何に?…いや誰に?
「あの映画ん中では、やりとうない人の話は描かれてなかったけどな、あないな家に生まれたら、職業選択の自由なんてないやと。
他にやりたいことあっても、才能なんてのうても、ただひたすらその世界におらなあかんねん。
苦しゅうてしゃあない。逃げたい。言うとった」
「やりたいやつにやらせたらええのに、なんで嫡流にこだわんのか、理解でけへんてな。
そういう人から見たら、碧くんは、やりたい思てることが羨ましい思うやろなあ」
『世襲』じゃなくて、本当にやりたいと思う人の方が羨ましい…。
そんなことあるのだろうか。
「おいババァ〜今碧はそんな歌舞伎の話なんてしてへんやろがぁ」
「あんた、またババァ言うた?もう明日からゲーム禁止やぞ」
「上等やわ!店も手伝ったりせんからな!」
「はぁん?そんなんやったらあんたの洗濯もんもご飯もお小遣いも一切ないで?!それわかって言うとんやろな?!」
「え?あ、それは…困るわ…」
「こんな綺麗な母ちゃんを前にしてババァなんて。なぁ、碧くん?」
「あの…。
そういう、世襲の、家業継ぐのが当たり前みたいな家に生まれても、やりたくない人って、やっぱりいるんでしょうか…」
寺崎親子の漫才のようなやり取りに一瞬何の話をしていたか忘れそうになったが、なんとか話題を取り戻した。
「そらぁおるやろなぁ。
いうか、ほんまはそんなんがほとんどなんちゃう?
生まれた時から決められてることが、自分が好きなことと一緒の人なんて滅多におらんくない?
選択の余地なしの中で、好きになっていくか、諦めるか、もしくは他を知らんか、どれかやと思うわ。
好きになれた人は、幸せやろうな」
「そんなもんでしょうか。
おれ、ずっとやりたいこととか全くなくて…そんな中で茶は、初めて、やってみたいって思ったんですけど…。
でも、やっぱり家もなんもない俺なんかは無理なんじゃないかって。
やりたいだけじゃダメなんだって…」
「ダメなん?なんで?
誰かに宗家の出のもんじゃないと無理や言われたん?」
「いや…。無理だとは…言われてないんですけど…」
確かに宗家の出ではないとダメだとは、はっきり言われてはいない。
でも、あれはもう言われたようなものだと自動変換されたのだ。
そうだよな?
そういう、世界だよな…?
「まぁ確かに、お家柄が色濃く出る世界やとは思うけど…。
うちはそんな詳しゅうないし、碧くんの周りがどんな人らかも知らんから、よう言われへんけどな…。
お茶は世襲ばかりやないときいとるよ。
なんやったっけ…ほら、戦国大名の、関ヶ原の戦いで活躍した…細川なんたら…」
「忠興ですか?」
「あ、そうその人や。
その人やって、武将やのに、茶学んで、偉くなった人やろ?」
「利休に師事したあと細川三斎と号を名乗って、三斎流を開いたと聞いています」
「そや、それそれ。碧くんも、そうしたらええねん!
碧くんの流派立ち上げたらええんよ。
碧流?多比良流?かっこええやん」
「ば…かあさん。なんやそれ、細川の名前出して知識人アピールした思たらそんなオチかいな!」
「うるさいわ。結構ええこと言うたよな?」
「はは、美代子さん、おもしろいですね」
「まぁ、なんにせよ。
碧くん、やりたいことがあるのは幸せなことや。
うちの誠司見てみい。やりたいことなんてなんもなくてゲームしかしてへん」
「はぁ?ばば…かあさんが店手伝え言うから部活とかなんもやってへんのやろが!
おれやって、やりたいこと…あるし」
「何言うとん。やりたいことあんなら、店の手伝いなんてせんでええねんで?
部活でもなんでもやってええ。 何かしたいことあるんなら、今ここではっきり言ったらええやん」
「いや…今は…ないわ…」
「ほらなぁ。ちょっとは碧くんを見習いよ」
「くそババァ…」
「誠司、あんた…仏の顔も三度までやで…」
「わぁ、ちょっと二人とも!喧嘩しないでください…!
俺が悪かったっす!すみません…変な話して…」
「とにかくな、うちが言いたかったんは、世襲の世界は確かにある、でも自分で新しい道を切り開いて大成した人もおる。
世襲の家に生まれた人らがみんな幸せとは限らん。
要は自分がどうしたいか、それだけや。自分の心に素直に従った方がえぇ言うことやよ」
「めずらしくええこと言うやんか…」
「いつもええことしか言うてへんわ。
これでもな、それこそなんもない中から、老舗の料亭よりも予約の取れへん、毎日満席の小料理屋の女将やっとんよ?」
「毎日満席は言いすぎやろ」
「いちいちツッコまんでええ」
(自分がどうしたいか…自分の心に従う…か)
「ていうか、そろそろ店下りて、明日の仕込みでもしてこいよ。
全然マリカーできねぇじゃん」
「なに言うとんの!息子みたいな碧くんの悩み相談しとったんや。なぁ碧くん」
「ありがとうございます。すみません、俺のことで時間取らせてしまって」
「えぇんよ、またいつでも店にも遊びにきてな」
「はよ行けって」
「はいはい。みんなゆっくりしとってね」
美代子さんは着物の裾をスッと払って立ち上がった。
普段全く気にしていなかったが、とても綺麗な立ち姿だった。
休みの日でも常に着物を着ている美代子さんは、これが一番楽だと言っていた。
「美代子さん」
「ん?なんや?」
「いい色の紬ですね…」
「ありがとう。さすが碧くん、お茶やっとるだけあるな。お目が高いわ」
そう言うと衣紋をサラリと整えて、部屋のドアを閉めた。
(紬の色…なんで俺はそれを伝えたかったんだろう)
多比良流…は、ともかく…。
『やりたいこと』
また、この問いに戻ってきてしまった。
ずっと同じような問いの間を、行ったり来たりしている。
自分はいったいどうしたいのか…。
自分の心は、いったいどこを向いているのだろうか…。




