第六十六服 ニセモノ
ニセモノ…かぁ…。
ドクン…ドクン…。
どんなに変な感覚があっても、そもそもこの世界に生まれたわけじゃない俺が頑張ったって、本物の人たちには敵わない。
気づいていた。でも、どこかで、それを否定したかった。
でも…。
「はは、そうですよね。
共感覚なんて、アテにならないし…」
そうだ。
俺には何もないんだ。
「碧、これからたくさん学んでいけばいいんだよ」
「そう…ですね」
たくさん学んで、どうなる?
茶の世界の本物じゃない俺が、本気になって、一体何になるんだ。
ドクン…ドクンッ…。
家柄も血縁もない俺が…。
「フジ先生たちが…羨ましいです」
「?」
「藤の家に生まれた『本物』の人たちだから…。
血縁も何も持ってない俺なんかは…」
「はぁ? 碧くん。それ本気で言うとる?
僕、家柄だけで人のこと評価するやつ、いっちゃん嫌いやねん!」
ドクンッ…。
「茶の世界に生まれた人たちなんかに…。
俺の気持ち、わかんないですよ…!」
そう声を荒げた勢いで、立ち上がってしまった。
「碧…真紘露、酔っているから。ごめんね」
「そや、真紘露、謝りよ」
「…いえ、本当のことですし。
俺が悪いです」
(ここに…居たくない)
「すみません。帰ります。
ごちそうさまでした。
仙賀さん。すごく、美味しかったです」
(もう…ここに来ることはないかもしれない…)
「あ、碧…」
店を出て無意識に駆け出していた。
(くそ…)
ちゃんとした挨拶もなしに、振り返りもせず出てきてしまった。
(ダッセェ…)
* * *
「真紘露!
何で碧にあんなこと言ったの?」
「だってそうやろ!
茶の家に生まれたから羨ましいなんて!
俺らが努力してへんみたいに言われて」
「碧は別にそんなこと言ってないよ」
「そう言うたんと同じことや。
僕やって、ほんまなら…」
「真紘露!」
「兄貴やって…!そうやろ!」
「…。
うん、そうだね。
僕が悪かった…」
「いや、ごめん兄貴。
今の無しや。
子供相手にムキんなった僕があかんかったわ」
* * *
家に帰る途中、北野天満宮に多くの人が向かうのが見えた。
境内の青もみじ苑のライトアップが行われているらしかった。
(そろそろホタルが見えるのにな。
昨年もライトアップなんてしていたっけ。
こんなことしたらせっかくのホタルが、ライトに紛れて何も見えないじゃないか)
たった10日前後しか生きられない天命の中で、誰よりも輝こうと懸命に灯す命の輝き。
その姿が好きだった。
その儚い点滅には音があった。
一生懸命光ろうとしても、それよりも大きな光があったら、霞んじゃうじゃないか…。
家に着くと、いつもなら静かな北野天満宮からの雑音が五月蝿い。
『ニセモノ』…。
そうだよな。一ヶ月前まで、お点前の一文字も知らなかった俺がいくら望んだって…。
今日も…眠れなさそうだ…。
ホタル…見に行きたかったな。
微睡の中でいつ寝たのか、いつ起きたのか、カーテンは閉めていたのに、とにかくずっと眩しい光を瞼の外に感じていた気がする。
昨日から枕元に伏せたままのスマートフォンを表にする。
【5.30(sun) 8:16】
寝た気がしないのに、もうこんな時間…。
本当なら今日は、千歳先輩の実家の呉服屋で茶事用の扇子を買いに、光瑠を誘って行こうと思っていたはずだったが、すっかりその気を無くしてしまっていた。
そういや光瑠の家に行くって予定も決めてなかったな。
(逆に決めていなくてよかった…)
スマートフォンのロックを開けると通知ウィンドウが現れた。
ニュースサイトなどからの通知が何件かと、昨日大会後に入っていた茶道部のグループメッセージがいくつか、そしてあの人から一つ。
茶道部のグループをタップしてメッセージを開く。
千歳【雪に報告。三回戦で惜しくも負けてもうた。
でも初戦は勝ったし、夏戦でまたがんばろな〜】
雪乃【うわ〜みなさん、私ダウンで本当にごめんなさい〜!お疲れ様でした!でもベストフォー!すごい! 目指せ夏戦】
銀次郎【みんな、今日はほんまにお疲れさま。月曜からまた気持ち切り替えよ。よろしゅう〜】
光瑠【はい!次はみんなの戦力になれるように頑張ります!】
茉莉【うちももっとパワーアップしてリベンジ!】
夏戦か…。
透のメッセージを開くのはやめた。
通知ウィンドウには【碧、真紘露のことごめんね。本心では…】までが表示されていた。
それ以上見る気になれなかった。
見たところで、きっと何と返信したらいいのかわからない。
(月曜の部活…行きたくないな)
のそりとベッドから起き上がり、まだ視界が明瞭にならない中で洗面所に向かう。
台所を通ると、食器棚に銀次郎から借りた茶道具が置かれている。
大会前日までは、起きたらすぐに湯を沸かして、朝ごはんの前の軽い一服を楽しんでいた。
朝靄と一緒に立ち上る細い蒸気。
柄杓から茶碗へ滑り落ちる水の姿。
鮮やかな緑。
茶筅の音。
舌先に触れる甘い色…。
今朝は茶の匂いを嗅ぐことすら憚られた。
ふと、あの部室での出来事が蘇った。
最初にお点前をやったときの…。
あの人の、あの言葉…。
『碧は、お点前というものを何もわかっていないね』
今考えると当たり前だ。
『ホンモノ』の人の前で、何の血筋もない俺は『ニセモノ』のお点前しかできない。
『ホンモノのお点前というもの』なんて、一生かかってもできるはずがないんだ。
(はは…俺ってこんな陰キャだっけ)
本気にならなければよかった。
茶が楽しいなんて、面白いなんて。
(俺が本気になったって、向こうから拒絶されりゃ世話ねぇよなぁ…)
ゲーセンでも行こっかな。
いや、図書館にしようか…それとも…。
とにかく今は、何も考えたくない。
頭の中から『それ』を消去したい。
何の色も、音も、感じたくない…。




