第六十三服 鰻懐石
「あーにき〜!」
「あぁ真紘露、待ってたよ」
(到着はやっ!)
「当たり前やぁ。久しぶりの兄貴からのごはんのお誘いやもーん!」
女子高生のようなテンションで登場したその人は、今朝と同じ満面の笑顔だったが、碧のことなど視界に入っていない様子だった。
「真紘露さん…大会、お疲れ様でした」
「え〜!碧くんやん!なんでいるん?兄貴と二人やと思っとったのに!ていうかそこは僕の席や!」
「え、あ…すみません…」
「真紘露、騒がしいよ。今日くらいは大人しく碧の隣に座ってよ」
「えぇ〜兄貴の隣が良かったんにぃ」
渋々碧の隣に座った真紘露は、ジトっとこちらを睨みつけた。
「相変わらずやなぁ真紘露」
「せんちゃーん、おひさやんね〜」
「ほんまやな。ビールでええか?」
「うん、おおきにぃ〜」
「なんでもう酔うとるテンションなん」
仙賀さんは『琥珀プレミアム』の栓を開けてハイテンションなその人に注いだあと、隣で澄まし顔の透のグラスにお冷やを注ぎ足した。
「先生はお酒飲まないんですか?」
「うん、お肌に悪いしね」
(…マジで言ってる?)
「また〜そないなこと言わはってぇ〜。兄貴ね、ぜーんぜん飲めないんやよ」
「飲めるよ。飲まないだけ」
「え〜うそだ〜」
両隣の美形が戯れあっている…。
俺は本当にここにいていいのか…。
「はい、お待たせしました。
まず『折敷』です」
仙賀さんが三つの椀が載せられた縁付きの角盆を運んできた。
「白木の飯椀にあるんは、一口サイズの握り飯です。早採れの白玉蜀黍を混ぜ込んどります。
上には鰻の蒲焼を一晩寝かせてもう一度炭火で炙ったんを乗せて、木の芽と花山椒を添えとります。
汁椀にはアスパラガスのすり流し。
向付は定番の鰻ざくです。きゅうりと鰻を、細切りにした新生姜と茗荷と一緒に土佐酢で和えたもんです。
どうぞお召し上がりください」
「うわ…すごい綺麗な色ですね…」
一際目を惹く緑色の液体がトロリと艶を帯びている。
「仙賀くんのご実家はね、神戸にあるフレンチなんだよ。いいセンスしてるよね」
今日の昼は銀次郎先輩のお重、夜は鰻懐石なんて…。
明日からコンビニのおにぎりとか食べられなさそうだ…。
「続いて、煮物椀です。
肝出汁で炊いた淡竹と鰻の入ったがんもです。山三つ葉はほんまさっき届いたばっかで、ええ香りがしますえ」
「あ〜おいしぃ〜。せんちゃん、相変わらずええ仕事してはるね〜」
あっという間に二本目のビールを飲み干した美形(弟)は酔ってきたのか、早くも少し目がとろんとしてきていた。
「碧は、今日初めての闘茶どうだった?」
「あ、えぇと…」
何の前触れもなく質問を投げられ、目の前の料理から意識を一気に今日の午前中へ巻き戻すのに少々時間を要した。
「フジ先生に『楽しんで』と言ってもらったおかげで、色や音がすごくクリアに感じられた気がしました」
「え〜碧くんなにそれ〜。アーティストのライブにでも行ってたの〜」
いつの間にか日本酒を飲んでいる真紘露はさっきよりも目が虚だ。
「もう、真紘露。絡み酒しないの。
碧はね、共感覚があるんだって」
「へぇ、共感覚!それはえぇな!どんな感じになるん?」
仙賀さんは酔っ払いにお冷やを差し出しながら興味津々の様子だ。
「いや、俺も共感覚って言葉自体この前初めて聞いて、よくわからないんです。
いつも感じるわけでも、感覚をコントロールできるわけでもないし…」
「ただ、何か、ふとした瞬間にいろんな色がぼんやり頭の中に浮かぶんです。音が聞こえることもあって。
感覚が濃い時は、色が浮かぶだけじゃなくて、周りの景色も違ったように見えたり、どこか違う場所にいるような感覚になったり」
「へぇ〜おもろいね。このお料理はなんか感じひんかった?」
「あ〜いや…すみません、美味しくて何も考えてませんでした」
「あちゃ〜僕の腕も、まだまだやなぁ。
一人、お客さんで共感覚持っとる人がおってな、書道家の先生なんやけど、文字から色が湧き出てくるいうねん。文字以外からはわからんのやっていうてたけどな。
今度紹介したろか?」
「へぇ…ちょっと、お話し聞いてみたいかもです」
「おう、えぇよ。今度店に来てくれはった時、聞いてみるな」
「ありがとう仙賀くん」
「何言うてますの。兄はんのお弟子さんが立派に育つんは僕も嬉しいです」
(弟子…じゃないけど)
何だろう、くすぐったい。
「はい、じゃぁ次のお料理は焼き物です。
うちでは白焼きでお出ししてます。炭火でじーっくり焼いて、天然鰻本来の旨みをたっぷり引き出しとります。
お好みで山葵、粗塩使うてくださいね」
関西の鰻は関東と違って蒸さずに地焼きする。
それなのに、内側から破裂しそうなほど水分が詰まった身はふっくらとしていて、艶やかな脂の内側には力強く生きた証が見える。
…。
おいしい…。
…!
ゴボゴボ…ブクブク…ゆらゆら…キラキラ…ゆらゆら…。
暖かい。冷たい。前へ、もっと前へ、自分が行くべき場所へ…。
碧の頭の中に現れたのは、透き通った水の中を悠々と進み続ける世界と、水の中に差し込む光、呼吸とその音、そして声とは違う、命の漲り、それを果たそうという強い意思。
いつもとは全然違う形で現れた、いや、飲み込まれたと言った方がしっくりくる、その感覚に、しばし箸を運ぶのを忘れていた気がする。
「いま、見え…ちゃい…ました」
「え?」
「この鰻の…生きてきた世界の色と、音と光…」
「お!ほんまに?!」
「ふふ、仙賀くん。腕、上げたじゃん」
透は嬉しそうに二人を見た。
お酒もほどほどに回った弟の方は、ほとんど一口で白焼きを平らげて満足そうだ。
「鉢肴は鰻の茶碗蒸しを作りました」
「強肴は鰻巻き」
「小吸物、肝吸いです」
仙賀さんはそうやって一つずつ順々に出してくれたが、白焼きの時と同じような強烈な感覚が起こることはなかった。
(なんでだろ…あの時も…。あの第七服の時も…)
「先生。
わからないことがあって…」
「どうしたの?僕がわかることなら何でも質問して、碧」
いつもの笑顔からキラキラの星屑を浴びせられる。
自分が一番良く見える角度を知っていそうだ。
いちいち名前を呼び返してくるのも『また妖術か…』と警戒する(というかドギマギしている)自分もそろそろ卒業したい。
「最後、あの福井北陸との七服目…。
急に色が混ざったような感覚になって…。
最初は微かに『客』のように感じたんですけど、『客』よりもっと軽く感じて。色も、もっと柔らかくなったような感じで、さらにちがう色がどんどん混ざって、香りが運ぶ音も…。
だから解が『客』だって聞いた時に、すごく納得いかなかったというか…俺のこの感覚って、アテにならないというか…」
「う〜ん。同じ茶なら、同じ感覚になると思ったんだけど、違うのかな〜」
「先生は、同じ茶なのに、全く違うように感じることありますか?」
「うん、もちろんあるよ。
ほら、一回戦と二回戦は、茶を点てるお水が三種類あったでしょ?水が変わるだけで全然風味が変わるよ。
茉莉の茶園でも、身土不二のことを聞いたと思うけど」
「水…でも三回戦の、福井北陸戦では、全部同じ水で点てられているはずですよね?」
「そのはずだね。
なにかイタズラとかがない限り…
あとは湯の温度とか、室温とかいろんな要素で微妙に変わってくるけど…(あぁ、もしかして…)
」




