第四十七服 重なる感覚
「みんなどう?三種類の特徴なんとなく書き出せた?」
扇子で艶やかな長髪を靡かせながら、その美形は部員六名の書いた種茶三つの特徴のメモ書きを一つずつ覗き込んで、ぴたりと足を止めた。
「一ノ茶:クリーミーで深いコクと甘味、その奥に感じる渋み
二ノ茶:爽やかな旨み力強さのバランス
三ノ茶:重厚な旨みと長い余韻…か。
いいねぇ〜茉莉はしっかり書き出しているね」
茉莉の肩がきゅっと縮む。
「おお、ええやん、茉莉!」
「銀次郎は、もう少し語彙力あげた方がいいね」
「え、あ〜俺はほら、言語化ちゅうより、直感タイプ?やしなぁ」
「千歳も、雪乃もちゃんと書けているね。千歳は銘柄も予想したの?たくさん勉強してえらいね〜」
千歳の紙を覗き込むと、特徴以外に、産地、銘柄まで候補をいくつか書き出していた。その割にはあまり自信なさそうな表情をしている。
「あちゃ〜うちも銘柄予想まで書いとけばよかったわぁ」
茉莉はピンク色の髪の毛先を指先でクルクルとしている。
「まあでも、四人とも当たり障りない一般的なことしか書いていない。
本当にこれで違いをちゃんと飲み分けられるかはこの後の闘茶でわかる。
で、光瑠は、ちょっとむずかしかった?」
明らかに目を伏せている少年のくせ毛を指先でピンと弾く。
「あ〜…そ〜っすね〜!全部、濃かったっす…」
てへへと誤魔化す光瑠の表情は明らかに焦って目が泳いでいる。メモ紙を見ると 『すっごい濃い。濃いけどうまい。ちょっと苦い気がする』と書かれてある。
「まぁ光瑠なりに、違いがなんとなく感じられているなら何度も繰り返していくだけだね。語彙力は銀次郎と一緒に磨いた方がいいかもね」
ノーボキャのお笑いコンビでも組むか?と囁く銀次郎に、絶対先輩のツッコミ痛いじゃないすか!と、すでにボケ担当だと確信しているようだ。
「で、碧は…へぇ」
(うわ、今こいつ絶対鼻で笑った。 語尾に絶対wって付いてた!)
「やっぱだめ…っすか…」
「うーん、個性的だなと思って」
どれどれ、とみんなが覗き込む。
(だって、本当にそう感じたのだから、そう書くしかない…。)
「一ノ茶:バニラの花、ひつじ雲、低いチェロみたいな音
二ノ茶:オレンジの渦巻き、宮大工のカンナ、泉っぽい
三ノ茶:青緑、雨の音と雨宿り、カエルの声…」
「え??ええ?どういうこと??あおっち、これどういうセンスなん??
全然、味とか香りちゃうやん。なんやポエム?」
「ほんまや〜、なんや、ワインソムリエ?みたいやん!見ようによってはイケてる感あるなぁ」
二人の女子高生はキャイキャイとうるさい。
「そういえば碧って、昔からこういう不思議な発言するよなぁ。比喩つうか、それよりちょっとぶっ飛んでるつうか。
俺が図工の授業で描いたクジラの絵をさ、ベートーベンの音楽みたいだな!って言ったりとかしてたよな。絵だぞ?」
「えぇ、そうだっけ…」
光瑠の前でベートーベン発言をしたのか全く覚えていないが、たしかに、絵を見て力強い音が頭に鳴り響いた感覚があった気もする。
今でもたまにそんなことがあるけれど、それって普通じゃないのか?
「いや〜、でもほら、福瀬さんと書いていること似てなくないっすか」
「やからぁ〜茉莉でええて」
「あ、ははは。そうだった」
(今は名前の呼び方はどうでもいいんだけど…)
その詩的なメモが書かれた紙をひょいと拾い上げた透は新しいオモチャを見つけたような顔になった。
二度目に俺が茶室を訪れた時に見せた『あの顔』で、俺を見下ろした。
「碧。君は、共感覚があるんだね?」
* * *
『共感覚』
初めて聞いた言葉だった。
Wikkipedia で調べると、『ある感覚刺激を受けたときに、別の感覚が引き起こされる現象のことで、別名『シナスタジア』とも呼ばれる』と書かれていた。
目に見えたもの、口に入れたもの、聴こえたもの。その一つ一つの感覚や体験に、その他の感覚が重なって、頭の中に別の映像や色となって、または新たな音や旋律になって、身体中を駆け巡る。
時には自分には存在しない記憶や、過去に体験したこともない映像が再生されたりする。 知るはずのない色の名前が浮かんだり、演奏したこともない楽器の音色が響いたりすることもあるので、それは確かに変な感じだった。
しかし、そんなことは他の人も同じだと思っていた。
いつから自分がこういう感覚を持ち始めたのかも覚えていないし、誰にもそれについて指摘された記憶がない。
いつも多重的な感覚が生起するわけではないので、自分がどんな時にそんな感覚になるのかわからない。
ただし、最近何度も感じた、茶を飲んだときのあの変な感覚。
茶を飲むと、その『共感覚』のような現象が鮮明に沸き起こる以上に、もっと、もっと自分が全然違うところに持っていかれるような感覚がある。
(あれって、共感覚ってやつなのかなぁ…なんか、ちょっと違う気が…)
「共感覚…」
「って、すげえな碧!そんな超能力みたいなやつ隠し持ってたのかよ〜!なんか奥義みたいでカッケェ〜!ずりぃ〜!」
帰り際、ぼそっとその言葉をつぶやくと自分の腕にまた光瑠が絡みながら引きずられるようにして歩いている。
「いや、ずりいって言われても。別にその感覚があるから闘茶が有利とは限らねぇだろが。てか、共感覚なんて言葉、俺初めて知ったぞ」
「え〜でもさぁ〜その後のミニ闘茶、碧ちゃんと当たってたじゃんか」
「マグレだって!」
あのメモ書き練習の後、先生は一人につき一服ずつ茶を点ててくれた。
それぞれ正解と思う茶種を紙に書いて伏せ、一斉に答え合わせをしたのだ。
「俺、正直全然違いわかんなかったよ〜マジで!マ・ジ・で!」
「いや、あれ先生マジで意地悪だったよな」
「ほんまや〜まさか全員『客』なんてぇ〜。ランダムで点てるからねっ!とか言ってたくせにぃ〜」
雪乃と茉莉が悔しそうにそろって声を上げてその会話に割り込んだ。
「ほんまや。しばいたろかおもたわ」
「おい、ちー。地が出てんぞ」
「うるさいわ銀。もうええやろ別に」
千歳の印象は、最初の上品なお嬢様から、すっかり姉御肌の京姐さんになっていた。
「ま、あのセンセーがやりそなことやけど。
でもそんな中で、碧ちゃんと正解書いとったんはほんま感心やわ!」
銀次郎が碧の頬を指でツンツンとする。銀次郎はどうやら素でスキンシップが好きらしい。
「いや〜あれですよ、羊でもカエルでもカンナでもなかっただけですよ」
「だから、それがなんか必殺技っぽくていいんだよな〜」
光瑠は相変わらず俺の腕にひっついてぶら下がっている。
「お点前のときの完璧な手順といい、今日の闘茶といい、お前あれなんちゃう?血縁とか遠い親戚に茶人でもいるんちゃうの?」
銀次郎がぐいっと顔を近づけて碧の目を覗き込むが、その顔は「そうやったらおもろいのになぁ!」とでも言いたげである。
「せ、先輩、近いっす。ていうか、絶対ないですって…! そんなん聞いたことないですもん」
(まぁ実際、家系図とかはみたことないけど…)
あるのかな家系図なんて、うちに。
家に帰ったら親父にメッセーでもしてみようかな。
下手なサッカー部よりボールの扱いが上手いのも
水泳部並みに速く泳げることも
勉強がそれなりにできてしまうのも
ただ体の動きをなぞったり、記憶の引き出しを開けるだけの単純な作業だと思っていた碧にとって、それらを褒められることは、大して重要なことでも感動を覚えるようなことではなかった。
しかし今日の出来事は、親父との旅を始めた幼い頃に感じていた小さな喜びに似ていた。
夢中になってシャッターを切った日に、出来上がった無数にある写真の中で親父が褒めてくれた一枚。
能楽師に言われるがままに動かした手足がいつの間にかお囃子の音に溶け込んで自然と『舞』になった瞬間。
藍染の染師の型取り作業に夢中になり、毎日のように染めを教えてもらって指先から腕まで真っ青になって自分の体に刻まれていくあの感触。
そういえば、五感の全てが混ざり合って一つになったような感覚になった時に、なにか自分は、ここではない遠い世界の映像を見て、音を聞いた気がした。
(もし、何か自分のこのふしぎな感覚を辿るルーツがあるなら…)
それは自分には誇れるものが何もないと思っていた中で突如として現れた、小さな光のようだった。
もしこの光が、自分を導いてくれる道標になるなら…。




