第三十六服 からころも
気がつくと太陽は一番高いところまで上がっていた。
「みなさぁ〜ん、お昼休憩にしましょうねぇ」
キミ子おばあちゃんが”本簀覆下”の入り口で手を振っていた。
笊にはいつの間にかずっしりと感じるほど、新芽が積もっていた。
みんなが持つ笊にいれられた新芽を合わせたら、それなりの量になる気がした。
「母屋でおにぎり用意してますからねぇ。そのまえに、今みんなが摘んでくれはった茶葉を蒸さなあかんから、ちょいとこっちに…」
と言って、茶畑の目の前を走る道を挟んで向かいにある加工場に案内された。
母屋はその隣にある大きな古民家のようだった。
「抹茶以外はな、今は他の製茶工場にお願いしとるんやけど、うちの銘柄のお抹茶だけは、どんなに手がかかっても譲られへんのよ」
加工場の中では軽トラックほどの大きさの蒸し機がしゅんしゅんと音を立てて蒸気を立ち上げていた。
摘んだばかりの茶が、職人さんの手によって次々と入れられていく。
加工場には他に乾燥炉と石臼があり、たくさん積み上げられている木箱は保存と熟成のための室だと説明してくれた。
「ここで蒸したあと炉で乾燥させて、抹茶の原料になる碾茶にするんよ。そのあと、そのあと熟成さすんやけど…」
茉莉がピンと人差し指を立てた。
「ここで、茶師ちゅう茶のプロフェッショナルの出番やねん。
茶師は拝見場いうところでいい茶葉を選び抜いて、最高のブレンドをする。それを合組いうんやけど、ええ銘柄ができるんは、その茶師の腕にかかっとる!」
母屋に戻りながら、茉莉は声に力を込めて言った。
「うちの父ちゃん、茶師十段やねん! それな、めっちゃすごいことやねん!」
「だからな、うちは、茶師百段を目指すんよ! お父ちゃんを超えるんよ!」
「百段なんてないやろ」
茉莉の頭をコツンと叩いて、晴哉が言った。
「俺を超えるかぁ。ええ心がけやな。その前に茶師一段からやな!」
茉莉は頬をぷくっと膨らませて恥ずかしそうに晴哉を睨んだ。
「ちなみにな…」
晴哉はみんなを振り返って笑って言った。
「みんなが朝から頑張って摘んでくれた茶葉。どれくらいの量のお抹茶になると思う?」
「…?」
「たぶんな、三百グラムにもならんな!」
「三百以下!?」
みんな声を揃えて驚いた。
「ま、一杯のお茶の向こうに、それだけの時間と人の手が存在しとるっちゅうことや」
* * *
福瀬家の縁側に着くと、大皿に手作りのおにぎりがずらりと盛り付けられ、沢庵漬けが添えられていた。
「きゃ〜茶畑見ながら縁側でおにぎりとたくあんなんて、あ〜日本に生まれてきてよかった〜!」
雪乃がはしゃいでそう言った。
「今日は特別に、新芽の天ぷらもご用意しましたえ」
キミ子おばあちゃんはそう言って、笊いっぱいに油から引き揚げたばかりの茶葉の新芽の天ぷらを持ってきた。
「これはぜいたくやなぁ! さすがのうちの家でも、摘んだばかりの茶葉の天ぷらは出されへんわ〜」
料亭の息子・銀次郎は目を輝かせて真っ先にそれを取って口に放り込んだ。
碧も一口。
初めて食べる新茶の天ぷらは、あまりにも青々としていて、その涼やかな香りを一生忘れることはないだろうと思った。
* * *
ひとしきり全員が食べ終わった後、
「ゆきちゃん先輩が差し入れしてくれた、お菓子もいただきましょ〜!」
と茉莉が風呂敷を持ってきた。
「そやそや、また忘れるところやったわ!」
そう言いながら、風呂敷を解くと、中には薄紫色をした菓子がはいっていた。
「『からころも』いう銘です。五月のはじめにだけ作るんで、すーぐ売り切れちゃうんですよ!」
「わぁ!綺麗な色だね」
透が横からにょきっと現れた。
「あれ、八つしかないねぇ。 これはじゃんけんかなぁ?」
透がちらっと千歳を見る。
「ええよ先生。うちのは先生にあげます」
「おや、さすが〜みんなのお姉さんだね〜」
そう言って、あっという間にパクリと菓子を口に収めた。
「先生のお姉さんちゃいますからね!」
(なんだかこの間も同じようなやりとりを見たような…)
「ちーはな、実は甘いのが苦手やねん」
と、あとでこっそり銀次郎が教えてくれた。
碧も食べようとしたその時、
「からころも きつつなれにし つましあれば …」
雪乃がふふっと笑いながら呟いたのが聞こえた。
「それって、在原業平のやつですか?」
碧は思わず雪乃に聞いた。
「え、そや!碧くん、よう分かったね!」
「俺、こう見えて古文とかちょっと得意なんすよ。たしか、下の句は…」
ちょっと考えてから…
「はるばるきぬる たびをしぞおもふ… あ、だから燕子花の色なんすね! 習ったやつ思い出しました」
「すごーい!! 碧くん!そのとおり!天才!感動! 」
「え、なになに!?」
光瑠が、話が全くわからないと言うように入ってきた。
「『からころも』の歌は、句ごとの頭文字をつなげると、か・き・つ・ば・た になるんだよ。昔習ったろ? それをモチーフにした菓子なんすよね?」
「そうそうそう!」
雪乃が目をキラキラさせてうんうんと頷く。
「京菓子はな、和歌をモチーフにした菓子が多いんよ。むしろ、和歌からインスパイアされる菓子こそ、京菓子と考える人もおる! 伝わって嬉しいなぁ」
雪乃がしみじみと手に持った『からころも』を眺めた。
「な…なるほどぉ」
と、首を傾げた光瑠にはいまいち伝わらなかったようだったが、碧は自分が知っていることの中で茶につながるものがあると知って、少し嬉しかった。




