第三十四服 京都七名園
ピロン。ピロン。
その日の帰り道、スマートフォンの着信音がなった。
メッセージが二件入っていた。
相手は、光瑠と…もう一人…。
* * *
五月二日。日曜の朝。
京都駅の改札の前。時計を見ると八時四十五分。集合は九時過ぎだというのにかなり早く到着してしまった。
雪乃が以前の茶会で言っていた言葉が碧の中で反芻していた。
『茶は、栽培する人から茶師という人まで、製品になるまでに関わるプロがたくさんいる』
碧は、今はとにかく茶のいろんな側面を見たいと思うようになっていた。
「お、碧。早いやん」
声の方に顔を向けると、銀次郎が片手に缶コーヒーを持って碧の元に向かってきた。
「先輩も、早いですね!」
「あぁ、家の仕込みの手伝いしてからきたら、案外と早う着いてしまっただけや」
そう笑いながら、缶コーヒーをひとつ差し出してきた。
「先輩…缶コーヒーなんて飲むんですね」
碧の質問の含みを感じ取ったらしく
「ん? あぁ、料亭の息子なのに意外ってか? まぁ、家のもんに見られたら、怒られるやろなぁ。」
「でも俺、花の高校生やで? 反抗してるわけやないけど、缶コーヒーとかコーラとか、好きなもん飲ませてくれよなぁ。ちなみに俺、フジせんせーと同じくめちゃ甘党やから、覚えといてな」
老舗料亭の息子という肩書きを笠に着ない銀次郎の笑顔に、ますます親近感が湧いた。
受け取った缶コーヒーをひと口含む。
うっわ…マジで甘っ。
朝の京都駅の雑踏がぼやけて見えていたのが、一気に吹っ飛んだ気がした。
九時を過ぎた頃、おはようございます〜、とまだ夢の中にいるような口調で登場したのは光瑠だった。いつものくせ毛に寝ぐせがついたままで、余計幼く見えた。
碧の視線に気づいたらしく
「昨日、ずっと轆轤回してたらなんかゾーン入っちゃってさ、いつの間にか明け方になっちゃって〜」
と、一応寝癖を手ぐしで直しながら、満足そうな表情でそう言った。
その後ろに雪乃と千歳が見えた。
半袖のTシャツに、パーカーにジーンズ。茶会でもそうだったが、雪乃の私服はいつも飾り気がない。
「みんなおはよ〜!」
といつものテンションで手を振りながら合流した。
隣にいた千歳は麻のパンツに薄手のカーディガン。私服でも背筋が一本きれいに通っている。
続いて透も合流した。
どんな私服なのかと期待していたが、いつも通りの着物だったことに少しがっかりした。
落ち着いたグリーン。表面に細かい絞りのような模様がうっすら浮いて見える。
光の加減でその独特の風合いが変化して綺麗だった。
(この人、この格好で茶摘みすんのか?)
「あっ…先生それ…!」
千歳が思わず一歩踏み出して言った
「丹後縮緬ですよね? ええ鶯色やぁ。しかもこのシボ… 川原先生の?」
「うん川原先生の。さすが千歳、よくわかったね。やっと仕立ててもらえたんだ〜」
透が羨ましいだろと千歳を煽るように笑ったように見えた。
「ええなぁ……うちもいつか自分用に一反ほしい思てたんです。川原先生の何年も待たへんと手に入らへんのに」
呉服屋の娘として、やはり良いものには反応してしまうようだった。ボソボソと目を細めながらなにか呟いていた。
「って…先生、まさか、それで茶摘みしはる気ですか?」
千歳がはっと我に返った。
「まさか。僕は今日は、顧問としてみんなの部活動を見守る役目だから」
といって、いつものウィンクを飛ばした。
千歳もツッコむのは諦めてはぁと小さくため息をついた。
(出た…相手を萎えさせる”目交ぜの術”…)
碧の頭は未だ透のこう言った一面を見るたびに、得体の知らないあやかしが人間界にいるために茶道部の顧問をしているのだ…というファンタジーから若干抜け出せずにいた。
(自分の平常心を保つための言い訳のネタとも言える。)
そうこうしていると、茉莉が現れた。
「お待たせしましたー! ほな行きましょか。お父ちゃんもおばあちゃんも、畑でお待ちしとります」
JR奈良線に乗り込み、一行は宇治駅に向かった。
せっかくだからと全員指定席切符を購入し『うれしート』に向かい合って座ることができた。
茉莉は綺麗な冊子をカバンからゴソゴソと取り出し、皆に手渡した。
「うちの実家、奥乃瀬茶園いいまして、こちらパンフレットになっとります〜」
その名を聞いた瞬間、雪乃がぱっと顔を上げた。
「えっおくのせ……ってまさかあの京都七名園のひとつ?」
「ゆきちゃん先輩、知ってはるんですか!うれし〜! いちおう十一代続いとるんです〜」
「いや、もちろんやよ!うちんちでもちょいちょい使わしてもろてるし。御所さんに納めてはる茶園やってお父ちゃんが言うとった」
「奥乃瀬茶園さんがご実家なん? 初めから言うてくれたらよかったんに〜」
千歳が若干緊張気味に背筋を正すようにして言った。
「え〜!そないなこと、特に言うもんでもないと思て〜」
茉莉がいつもの軽い調子のままで、すこし照れたように笑う。
高級そうな和紙に印刷された分厚い冊子には、室町時代創立 / 奥乃瀬茶園と書かれていた。
(単なる茶園の娘じゃなくて、とんでもないもの背負ってるじゃねぇか…本人は全然そんなこと思ってなさそうだけど…)
銀次郎にしても、茉莉にしても、家業のことを大したことのように言わないのは、やっぱり周りにそういうのがゴロゴロいるからなのか…と相変わらず、大層な人らと同じ空間にいる自分を不思議に思った。
ただ、その反面、その奥に見える歴史に今から触れられることに、胸は高鳴っていた。
しばらくすると、車窓から宇治川が見えた。
「次の停車駅は、宇治〜宇治〜」
中学二年の秋から京都に引っ越してきて、一年半。
京都駅から二十分程度で来れるのに、初めて宇治に降り立った。
茶に巡り会わなければ、きっとこの先も興味を持つことも、足を運ぶこともなかったであろう場所。
(これから、新しい景色にたくさん出会うんだ…)
それは父親の仕事について様々な地を訪れていた幼い頃に感じた、次の旅先への期待と同じ感覚だった。
怖くない。
その扉の向こうにあるものを知りたい。
宇治の空気は、もうすでに初夏の茶畑の香りに包まれているようだった。




