第三服 校舎の奥
放課後。帰り支度をしていると、教室の後ろのドアから「碧ー!」と顔を出した光瑠に
「ほんとに来たのかよ」
と意地悪く言って見せたが
「言ったろ、付き合えって」
とそれを全く歯牙にもかけずに教室を出た光留は、早足で歩き出すので慌てて碧はそれを追った。
「実は、俺、茶道部入ろうと思ってんだよね」
ニカっと光瑠が笑った。
「茶道部!?」
碧は思わず聞き返した。
「マジで? 渋いな。つーか、今向かってんのって、茶道部ってこと?」
廊下を歩きながら、光瑠が続ける。
「うち、母さんの実家が、京焼の窯元でさ。茶碗を作ってる家なんだ。だから、その茶碗がどんなふうに使われてるのか、ちゃんと見ておきたくって。まあ、じいちゃんにも言われてるんだけどな。“茶の道を知らんと、ええ茶碗は作れん”ってさ」
「へえ、そういや光瑠んち、窯元だっけ。継ぐつもりなんだ? かっこいいじゃん」
「まーあ……ね!」
照れながら光瑠が答えた。
光瑠の、いたずらっ子で、でもまっすぐな目。碧は昔からそれが好きだった。そう思ったとき碧の頭の片隅を、土と火の匂いみたいなものがふっとかすめた。
「碧もさ〜、茶道、絶対合うと思うんだよね」
「は? ないない。正座とかそういうの無理だわ」
「そんなこと言わずにさ。まあ、一回見るだけ見ようぜ」
そう言われて、碧は肩をすくめた。こうと決めたときの光瑠は一歩も引かない。こういうところも出会った時から全く変わっていない。それが碧に改めて安堵感を与えてくれるのだから、この再会は喜ばしいことなのだろう。
光瑠は敷地のいちばん奥にある文化財に登録された古い旧校舎のそのまた奥までずんずんと進む。 旧校舎の廊下は古木のままで歩くたびに床がきしむ。
学園の敷地全体が傾斜地のため、そこに作られた旧校舎はいくつかの棟に別れて複雑な構造体を成している。隣り合う棟に行きたくても、渡り廊下を上がったり下がったりしながら経由しないと辿りつかないといった具合に、まるで迷路だ。そういった複雑な構造設計も文化財として登録されている所以らしい。
普段は閉められている棟も多いので、碧自身は旧校舎全体を歩いたこともなければ、その奥に行く用事もなかったので、初めて見る景色に中等部からこの敷地の一角で過ごしていた自分の周辺への無関心さを思い知らされたのと同時に、目的地までこの迷路を迷っている様子もなく進む光瑠に少し感心した。
何棟かを跨いだのちに、敷地内でも最も低い場所に辿り着いたようだった。振り返ると、旧校舎のいくつかの棟の奥にある新校舎はもはや里山の上に建っているように感じるほど遠くに見えた。
程なくして渡り廊下は終わりを迎え、その先には表門と呼ぶのだろう、立派な宮づくりの門が構えていた。
さらにその奥には立派な日本庭園があるのが雰囲気で見てとれた。
「うわ、なんだここ。学校じゃないみたいだな」
明らかに挙動不審だと自覚しながらも、ギシギシと鳴る渡り廊下の上で自然と忍足で表門の前まできた。
施錠されていない。
不法侵入にならないかとドキドキしながら歩みを進める碧に対して、光瑠はほとんど音に変わらない口笛らしきものを鳴らし、難なくその領域へ踏み込んでいく。
苔むした地面に敷かれた飛び石はしっとりと濡れていた。一歩ずつ確かめるように靴底をその上に着地させながら歩いた。頬に触れる空気は次第にひんやりと澄んでいく。
校舎のざわめきも運動部の声も、まるでここまでは届かない。紅葉にしてはやけにひょろっとした手のひらの形の葉が風もないのにかすかに揺れている。
しばらくすると突き当たり建物があった。丸い形をした障子張りの窓の脇には、その窓とさして変わらない寸法だがおそらくそこが建物に入るための扉だろう、小さな古い引き戸があった。気のせいか、青くて深い香りがした。
「お、開いてる..?」
小学校の授業中にイタズラしていたときと全く変わらない表情で光瑠は躊躇なくその戸に手をかけた。
す、と乾いた音がして戸が開くと同時に眼前に映ったモノの意外さに、碧はなんだか妙に拍子抜けした気分になった。




