第二十九服 三人目 (キャラクターデザインイラストあり)
部室にもどると、すっかり新しい畳に替わっていた。なるほど、この風炉という装置に替わっただけで、爽涼な感覚になるだけでなく部屋の重心が、正座をした時の目線の高さほどまで一気にせり上がり、室内が軽やかに感じられる。
「さて…」
と千歳が何か言おうとしたそのとき、廊下のほうからぱたぱたとせわしない足音が近づいてきて襖が勢いよく開いた。
「すいませーん! 遅うなりましたーっ!」
小柄な女の子が頬を染め、息を切らしてそこに立っていた。
「ほんま、ほんますみません! なんやいろんなもんを教室のロッカーに置いてきてしもて…取りにいかなぁ思て、めちゃダッシュしとったら風紀のセンセに捕まって、廊下走るなやらなんやらタラタラと怒られてぇ…」
雪乃とはまた違ったハイテンションで登場したその女の子は、ピンク色に染め上げられた長い髪を二つに結わえて三つ編みにし、前髪は眉上まで短く切り揃えられ、おまけに耳にはいくつもピアスがぶら下がっている。京絹学院の中ではだいぶ浮くであろう、かなりエッジのたった風貌だった。
「よかった、 全然来やはらへんから、ちょうど連絡しよ思とったとこや。風炉の替えも今しがた終わったし、あらためて自己紹介からしよか」
そういうと千歳は碧、光瑠、その女の子を横一列に並ばせた。
「今年の一年は三人。多比良 碧くん、江咲 光瑠くんそれから、福瀬 茉莉さん」
そう聞いて碧はちょっと安心した。
(上級生かと思ったら、新入生がもう一人いるんだ、よかった。しかし…なんだか茶の世界からは遠いようなギャル…)
「福瀬茉莉です。宇治で茶園やっとる家の娘です。よろしゅうお願いします」
ぺこりと頭を下げる。その拍子に毛先の跳ねた髪がふわっと弾んだ。
(な...!)
(このピンク頭のギャルが宇治の茶園って...。いや、見た目がどうのよりも、なんだよ、新入生っつても生まれた時から茶の世界の人じゃないか。やっぱり一般人は俺だけかぁ)
「江咲 光瑠です! 家が京焼の窯元やってます! よろしくっす!」
碧の漏れそうになったため息をすんでのところでかき消すかのように、光瑠がピンと右手をハイッと挙げて言った。
「窯元! すごぉ!かっこよー!」
ピアスをきらりとさせて茉莉の目がぱっと輝く。
(うぅ…俺には特に自慢できる家柄もなんもねぇ...)
と、二人に引け目を感じながらも、いつもの明るい笑顔に戻し
「多比良... 碧でっす!京絹中等部から上がってきました。放浪癖のあるフォトグラファーの父と二人の一般家庭です!」
「…たいらくん。あれ、なんやぁ聞いたことある気ぃするなぁ。おばあちゃんがそんな名前よう言うとったような…」
「えっ?俺の名前?!」
笑いを取ろうと思ったがイマイチウケなかった上に、京都の茶園とうちの家が縁なんてあるか?と思いドキッとした。
「うーん、なんやろ思い出されへん。まあええわ!フォトグラファーなんてイケてる父ちゃんやねぇ〜」
あっさり笑い飛ばして茉莉は持っていた風呂敷をするすると解いて、中から小さな茶筒をいくつか取り出した。
「これうちのお父ちゃんが皆さんにって。ちょっと早いけど今年の新茶です。八十八夜の前に走り(はしり)で摘んだ、いちばん最初のんを碾いてもろてきたんです」
「うっわ、ええもん持ってきてくれたなぁ!はよ飲もー!」
銀次郎が興味津々で覗き込み、ひょいと取り上げた。
「あの、八十八夜って…」
碧が聞くと、茉莉がぱっと顔をあげた。
「立春から数えて八十八日目の日です! だいたい五月の二日くらい。新茶を摘みはじめるいっとうの目安の日ぃで。昔から八十八夜のお茶を飲むとその一年健やかでいられるいうて。」
「あ、あれっすね! なーつーもちーかづーく、はぁーちじゅうはちやぁーって歌のやつー!」
光瑠が音程が大きくずれながらも朗々と歌い上げるので、誰もツッコめない中、雪乃だけが「なんやのん光瑠くんその歌い方ー!」と笑い転げた。
(たしかに、小学校の音楽の教科書に写真付きでこの歌が載ってた気がするな)
「それです! ほんで、その日に摘んだ最初の若葉を”走り”いいます。香りも甘みもぜんぶその年でいっちばんなんです」
話しているあいだ茉莉の指先は無意識に動いていた。おそらく茶を摘む動きなのだろうけれど、光瑠の歌った八十八夜のイメージに出てくる、襷掛けをして傘を被り一心に茶を摘む人物と、目の前のピンク頭がどうも重ならない。
「ほなせっかくや。新茶使わしてもろて、みんなでお点前の練習しよか」
千歳が嬉しそうに釜に水を足して、風炉とやらのスイッチを入れた。
ん?スイッチ?
「あ、ちなみに風炉は、電熱式やねん。うっかり誰かが転ばして火事になったら危ないからな」
よく見るとコードが伸びていた。
「便利っすね」
碧がそういうと、
「せやなあ。ただ、茶のお道具が、文明の力借りてんのはこれだけと違う? 他は、所作も含めて不便を楽しむようなもんばかりやよ。でも、それが茶に込められた哲学や美学なんやろうねぇ」
そういや親父も、便利なデジタルよりも不便なフィルムが好きだと言っていた。その方が手触り感があるからだそうだ。
茶の中にある美学と哲学。
そう改めて言語化されて、一体どういうところから自分はその領域を見ることができるのか、今までにない熱が、胸の中で大きくなっているように感じて、碧の鼓動はまた少し速くなった。




