第二十八服 変わるもの。変わらないもの。
「ほな、四月最後の一仕事やな。畳、替えよか」
千歳がぱんっと手のひらを軽く打ち合わせる。
「え、畳?今から替えるんですか?」
「そや。明日からの連休開けたらもう五月やろ。五月からは風炉いうて…」
千歳は立ち上がって、和室の裏にある道具置き場から、金属でできているであろう色味をした、三つの足が着いた壺の形状をしたものを持ってきた。
「これが風炉。これに釜据えてお湯を沸かすんよ」
その後に続いて、銀次郎が新しい畳を抱えてきた。
「やから、今この畳を切って開けている炉は十月まで閉じんねん。日本人て、こんな面倒なこと、ようしはるよなぁ。でもこれが”おもてなし”の一部なんよ」
畳を脇に置いて、銀次郎が炉のそばに腰を下ろした。
「少しずつ覚えていってな」
「だいたいこの辺りがご正客の座る場所や。あ、ご正客ってのは、招待客の中で一番大切な客で、上座に座る人のことな。だから上座はここ、炉の一番近くや他の客はご正客の隣に順に座っていく。 躙口のほうが下座や。 ご正客はな、一番大切な客でありながら、進行役という立場でもある。そやから他の客に気を遣わなあかん。」
(一番上座に座る人が、進行役も務めんのかよ…って、この間の茶会で太田さんが言っていた”ゴショウキャク”って、このことか! 俺、堂々と上座に座っちゃった…!)
眉を顰めた碧を気にせず銀次郎は続ける。
「炉は、客にぐっと近いやろ。冬はお互いぬくもりを寄せ合う席やいうことや」
「で、あったかくなってきた五月からは炉を閉じて、風炉っちゅうこれを、畳の上に敷板をかませて据えて、釜を置いて湯を沸かすんや。 風炉を据える場所は、炉が切ってある畳から九十度違えたこの辺。客からちょっと離れてるやろ。しかも季節が進むにつれて、ちょっとずつ奥の方に離れんねんで。 熱をお客さんから遠ざける”気遣い”いうわけや」
「お道具の位置も、ちょっとずつずらしはるんよ。お客の目線を考えて、物理的な暑さも見た目も、より涼やいう気配りや。 それが先人たちが作ってきた”もてなしの心”なんよ」
千歳が少々補足をした。
「すげぇっすね。道具の位置まで…」
「俺もこの前、じいちゃんに教わりました! 茶碗も夏と冬で口の広さとか厚みも全然ちがうって。夏は熱を逃がすために広めで薄く、冬は冷めにくいように深めで分厚い」
「えっ、茶碗もちがうのか」
「そうや、もっと暑うなってきたら、茶碗もガラスのもんとか使うんやで!」
雪乃がパッと横から入ってきた。
「菓子もなぁ、夏のは涼やかでほんま可愛いんや〜」
「ほな、とりあえず炉と風炉の説明はこれくらいにして、ささっと畳変えてしまお。五徳はこの間光瑠に洗ろうてきてもろてるから、炉の中の灰を捨ててからやな。そばに来て見といてな」
千歳はそう言うと、大きなスプーンのようなものを雪乃が持ってきた桐の箱から取り出した。
二人は千歳のそばに寄って、灰の片付けを見届けた。
その大きなスプーンは、炉の灰を専用の灰匙というらしい。それで炉の中の灰を丁寧にすくって灰器に移していく。ふわりと舞いそうな細かい灰をすこしも畳に落とさず動かす千歳の手は本当にきれいだった。
「じゃ、俺ら畳替えとくから、碧と光瑠、ふたりでこの炉壇と灰匙を持って外の水道で洗ってきてもらえるか? あと、灰も焼却炉のおじさんのとこによろしくな」
新校舎の裏にある水道に向かった。一階の渡り廊下にでると、グラウンドではまたサッカー部が練習中だった。ふと、とうの昔のように感じる一昨日の出来事…光瑠に目撃された一連の自分の行動と、サッカー部でのやらかしを思い出して急に恥ずかしくなった。
光瑠をちらっと見ると、また目元を膨らませて何か言いたげだったが、光瑠は何も声に出さなかった。
そうだ…。光瑠は昔から、ちょっと強引で、言い出したら聞かなくて、まっすぐで…。
でも光瑠は、だれよりも人の感情に敏感で、心に寄り添えるやつだった。嫌味とか、悪口とか、人が嫌に思うことを口にしているのを見たことがない。
炉壇を洗いながら、光瑠に聞いた。
「今度さ、光瑠んち、行っていいか? 光瑠のじいちゃんに会ってみてぇんだけど」
そう言って光瑠の方を向くと、目をキラキラさせてこう言った
「そろそろ、そう言ってくれると思ったぜ!実はじいちゃんにはもう言ってあるんだよねぇ〜!」
へへっと笑う光瑠は小学生のときとやっぱり変わらなかった。
「連休中は、じいちゃんが今制作している作品が佳境に入るみたいで、俺それの手伝いなんだよね」
「それ、落ち着いたらな! 約束だぞ!ぜったい!五月中!」
あのときの光瑠と、ほんとうに何一つ変わっていなかった。




