第二十三服 別に今日じゃなくても
次の日の日曜日はずっと自宅にいた。
いつもだったら友人たちとどこかしら出かけているはずだったが、特に声が掛からなかったのをいいことに、自分からも特に声をかけなかった
ふと、予定のない週末は、何をしたらいいかわからないことに気づいた。
俺って、自分から声かけないと、誰からも声かからないやキャラだったっけ?
つぅかなんもやることないっていいなぁ〜
少し寂しい気持ちになりながらも、気に留めることもなく何かから解放されたように縁側でごろりと寝転がった。
(今日は何もしないでこのままでいようかな…)
太陽の匂いを嗅ぐ時間は、こんなに気持ち良いものだったかと改めて大きく鼻から息を吸い込んだ瞬間、乾いたシャッター音が鳴った。
親父だった。
「おはよう碧。今日は休みか?」
「おはようってもう昼だよ親父。しかも今日は日曜」
「そか。曜日とか見てねぇからなぁ」
「そんなんでよく仕事できるよな」
「ん?あぁ〜俺は大人気フォトグラファーだからな」
「はいはい。って、今からどっかいくの?」
「あぁ、ちょっとな」
「…。」
親父はいつも自分のことは多くを語らない。
「それより碧、なんか学校であったか? 今、いい感じの画、撮れた。お前の」
「珍しいな。親父が俺に質問してくるなんて」
「はは。なんだよ反抗期か? 現像したら見せてやるよ。じゃ、行ってくる」
久しぶりだった。親父と、写真の、被写体の、俺の話をしたの。
親父は、被写体が発する言葉を切り取って、その魂の一瞬の輝きをそこに宿らせる天才だ。言語化されない想いは写真となって、長い時空を超えてもそれは色褪せもせず朽ちることもない。そんなものを生み出す親父のことを心から尊敬していたし、そんな親父の仕事を見るのが好きだった。
今、親父は“いい感じの”とは言ったが、”いい画”とは言わなかった。
どんな顔をしていたのだろうか。どんな背中だっただろうか。俺が一体どんなコトバを発していたか、自分自身もわからなかった。
(明日、行ってみるかな…)
* * *
週が明けた月曜日の放課後。その襖を碧はなかなか開けられずにいた。
文化財に登録された古い木造の旧校舎。いくつかに別れた棟の第二棟を三階に上がった先にある百畳にもなる大きな和室。奥の鴨居にかけられた『茶道部』と書かれた木札の目の前で、碧は一人佇んでいた。
今日、隣で活動している部活は落語研究部のようだった。囃し立てる様な大きな声と、扇子で床をタタンッと打つ音。グラウンドでは運動部のかけ声がこだまするがはるか遠くの音のように感じる。廊下にはワックスとほこりと長い年月を経た独特の匂いがしみついていた。
一昨日のことが、もうとうの昔の様に思えた。
(昨日結局、あの後一日中家でゴロゴロして本当に何もしなかったな…)
苦笑いを浮かべながら、土曜日の光瑠の眼差しや太田、雪乃の言葉を思い出す。
──俺も、向こう側に立っていいのだろうか…。
すうっと大きく息を吸い込んで「よし」と心の中で呟いた。若干上擦った様に見える手を襖にかける。
あれ──。
誰もいない。
がらんとした和室に傾きかけた西陽だけが長く差し込んでいた。
「……あれ。今日月曜だから部活やってるはずなのに」
茶道部の活動は毎週月・水曜日と隔週の金曜日が基本だと、光瑠がたしかそう言っていた。
がらんとした和室を目の前にして、喉の奥の方にスッと何かが消えていってしまった感覚を覚え、はあ。と小さなため息をついた。
──ま、別に今すぐ入部する理由もないしな。俺がいてもいなくてもみんなが困るわけでもないし。
(光瑠も今日教室に来てくれるかと思ったら来てねえし…。やっぱ本気になるのは俺の柄じゃねぇって掲示かな〜)
意味不明で不恰好な言い訳を心の中で並べ、碧は襖をそっと閉めた。何事もなかったようにするりと踵を返した。
旧校舎を出て、ピロティを歩くと四月末の西陽が目を刺した。これからどんどん日が長くなるなぁ…と初夏が間近に迫った空を眺めているとグラウンドのほうから「わっ」と歓声が起きる。サッカー部が練習試合をしているらしかった。
土煙を上げながらいくつもの人影が目の前を行き来する。それをぼんやりと視界に入れながらグラウンド横のピロティを歩いていると、キーパーが放ったボールが高く上がった。それを取りに三人が争いながら走り込み、空中で絡み合うようにヘディングされたボールはコントロールを失い碧の元に飛んできた。
碧はひょいと身を交わし、ボールを背中側に回して踵でふわりとリフトした。そのままくるりと体をひねってライン近くにいた部員の方へ軽く返した。
フィールドに目をやると絡み合った三人のうち二人が脚をかかえてうずくまっているのが見えた。着地に失敗したのか、絡んだときのコンタクトが大きかったのか脚を負傷したようだった。
「サンキュー! お前すげえな。瞬時に神技やん」
スポーツマンらしく白い歯をキラキラさせたやつが駆け寄ってきた。上級生に見えるな。
ぺこっと頭を下げると、そいつはハッと目を見開いた。
「って、お前、多比良やん! 久しぶりやないか! なんや覚えてへんの? 俺、神谷!」
神谷……? あ、思い出した。中等部のころ何度か助っ人で出た試合でボランチをやっていた先輩だ。
「神谷先輩…お久しぶりっす」
「なんやお前ぇ〜多比良ぁ〜!高等部上がってきとんのやったら言うてくれよ〜!俺ずーっとお前と一緒にサッカーやりたかったんやで」
神谷は、碧が助っ人に入った試合で見せたプレーが忘れられなかったらしく、あの後も何度かサッカー部に入らないかと他の部員と一緒に声をかけてきてくれていた。
「てかお前、今何してんの? 時間あるんやったらさちょっと体動かしにこいよ。今、親友部員歓迎の練習試合やってんねん。さっきので二人使いもんにならへんしな」
神谷の背中で二人の負傷者がピッチの外へと運ばれていく。
碧はちらりと旧校舎のほうを振り返った。
和室には誰もいなかったし。
(…まあいっか)




