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第二十二服 眩しい二人

 茶会が終わった。あっという間のような、それでいて、とてつもなく長い時間を過ごしたような。ほうっと息をつく気配で碧はようやく我に返った。


 立ち上がろうとした、その瞬間だった。正座なんて長い時間はできない――そう思っていたはずなのに、足のことなどにいつの間にか全く気に留めていなかったことにハッと気づいた時にはもう時すでに遅し…今になって一気に痺れが押し寄せる。膝から下が、自分のものでないみたいだった。碧は為す術なく畳に倒れこんだ。

「碧、何やってんだ…よ! って、あ、あれ…」

 すかさず笑おうとした光瑠も、同じように痺れに抗う間も無く足をもつれさせ、派手に畳へ突っ伏す。半東の務めを終えてほっとしていた雪もこらえきれずにけらけらと笑い転げた。

「あはは! 二人とも、揃いも揃って」

「ええよ、ええよ。慣れんうちは、みんなそうや。ゆっくりしていきなはれ」

 太田は音もなく立ち上がる。透もゆっくりと腰を上げ、会釈をひとつ残して奥へと消えていった。

 痺れが引くのを待って、ようやく玄関にたどり着いたころには、雪も、半東の着物から私服姿にすっかり着替え終わっていた。

 碧は茶室の敷居を踏まないよう、もたつく足を必死に制御しやっとの思いでスニーカーに足を入れた。足の裏にはまだ痺れの余韻がジンと残っていて、足裏とソールの間に奇妙な空洞を(こしら)えていた。


「君たちに、また会えるのを、楽しみにしとりますえ」

 見送りに出てきた太田がそう言って手をひらひらと振った。


 不思議な人だ。近寄りがたいほどの佇まいをしていたかと思うと、田舎の優しいおじいちゃんにしか見えなかったり。あの透という人も、会うたびにいろんな面を見せてくる。


爾今(じこん)”…あの掛け軸の言葉がふっと頭をよぎる。

(今、目の前のこの一瞬…)


 二人はぺこりとお辞儀をして表門へ向かおうとすると雪乃がぱたぱたと小走りに追いかけてきた。

「碧くん、光瑠くん! 帰るやろ? うちも、途中まで一緒に行くわ!」


 有隣館を出るともう昼を過ぎていた。

 春の日差しが京の街をやわらかく照らしている。鴨川のほうからぬるい風が吹いてきているような気がした。


「いや〜、緊張したー!」

 光瑠が両手で頭をわしゃわしゃと掻いた。せっかくセットしてあったクリクリのくせ毛はいつも通りに戻って日焼けした額を突っついていた。


「光瑠…お前すげえな。あの茶碗見ただけで、産地とか、作者までわかんのかよ」

「いや〜作者は結局不明だったし。あれ、めっちゃ恥ずかしいだろ! てっきり、名工を当てろってゲームかと思ったのによ〜!」


そう言いながら光瑠の顔は誇らしげだった。

「でも、『モノの価値は値段や名前じゃなくて、自分の心が決める』 あの太田さんの言葉、めっちゃ響いたわ」


光瑠の言葉にうんうんと雪乃が頷いた。


「やーそれにしても今日もフジ先生のお点前かっちょよかったなぁ。なんやろな、あのお点前。なんか変な魔術でもかけてんのちゃうのかと思うよなぁ」

ぐうぅっと手を絡ませて両腕を大きく上に伸ばし、今日初めて会った時と同じトーンで雪乃が言った。

 

やっぱりみんなそう思うのか…とちょっと安心する。


「今日は、うちの父ちゃんのお菓子も出してもろたしなあ。なんかええ日やぁ」


「そういや、白川先輩のお父さんて和菓子職人さんなんですか?」

光瑠が興味深そうに雪乃の顔を覗き込んだ。

「そやで〜今日出してもろたみたいな、めちゃかわえぇ菓子作んねん。これからは京菓子もグローバルの時代や言うて、パリに留学してな、洋菓子の要素も取り入れてん」

「ほんで、お爺ちゃんと喧嘩してな、新しい暖簾でお店出したんよ」

そこまで言って、雪乃は寂しそうな顔をした。


「叔父さんとも、そこからちょっと疎遠になってしもて。叔父さんはきっと、お父ちゃんと一緒に松壽堂(しょうじゅどう)を守っていきたかったと思うねんけどな…」


「?…松壽堂? って、あの有名な京都の老舗和菓子屋さんの?」

「ん?そやで? あれ?聞いてへんの? 叔父さん…太田はんは京菓子の老舗・松壽堂の六代目の当主やよ」


「えー!!?」

光瑠が悲鳴のような歓喜の声を上げる。

「まじすか!俺あそこの水羊羹とかわらび餅めっちゃ好きなんすよ〜!よくうちの母ちゃんが、練り切りとかどら焼き持ってお得意さんにご挨拶行ってます!」


(和菓子屋の人だったのか…。茶道界の重鎮か何かかと思ってた。)


「ふふ、嬉しいなぁ。そんなこと言いてもろて。叔父さんも、お爺ちゃんもそれ聞いたら喜びはるわ。」

「ちなみにな、京菓子と和菓子は全く別もんなんやで!和菓子は日本の古い菓子文化の総称やけど、京菓子は、京都で作られる、主に茶席と宮廷に献上されるために作られる上生菓子(じょうなまがし)のことを言うんよ。」


「なるほど!勉強になります!」

光瑠はいつものおちゃらけた調子が戻っていた。


「茶って、お茶だけじゃなくて、茶碗とか、道具とか、菓子とかまでいろんな世界があるんすね」

 碧はそう言って、何か自分のEXPレベルがアップしたような感覚になった。


「そやで!私はぜーんぜん、まだまだやけど、お茶一つにしてもな、栽培する人から、茶師って言って、茶葉を選定して合組(ごうぐみ)いう調合、いわるゆブレンドのことな、っちゅう、製品に成るまでの全部を担うプロフェッショナルが関わっとる」

「他にも道具作る人や茶碗を(こさ)える人、今日は出ぇへんかったけど、懐石のお料理人、菓子職人、お着物作る人、お着物の生地を織る人、それを染める人。そして空間、茶室作る人から庭整える人まで、茶は日本の文化の集合体や」


「白川先輩は、茶が…茶の世界が本当に好きなんですね」

碧は、なんだか胸の奥がキリリとした気がした。


「うん、うち、お茶の世界、めっちゃすきや!お茶の世界見て、この世界でなくてはならん京菓子の職人をもっと尊敬するようになってん!やから、うちも京菓子職人になること決めてん!」

「俺と一緒っすね!俺も、じいちゃんの見てきた世界知りたくて、茶道部に突撃したんすよ」

「ええやん、窯元の息子〜!てか、うちのこと、下の名前でええで。三年の先輩たちも、したの名前で読んどるやろ?」


なんだろう。俺だけ一人取り残されているような…。

でも…でも、この熱の中に、俺も入れるなら…。


「で、碧くん。もうお茶のトリコやろ?ほんなら、入部、決定やんな?」

雪乃がまた距離感ゼロで顔を覗き込んでそう言った。

「え!いや、まだ…その、俺にはちょっと遠いっつうか」


「なんやのー、もう!遠いとか近いやないねん!お茶、おもしろいやろ?」

 雪乃がぷうと頬をふくらませる。

「まあええわ。碧くんなら、ぜったい来る。うちは知ってるもん」

 そう言って雪乃はふんっと鼻から大きく息を吐き出し、眩しそうに昼過ぎの高く上がった太陽を仰ぎ見た。


その時碧には、太陽よりも二人が眩しく見えた。


 もっと、知りたい。その気持ちはもう隠しようがなかった。


「茶は、おもろい」


その言葉が、ずっと顳顬のあたりをくすぐっている。

でも…


*  *  *


  三人の若者を送り出した後の松菱斎 有隣館はいつもより新緑の色が濃くなっているようだった。

母屋の十畳(じゅうじょう)(うつ)し*4に面した縁側で、太田と透がポール・ケアホルムのラウンジチェアに腰を下ろしていた。 太田が(ラタン)ならこの雰囲気に合うだろうと言って特別に置いているものだった。


太田があの茶碗を手の中で転がしながら言った。

「透くん。あの子、光瑠くん。ええ目しとるなぁ」

「ええ」

 透が静かに微笑んだ。

「この茶碗には、銘もない。誰の作かわたしも知らん。──けどな。四十年そばに置いてきて、わたしはずっと思っとた。これは確かに、古唐津の名工、中山の釜の祖、初代・善七の手のものやと」

 太田は、いとおしそうに茶碗の肌をなでた。

「あの子の目は、ほんものや。土の声を聴く耳を持ってる」


「…ええ。それに、もう一人」

 透がぽつりと言った。

「碧。あの子の目は光瑠とはまた別の目を持っています」

「ああ、そやね」

 太田は、嬉しそうに笑った。

「また今年も、おもろい新入生が入ったなあ」


透も嬉しそうにふふっと笑ったが、その瞬間、はたと思い出した。


「あ、碧はまだ入部してないんですけどね」


「え、そうなん?」



*4十畳写し(じゅうじょううつし):主に茶道において千利休をはじめとした歴史的な茶人たちが好んだ十畳の広さを持つ格式高い茶室の作りを指し、それを忠実に再現(写し)したもののこと


お読みいただきありがとうございます!

本作は、茶事や工芸に関する事柄や知識をある程度事実に基づいて表現しておりますが、名前やニュアンスを変えて表記している箇所もあります。流派や解釈による違いなどもございます。この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。歴史上の人物を絡めたくだりでも、あくまでもフィクションとしてお楽しみください。m(_ _)m

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