第十九服 夢中
その雰囲気に気圧されたのか、無意識に俺も光瑠も正座に座り直していた。
"透くん"
── 太田のその呼び方に、ちょっとした違和感を持った。
目の前にいる藤露透という人はいつもより増して妖怪じみて…いや、近寄りがたい気配があって、同じ人間階級にいるような生き物と思えない、なんというか気高さみたいなものがある。
(よほど親しい仲なんだな…まぁ、太田さんの方が年上だし、当たり前っちゃ当たり前か…)
それとも太田さんはこのあやかしに慣れたのか…もしくはそう見えているのは俺だけで、誰もそう感じていないのだろうか…?
光瑠の方を見ると、猫の如く瞳孔を小さくさせて、間抜けに口をぽかんとして涎を垂らさんばかりだ。
(いや、やはり俺だけが妖術にかかっているわけではなさそうだ…)
※くどいようですがそういう話ではありません。
「僕も、太田はんとのこのささやかな約束を、毎年楽しみにしとります。」
碧は、思わず、顔を上げた。
── …え? 京言葉?
学校で聞いたその人の声は涼やかな標準語のはずだった。
なのに今この茶室で透の口から出た言葉は、柔らかくまろやかな京の言葉だった。同じ人の口から出ているのにまるでもう一枚別の顔が現れたみたいで。碧は、透という人の知らない奥行きがまた姿を現してその変わりように不意にぞくりとした。
「毎年この日だけはほんによう晴れて。一度だってお天気が悪うなったことがない。
こうして春のはじめの麗かな日の中で、いろんなこと、なぁんも考えずに茶と向き合う。僕にとって、ほんに大切な時間です」
「ふふ、そやなぁ」
口角を上げた姿ですら、背筋に触れる妖艶さだった。
(妖怪じゃなくて、どっかの貴族の転生者か?)
ますます、ファンタジーの世界から脳が抜け出せなくなったところで、再び透の声が1トーン低くなってこう言った。
「それでは、一服差し上げます」
茶碗や道具たちを所定の位置に置き直し、帯から布を外すと、一度タンッという乾いた音をさせて布を払った。
そしてその布を丁寧に折り畳み、円柱の形をした茶の入れ物を撫でていく。茶を掬う道具も同じように布で拭き上げられた。
相変わらず一連の動作は何かの演舞のようだった。
しかしそれは碧が学校の茶室で見たときの所作とは、一段も、二段も、次元の違うものに感じられた。
釜の蓋を開けた時にふわっと昇った湯気が、その人の姿を幻想的に曇らせた。
ゆらりと柄杓をとり、茶碗に注ぐ。茶をたてる道具をその湯に潜らせ、それを丁寧に見つめた。
茶碗に茶の粉を入れると
カンッ
という音が空を切った。
茶を掬う道具を茶碗に当てて鳴らせたその音は「今から、あなたのために」と言っているようだった。
柄杓で湯を掬って茶碗に入れた。
その指先には操り人形の糸が結ばれて、柄杓を宙に浮かせているように見えた。
フワリと浮いた柄杓は再び釜の上に戻された。
男性とは思えない嫋やかな動きに見惚れているうちに、気づくといつの間にか雪乃が碧の元に茶碗を置いていた。
「フジ先生の点前は時間がゆっくり流れるみたいになるんや」昨日の銀次郎先輩の言葉が、碧の頭の中でふいに反芻した。
学校で、二度見たはずなのに。
この人の茶をたてる姿を。
透が静かに頭を下げる。一連の所作が、終わる。
碧の心臓はまた、どくんどくん、と大きく波打っていた。
胸の奥で何かが熱くなっていた。ずっと忘れていた感覚だった。子どものころ父のカメラが切り取る景色に目を輝かせていたあのとき。何かに心から夢中になったあのとき。── その熱が今、確かによみがえっているみたいだった。
(……すごい。なんだ…これ)
(俺も……あんなふうに、なれるんだろうか)
それは碧が久しく抱いていなかった願いだった。




