第十七服 なかなか始まらないお茶会
「では、私と雪乃は主室から参りますので、お二人はこちらからお入りくださいね」
そう言って案内されたのは、学校にある茶室と同じ、低く身を屈めて潜る小さな入り口=躙口。
中に入ると、学校の茶室よりも少し広い…六畳ほどだろうか。
床の間には、何かの本か、もしくはどこかの寺院で見たのか、見覚えのある字形が与えられた掛け軸。
(確か”爾今”と読むんだったけなぁ。意味は忘れた。)
天井から釜が吊るされて、釜からほんのり湯気が立っていた。
四角く切り取られた畳のなかに据えられた”炉”から、ぬるい空気が漂っているように見えた。
はて、どこに座るんだろうか…。
後ろを見ると光瑠もキョロキョロしている。
(おい!俺らどこに座るんだ?)
ヒソリと光瑠に声をかけると、
(えっと、俺もまだ茶会のこととかちゃんと習ってなくて…)
テヘヘと舌を出す。
碧は当たり障りないと思われる場所、いつもフジ先生が茶を点てているところから、炉を挟んで向かい側に座ることにした。
膝をつくと、張り替えたばかりなのだろうか、畳からひんやりとした青い匂いが高揚しつつある鼓動をふわりと巻き取ってくれた気がした。
しばらくすると、雪乃が奥の戸から茶室に入ってきた。先ほどの賑やかな印象とはまるで別人のように端然としており、その手には両腕で抱えるほどの大きさの籠と、ボウル型の器を持っていた。
炉の側にそれを据えると、続いて”太田はん”が茶室に入り無言で籠の隣に座った。
籠の中から、小さな箱を取り出すと
「香合でございます。欅に葦の沈金が施されておりましてね。木曽平沢の石井先生の作品でございます。」
「本日は、四月の終わりということで、少し気が早いですが伽羅の香木をご用意いたしました。どうぞお手に取ってご覧ください」
と言って、その箱を手前に出して、雪乃に運ぶように促した。
雪乃は太田から香合を受け取ると碧の目の前に静々と進み、その箱を畳の縁の外側においた。
(…何を言っているのか全くわかんねぇ!!! 日本語? ケヤキニアシノ?キソヒラ?何キャラ?)
行き掛けに頭に散らかしたネット情報を手当たり次第につまみ上げてみたが、参照できるソースはどこにも見当たらなかった。
差し出されたからには受け取るんだよな?この箱は開けるのか?開けちゃダメなのか?おいおい、誰か教えてくれ!
(やっぱり来るんじゃなかった…)
冷や汗を垂らしながら小さな箱を見つめていると、雪乃パタパタと手を動かしているのが視界上部に見切れた。
そちらに視線をやると、
ー両手で、取って、見て、蓋を開けて、見て、戻す!
ジェスチャーとともに声にならないパクパクと言葉を吐き出してくれていた。
(お、ありがとう先輩!)
恐る恐る箱を持ち上げる。
綺麗な箱だった。全体に黒く漆が塗られ、金色の細い線で植物のようなものが描かれていた。 (あ、チンキンってこれのことかな。)
蓋を開けると、粘膜に絡みつくような甘くしっとりとした香が放たれた。
うっとりしたのも束の間に、それは名残惜しくもなさそうに一瞬のうちに消え失せた。
蓋をして畳の上に戻すと、雪乃は指で光瑠の膝元をちょいちょいと指した。
(光瑠に回すのか…)
光瑠は、目の前に回ってきた小さな箱とりを、ぎこちなく碧に倣った。
“太田はん”に目をやると、何か鳥の羽のようなものを手に取って、無言で炉の縁を撫でながら、目線はこちらに向いていないが、俺らを厳しく監視するように視界の脇に入れていた。どうみても険しい表情を浮かべているのがわかって、それで再び汗が吹き出した。
“太田はん”はそのまま、長い箸のようなもので新しい炭を炉の中に入れ。それらの道具を片付けた雪乃を伴って、再び茶室の裏へ消えていった。
たった五分ほどの出来事、いや、もしかしたらもっと短かったかもしれない。
その間ずっと呼吸を止めていたのではないかと思うくらい、心臓が不規則に動いている。
早く息を吸わないと!と碧が思うより先に
「ぶはぁ〜!!!」
と大きな音を口から放ったのは光瑠だった。
「ヤベェ碧、俺、息止めてたわ! てかまだお茶出てこねぇし、いつになったら始んのかな〜」
「ぷっ。本当だな。 俺らマジで場違いすぎてウケる」
いつも通りの光瑠が助けられたのと、この場にいる自分たちが嘘みたいなのが笑えてきて、一気に緊張の糸が解れた。
そこから一、二分だろうか。
再び戻ってきた”太田はん”からは不思議と先ほどの険しさが消えていた。
田舎に遊びにきた孫を見るかのような柔らかい表情になり、ニコッと笑ってその場に膝をついて座り、こう続けた。
「本日はようこそお越しくださいました。本来の茶会では、この後、お懐石をお召し上がりいただくのですが、今日は趣向の違うカジュアルな茶会でしてね。重菓子と薄茶のお点前のみ、お楽しみいただければ幸いにございます」
(へぇ、本当は茶会って最初に食事が出るんだ…。)
「今日はね、お二人の他にお客様はおりません。どうぞ、おつらいでしょうから、足、崩してもろて構いません」
その言葉に、助かったとばかりに二人とも正座をほどいた。
「多比良くんにご正客を、と言っても難しいでしょうけど、まぁこのままで参りましょか」
そういうと“太田はん”は、光瑠の隣、躙口に近い方に膝を下ろした。
(ご、ゴショウキャク…?え、太田さん、出口の近くでいわゆる下座みたいなところに座っちゃったよ…え、いいの?)
でも、この位置が正解だったら、何か言うのめっちゃ失礼だし…詰め込んできたネット情報はもうほとんど空っぽだったので、ゴショウキャクなんて言葉は当然見当たらなかった。もう脳内検索をするのはよそうと諦めた。
(はぁ、この茶会は無事に終わるのかな…)
いよいよ帰りたくなってきた碧の横には、正座を崩せてすっきりした光瑠が能天気な顔をして座っていた。




