第十三服 茶道部の先輩
翌日の昼休み。
「碧! 聞いたぞ、お前フジ先生に明日の茶会誘われたんだって?」
B組の教室に駆けこんできた光瑠は、昨日のことなんて全く気にしていない素振りで嬉しそうにじゃれついてきた。その様子に少しホッとした。
(あの美形妖怪はフジ先生って呼ばれてんのか。全然似合わねぇけど、まぁ苗字が”藤露”だもんな)
「あー、いや…たまたま、出会して…って、え、お前そのことなんで知ってんの」
昨日あのあと、あの茶室に行ったことを知られたくないあまりに、ダサい誤魔化し方をした自分に変な汗が吹き出す。
「俺も誘われたからに決まってんだろ! 今朝メッセージきてさ!昨日、お前に会って誘っておいたから、俺もぜひおいでって!やった、碧と一緒なら心強いぜ〜!」
それを聞いて、碧の肩から少しだけ力が抜けた。確かに茶会という未知の場所に、知った顔がいるだけでずいぶん心強いのはその通りだ…。
「って、いや、俺まだ行くって返事してねぇんだけど」
「だよな〜いきなりフジ先生の茶会なんて緊張するよなぁ〜。なあ、今日の放課後、ちらっとでいいから部室に顔だそうぜ。茶会のこと、先輩たちも話してたからさ」
光瑠の耳に入った俺の声は、脳内で何か別の言葉に変換でもされているらしかった。
「いや、俺、部員でもないし」
「いいんだって!じゃぁ放課後また迎えにくるからな!帰っちゃダメだぞ!」
* * *
茶道部の部室は、旧校舎のいくつかに分かれた棟の第二棟の三階にあった。
三階に上がると学校らしい廊下が長々と続くが、延々と柱と襖が続くその先にあるのは教室ではなく、全てひとつづきの大広間となる和室である。 そこではいくつもの古い芸事を嗜む部活が、それぞれの活動日に合わせて襖を仕切り、共同で使っている。
曜日によってこの和室を使う部活もその広さも違うので、鴨居にはその日ごとに使用されている部活名が書かれた古い木札がかけられていた。
四月の四週目となる金曜日の今日は、手前に大きく場所を取り日本舞踊部が活動していた。三味線部と合同で練習しているようで、爪弾きと小唄が襖越しに流れてくる。
鼓を打てる人もいる様だった。一人だけやけに調子の良い音と囃子声を出すので、講師かプロの人でも呼んでもいるのだろうか。
――いつだか、親父に連れられて、石川県の・加賀という地で能をやたらと見せられた時期があったのを思い出した。 その時親父は、人間国宝の能楽師のドキュメンタリーを撮っていた。
一番奥の鴨居に「茶道部」の文字が書かれた古い木札がかけられていた。茶道部だけは基本この一番奥しか使わない。なぜなら、水回りの設備があるのはこの一番奥だけだからだそうだ。
光瑠が、いつもの如く躊躇なく、スパンッと軽快な音を立てて襖を開けると、中では背筋のすっと伸びた涼やかな長身の女性が、稽古に使うための道具などの支度をしており、畳の上には茶碗や道具が並べられていた。
綺麗に整えられたストレートの髪の毛を一つにまとめ上げ、金色の縁の丸いメガネがよく似合っていた。
「光瑠くん。今日も元気やねえ」
やわらかな京言葉だった。ふふっと柔らかく笑って後れ毛を耳にかける仕草も、制服の着こなしにも品を感じる。
「千歳先輩! こいつです!話ていた俺の友達の碧!こいつもフジ先生に茶会誘われたんすよ」
「まあ」
千歳と呼ばれた先輩は、碧をちらりと見て、ふっと目もとをゆるめた。
「あの先生が、自分から人を誘いはるなんて、めずらしい。……よっぽど君のこと気に入ったんやねえ」
見透かすようなその言い方に、碧は、知らず背筋を伸ばしていた。
あの美形妖怪…いやフジ先生といい、この先輩といい、茶の世界の人はこう人の奥をのぞきこんできる人が多いのだろうか。
「お、噂のイケメンやな?」
奥から体格のいい男子の先輩がにっと笑って出てきた。
「お、イケメン!ええ体つきしとるなあ。なんか運動やっとったやろ? 茶道、きっと向いてるで。手先器用そうやし」
ずいっと顔を近づけてきてガシッと肩を掴まれた。そのまま品定めをするように腕やら脇腹やらをガシガシと大きな手で揉掴み、最後にケツをパンッと叩かれた。
「ぎ、銀次郎先輩、距離!距離、近いっす」
光瑠が、けらけら笑う。
(なんだよ茶道部のメンズは、あいつといい、やっぱりそっち系なのか)
銀次郎という名前がしっくりくる、色素が薄く切れ長の目に、短く刈り上げられたスタイリッシュなショートヘア。ニカっと笑う時に見せる八重歯がその雰囲気を少しキュートにしてくれる。
「なんや、まだ入部もしてへんのに、もう茶会デビューかいな。ええなあ。フジ先生のお手前は、そらもう別格やからな。しっかり目ぇ見開いて、見てきたらええわ」
あの茶室で二度見た、あの人の茶をたてる姿…。どこか人間らしからぬ雰囲気だったのは確かだ。
(茶をたてることを”お点前”っていうのか)
「どや碧くん、せっかくやし、一服点ててみいひん? すぐやで」
「い、いや、俺は今日はほんと、見学っていうか」
「またまた、遠慮せんでええのに」
――関西弁のテンポに、碧は完全に押されっぱなしだった。横で光瑠が楽しそうに笑っている。助ける気はまるでないらしい。
「銀次、無理強いはあかんて。 」
「そや碧くん、これ、持ってみ?」
千歳がそばにあった一碗を取って差し出した。
見るからに繊細そうな薄さの、口が大きく開いた茶碗だった。おそるおそる両手で受け取ると、手のひらに伝わる土のざらつきが心地よかった。
光瑠が言っていたように、これも誰かが土から形を起こし、火をくぐらせて、誰かの人生の瞬間に息が吹き込まれる。それが今こうして自分の手のひらにある。
そう思うと、急にふしぎな心持ちになって、いろんな角度からこの茶碗の中にあるその物語を見たくなった。碧は自然と茶碗両掌の中で動かしていた
「うん、ええ手つきや」
千歳が、くすりと笑った。
「茶碗はね、見て、触れて、口をつけて――そうやって、人と人のあいだを行ったり来たりしてゆっくり陶冶されていくもんなんよ。 碧くん、きっと筋がええと思うよ」
「い、いや、俺はただ、珍しくて」
あわてて両手で茶碗を返すと、千歳は、ふふ、と目を細めて笑った。
気づくと間合いを詰められている二人の先輩に、すっかりたじたじの心地だった。普段は自分が場をまわす側なのに…。
あとで光瑠がこっそり耳打ちしてくれたが、千歳先輩は、京都の老舗の呉服屋のお嬢さん。銀次郎先輩はこれまた名の知れた老舗料亭の跡取りなのだという。着物と料理。どちらも茶の道とは切っても切れない世界なのだという。
――この部には、そういう連中が当たり前みたいに集まってくるのか。根なし草の自分がひとり場違いに紛れこんでいる気がして、碧は首のうしろを掻いた。
それでも、わいわいと賑やかなその部室は、思っていたよりずっと居心地がよかった。格式ばってもいないしよそよそしくもない。ただ、ここにいる誰もが「茶」という世界にまっすぐに向き合っている。
そういう場所に身を置くのも悪くない。それは碧にとって長く忘れていた感情だった。




