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第十服 また、きてよ。

 前回の茶碗は確か、赤み掛かった焦茶色で、手触り感のある印象だった。


 今、自分の正座した膝の前に置かれたそれは、薄紅の被膜を白地にゆるりとかけたような柔らかさを湛えている。大きさも一回り小さい気がした。

 その小ぶりな椀に漂う緑色の液体が放つ芳香は、前よりもずっと青々しく感じた。



 両手で茶碗を持ち上げる。



 その人はただ見ているだけで、なにも俺に茶道の礼儀等を教えてくれない。


 少し、心の準備をしてゆっくり口に運ぶ。



 ーー!

 ーー全然…違う。


 苦いのに、その中に爽やかな甘酸っぱさがある…という表現が正しいのかわからないが、以前に口にした時に舌に触ったあの絹様にほどけていく滑らかな感じではなかった。頬の内側から(うるおい)が満ちて、サラサラと喉を湿らせ通り抜ける感覚だった。


 何より、今回は目の前の世界が色濃くなったり音が迫ってくることはなかった。その代わり…この小さな茶室が…もっともっと広くなっていった。もっと広大な外の世界、薄曇りの沖融たる空の下で大地に身を預けているような…。


 それはほんの一、二秒のあいだだった。ぬるく涼しい風に首筋を撫でられ、すっと潮が引くようにそれは消えていった。


 自分の鼓動は正常だった。むしろ数秒前よりもずっと静かだ。碧は、茶碗をそっと膝の前に置いた。藍色の着物を着た目の前の人は、碧の様子を相変わらず静かに見てるだけだった。



「あの、このお茶は、前と同じ、薄茶(うすちゃ)?…じゃないんですか?」

「へぇ、わかるんだ!すごいね!」

 その美男子は面白そうに目を細めた。


「え?やっぱり違うんすか?」

「ううん、同じ茶だよ」

「えっ」


 うふふ。と笑ったその人のは、やーいひっかかた〜と言わんばかりの、まさに小学生がイタズラするときの目をしていた。


「どうしてそう感じたのか、もう少しお茶のことを知れば、わかるかもね」


 華麗に片目から星を飛ばしてきた。

 この世の中にウィンクをする人が本当にいることに驚きだが、それよりもこの人のキャラクターに俺は何をしても叶わない気がした。おそらくこれ以上何かを聞き出そうとしてもはぐらかされて終わりなのを悟ったので質問するのをやめることにした。


「じゃぁ僕から質問してもいいかな?」

 中性的な美貌に笑いかけられ、


(相手の質問は逸らかすくせに、自分は意のままに相手の心を弄ぼうとする。こうやって女を泣かせているんだろうな。あ、いや、もしかしたら男かもな)


と勝手に納得した。(ついでに余計な想像も加えてみた)


「(何か引っかかる意念を感じた気がするけれど…)この間と、今回とはなに違う様に感じたところがあったのかな」

「えっと、味…です」

「それだけ?」

「それと…なんか上手く言えないんすけど…」

 そう言って、その先の言葉を声に変えることに逡巡した。


 自分の目に映ったものや音の感覚、肌に触れたように感じた何かを伝えたら、変なやつだと思われる気がした。


(いや、待てよ。俺が感じた事象が、こいつのかけた妖術なら、もはやそれが正解なのか。これは試されているのか)←違う


 なんだかどうでも良くなってきた碧は口を開いた。


「飲んだとき、変な感覚になったんです。この間は、ちょっと甘いかなって思った瞬間に周りのいろんな色がちょっと濃く見えたり、音がくっきりしたような感覚になったり…」

「で、今日は全然違ったんです。味はなんていうか、もっと爽やかに感じて。で、この部屋が全然違う空間に飛んでっちゃって。曇り空の下で、ごろ寝してるみたいな…」

 そこまで言い終わって目の前の美青年を見上げると、その人は眉を顰めてポカンとした顔をしていた。


(ヤベェ、違った!お前の妖術にかかったテイだったんじゃないのかよ。

 茶を飲んだらいきなり曇り空の下で寝転んだ。だ? ただの変なやつになったじゃねぇか。 恥ずすぎだろ!)


 正座した膝の上に握った掌は変な汗でいっぱいになっていた。


(あぁ、言わなきゃよかった)


「あはは。君、すごくいいね。おもしろーい」


 その美青年の"面白い"という言葉には、おちょくりたいというニュアンスが含まれているように感じて仕方なかった。


そしてその青年は続けた。


「君は、きっといろんなものを見てきたんだね」

「えっ?」

 唐突な言葉に、碧は戸惑った。


「…なんで、そんなこと…」

「目を見れば、わかるよ」

「!?」

 土色と淡い紫の花弁が開く瞳が、いつの間にか自分の鼻先の15センチのところにあった。


「え、あっ…」


(やばい、絶対こいつあやかしだ…!じゃなければ、あれか!この場で俺の青春捧げることになるやつの方だったのか…!)


 ちょっとしたパニックにどうしようもなく目を瞑った碧を揶揄う様に、滑らかな絹糸様の何かが碧の眉間の間を撫でた。


 目を開けるとその人はすでに立ち上がって、碧の元から茶碗を取り片付け始めていた。


 虚しく取り残された碧に向かって、その美形は微笑んだ。


「また、きてよ。いつでもいいからさ」


*  *  *


 ※注意:この小説は純粋な学園青春スポーツ物語です。


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