いつものわたしたち
「お前たちで、選べ……」
そう言って、アヤさんはわずかに残った影の中に溶けるように去っていった。
「幹は、俺だな」
スッと息を吸ったヒロさんが、言った。
「えっそんな……」
「お前なに言ってる!?」
私もサチさんも、受け止めきれない。
腰を浮かしたサチさんのせいで、紅茶がカタンと揺れた。
ヒロさんは紅茶の波紋が収まると、紅茶を一口飲んで続けた。
「俺が適任だよ」
微笑みさえ浮かべそうなほど、ヒロさんはすっきりした顔をしている。
「そんな……ヒロさん、欲ができたって……」
――ヒロさんはもっと世界を見たいって言ってた。
「ヒロさんが、無くなっちゃうかもしれないんですよ……?」
ヒロさんの凪いだ横顔を見つめた……。
「カナエ、違うよ。無くならない」
ヒロさんは視線を紅茶においたまま、静かに話す。
屋上でのお茶の時間みたいな……ゆっくりの、いつもの調子だ。
「……俺は、世界が美しいと知った。夕陽も、朝焼けも夜空も……」
「でも、1番心を打ったのは人だったよ」
ヒロさんが私を見て微笑んだ。
わからなくて首を傾げると、また少し笑って、目線を紅茶に移した。
波紋のない水面にヒロさんの顔が写っている。
「悩んで、迷って……でも前を向く」
「愛おしいと思ったんだ。俺がそんな世界を育めるなら……これ以上は、無い」
ヒロさんはゆっくり紅茶を飲んで、ソーサーに戻す。慣れた手つきで、小さな音も立たない。
「寂しくは、無いんですか?」
私の声は震えてしまう。
「カナエと、サチが俺の世界には居るんだろう?寂しいと思う暇がないさ」
ヒロさんがこちらを振り返って、優しく頭を撫でた。
「だから、そんな顔するな。ほら、また泣いたら目が溶けるぞ」
ニコっと笑うヒロさんはいつも通りで、何だか肩から力が抜けた。
「……もうっ。泣いてない!……子供は卒業したの」
鼻を啜ったらズッと間抜けな音が出てしまって、ヒロさんに笑われた……。
私も少し、笑う事が出来たと思う。
「……それは、お前自身の答えなんだな?」
サチさんはテーブルに手をついて、ヒロさんを見下ろす。
「負目や、自分を憐れんでる訳じゃ無いのか?」
いつか、ヒロさんの為に対価を差し出してサチさんに止められた。
あの時とは違う。
サチさんの声は、止めてない。
確認するような、揺れない声。
「ああ、サチ」
ヒロさんはサチさんを見上げる。
「俺は俺になれる」
「充分過ぎるほど、幸せだよ」
そう言って笑うヒロさんはどこかワクワクして見えた。
サチさんがはぁっと大きく息を吐いて座り直した。
「……全く無駄に育ちやがって」
「はは……そう言うなよ。それにまだ試されても無いから、答えも何も無いけどな」
あ――。
「ほんとだ!」
「いや、ここまで言ったんだからお前何か考えてんじゃねぇのかよ!?」
「いや……あんまり」
はは……と、呑気に笑うヒロさんがあんまりにもヒロさんで、私はサチさんと目を合わせて吹き出してしまった。
お別れはすぐそこ……でも、いつもの私たちに戻れて、よかった。
「お前の腹が決まったんなら……次は俺だな……」
サチさんは何か呟いていたけど、私が聞くことは無かった。




