乾杯と完敗
ガラスの割れる派手な音が路地裏に響いて消えた――。
何が起こったのか、ヒロには一瞬わからなかった。
武芸も護身術も、限界まで叩き込まれてきた。
でもわからなかった。……サチはなぜ投げた?
振り返ると、サチも何をしたのかわからない顔をしていたのに……笑い出した。
しばらくそうしていると、顔を覆って膝を折った。
何事かとカナエと歩み寄ると、サチは顔を上げた。
「お前らに聞いといて欲しい事があるんだ。俺の妹はもう死んでるんだ」
今度はカナエが息を飲んだ。
妹――。
ただ、ヒロは――自分は憑き物が落ちたように穏やかなサチの顔を見ていた。
「……妹さんがいるから、帰らないとって……」
カナエがやっと声を出した。
「あぁ……死んだなんて、認められなかった」
サチは思い出すように空を見上げた。
しばらくそうやって何も言わなかった。
握り込んだ拳が震えているように見えた。
「俺は、ずっとあいつを理由に生きてきた」
「俺はほんとに大馬鹿野郎だ。でもな……今やっと、ユキを……」
続きは言葉にならなかった。
カナエが泣いている。
サチが、泣いている子供のようにも、死に際の老人のようにも見えるからだろうか――。
「バカ、そんなに泣くな、目が溶けちまうだろうが」
言ってサチはカナエの頭をポンと撫でた。
「……っ子供扱いは……やめる約束です!」
「ははっ約束はした覚えがねぇなぁ。……お前も、男がそんな泣いてんじゃねぇぞ」
頬に何かが滑る感覚。
何かと触れば指先が濡れた。
「なぜ?」
「さぁ……知らねえな。……でも、そのうちわかるんだろうぜ」
そう言ってサチは乱暴に頭を撫ぜてきた。
何が起こっているのかわからないけれど、サチの震える手はとても暖かかった――。
食堂には夜の明かりがさしている。
サチは一人グラスを傾けていた。
「弔い酒か?」
アヤが暗闇から浮かび上がるように現れて、サチの向かいに腰掛けた。
「驚かすな。……弔い酒にはまだ早ぇよ」
飲むか?の意味で酒瓶を軽く上げれば、どこからかアヤの手元にはグラスが置かれる。
注がれた濃い酒の香りがふわりとたった。
「若い者の成長は早いな……」
グラスを揺らして、香りを楽しみながらアヤが呟く
「ババァくせえ事言ってんじゃねぇや。……まぁ、同感だな」
「負けていられないな」
「当たり前だ。こんなみっともねぇ兄貴に弔われちゃあユキだってかなわねぇだろ」
アヤがニヤリと笑んでグラスを掲げた。
「二人の成長に」
「あぁ……乾杯」




