真夜中の白昼夢
「よく戻ったな」
アヤが静かに出迎えた。
「……お前!!」
サチが床を踏み抜くような勢いで立ち上がりアヤに迫った。
「なんで言わなかった!死ぬとこだったんだぞ!!」
「だが、生きて戻った」
「結果論だろうが!お前は人をなんだと思ってやがる!!」
言った瞬間空気が変わった。
アヤが射るような目でサチを見据える。
「……お前よりよほどわかっているつもりだ」
「ーっ!……貴様!!」
サチは殴るつもりで腕を振り上げた――。
ガチャン!!
二人の間で茶器が割れるほどの音を出した。
ついで後ろからも音がする。
砂糖壺とミルクポットが中身を溢しながら揺れている。
カナエの包帯の上から洗われて真っ白になった雑巾がしがみついている。
――わずかに震えて、泣いているように見えた。
「……!カナエ!」
駆け寄って名前を呼ぶが意識がない……。
「……場所を移すぞ。お前は少し離れてろ」
雑巾はいやいやと揺れて、カナエから離ようとしない――。
揺れた雑巾には血が滲んでいる。
「……わかったから、俺だって心配してる」
唇を噛み締めて雑巾ごとカナエを抱き上げる。
わずかな抵抗を感じてみれば、カナエが引きずり込んだ男の腕を掴んでいた。
こちらも意識は無いようだが、わずかに胸が上下している。
「よかったな嬢ちゃん、こいつちゃんと生きて――!」
男の胸ポケットから淡い光が漏れて、アヤに飛んでいった。アヤの手の上で光は収束し、くしゃくしゃになったタバコが現れた。
「彼もまた招かれた。……これは必要な物ではなかったようだがな」
タバコはもう一度うっすらと光り、アヤの手の中に消えた。
夜――。
カナエはモゾモゾと動く気配に目を開けた。
窓からは銀河が星を流している。
雑巾が擦り寄るように頬を撫でている。
「あ……ただいま……うわ、汚しちゃったね。せっかくサチさん、綺麗にしてくれたのに……」
帰ってこれた……。
「んっぐぅ……」
帰って来れた。だから思い出した。
あの砂埃と、硝煙に混じった、血の匂い……。生々しい……戦争の世界。
「吐けるなら、吐いてしまえ……楽になる」
いつからいたのか、アヤさんが洗面器をカナエに差し出し、背をさすった。
吐くものはほとんど無くて、ただ沁みる胃液を吐き続けた。
「もう、大丈夫です。ありがとうございます」
アヤは微笑んでカナエの顔にかかった髪を払った。
「心配した。死んでしまうんじゃないかと思って、本当に……」
払った手を頬に滑らせ、一つ撫ぜた。
「心配してくれて嬉しいです。でも、大丈夫ですよ!サチさんが言ってた事思い出して、帰り道ちゃんとわかりました!」
「本当にしっかりして……見違えるようだわ」
「うふふ……それに前より自分の言いたいこと言えるようになった気がするの。あ、でもこの前は怒鳴っちゃってごめんなさい……」
言って、目を伏せる。
「サチさんを見捨てたみたいで腹がたっ……た……」
見捨てた……踏み越えた赤……聞かぬふりをした悲鳴。
「たくさん……見捨て……て……そういえば、あの男の人」
枯れた古木……。
「気になるの?」
「もちろん――え?」
「私の事は忘れたのに?」
それはお母さんの顔をしていた。
「…………う……ん」
朝の光が室内を照らす中、カナエは目を覚ました。
何か夢を見ていた気がする。
大事な事だった気がするのに。
――思い出せない。
ガチャン!
ドアの側では茶器がブルブル揺れながら飛び上がって寄ってくる。
起きたのか!さぁ飲め!と、入れてくれる紅茶はもはやホットミルクだ。
「カナエ!起きたのか!?」
音に気づいたサチさんが泡のついた雑巾を握りしめてやってきた。雑巾は抵抗の限りを尽くしたらしい…しおしおしている。
「サチさん!大丈夫です。ちょっとフラフラするけど、なんともないですよ」
「それをなんともないとは言わねぇが……顔色も戻ってきたな、良かった」
「それより、あの男の人は?大丈夫でしたか?」
「それなんだがな……」
「あの男、なんか妙なんだ……」
「みょう?」
思わず首を傾げた。




