第四話「風を読む者」
**第四話「風を読む者」**
**第一章:玄界灘の暴風予報**
至元十一年(1274年)十月、朝鮮半島南端・合浦。
港は、数百隻の異形の軍船と、三万を超える蒙古・高麗の兵で足の踏み場もないほど埋め尽くされていた。船影が海を黒く塗りつぶし、兵の上げる勝鬨が空を震わせる。
その喧騒から離れた見張り台の頂で、平景明は一人、風を孕む掌を見つめていた。
「景明殿、元帥のお召しだ。出航の時期について、いよいよ決断を下すとのこと」
高麗の副将が息を切らせて駆け登ってくる。景明は静かに頷き、空を見上げた。雲の流れる速さ、潮の匂い、そして皮膚を突く湿気——八十年にわたり対馬の孤島で蓄積された平家の観象術が、脳裏で緻密な計算を弾き出していた。
元軍の総司令官・忽敦の幕舎に入ると、蒙古の将校たちが地図を囲んで激しい議論を戦わせていた。
「なぜすぐに出撃せぬ! この大軍、一日置くだけで兵糧が消えていくのだぞ!」
「急ぎ博多へ押し寄せ、鎌倉武士どもを蹴散らすべきだ!」
血気にはやる将校たちを制し、景明は冷ややかに言い放った。
「焦る者は海に沈む。これより十日の間、玄界灘には『魔の南風』が吹く。今出航すれば、博多に着く前に半数の船が岩礁に激突して露と消えよう」
将校たちが殺気立ったが、景明は動じず、手にした羊皮紙の海図を机上に広げた。
「十月三日。風が北西に変わり、海が平穏を取り戻す唯一の『隙』が生じる。出撃はその一刻のみ。私が先頭の舟に乗り、安然と博多湾へ導いて見せよう」
**第二章:仕掛けられた楔**
出航までの猶予期間、景明の暗躍は海の上だけに留まらなかった。
夜陰に紛れ、黒島の平家水軍の快速船が数隻、合浦の港を密かに出港した。目指すは対馬・壱岐を飛び越えた先、肥後(熊本)と肥前(佐賀)の沿岸である。
船に乗っているのは、かつて壇ノ浦で散った平家一門の血を引く密使たちであった。彼らが携えているのは、景明がしたためた一通の密書と、平家の家紋「丸に揚羽蝶」が刻まれた漆黒の木札である。
密書の宛先は、鎌倉幕府の御家人でありながら、かつて平清盛の恩義を受け、今も不遇の扱いを受けている肥後・肥前の旧平家系豪族たち。
『鎌倉の源氏勢は、汝らを捨て石として蒙古にぶつけるつもりである。我が手には壇ノ浦より持ち出されし正統なる神器あり。蒙古の手を借りて源氏の世を終わらせ、九州を平家の手に戻す時が来た。蒙古軍が博多に上陸した折、内より応じよ』
密使を見送った景明は、黒く蠢く夜の海を見つめ、低く呟いた。
「風を読むとは、空の風だけにあらず。人の心の風をも読むということ……」
史実では「神風」と呼ばれた猛烈な嵐の時期を完全に回避し、さらに博多防衛の足元に巨大な楔を打ち込んだ。
十月三日、未明。
景明の予言通り、玄界灘の暴風は嘘のようにやみ、雲の切れ間から静かな月光が海面を照らし出した。
「全軍、出航!」
忽敦総司令官の号令とともに、三万の異国勢と、平家の怨念を乗せた大艦隊が、静まり返る日本の海へと滑り出した。歴史を塗り替える文永の役の火蓋が、ついに落とされたのである。
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**次回(第五話)のご案内**
第五話「対馬・壱岐の露払い」
圧倒的物量と蒙古鉄砲の火炎が対馬・壱岐を襲う。景明のナビゲートにより史実以上のスピードで侵攻する元軍。対馬守護代・宗助国らの壮絶な抵抗と、景明の胸に去来する複雑な想いとは?




