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メインクエスト

 夕暮れの寒空に学校のチャイムが響く。

 今日もまた、1日が終わり教室内は帰宅の準備に全員が取り掛かる。

 僕も、教科書などを鞄に入れ、教室を後にする。

 廊下は寒く、窓からは夕日の光が差していた。

 昇降口に向かうと、下駄箱の前には誰かが立っていた。

「あれ、正樹?」

 そう思い近づいてみると、……違う。正樹じゃない。

 しかし、見覚えがある。

 黒いロングコート、黒に白の帯が目立つフェドラハット、顔は俯いていた。

「まさか……ファントム?」

 名前を呼ばれ反応したのか、俯いた顔がゆっくりと上がり、目線があった。

 いや、そう感じたと言った方が正しいかもしれない。

 なぜなら、顔は黒く表情どころか部位がない。

 目の前に僕が操作しているゲームの主人公がいる事に驚き、逃げたくても体が動かない。

 ファントムは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 ……逃げたい、早く……体動いてくれ。

 気づくと、人一人分の距離まで迫りファントムは立ち止まった。

 逃げたい。でも体が動かない。呼吸が荒くなってくる。

 目の前にいるファントムから目を逸らすこともできない。

 僕の歯が、あまりの恐怖に音を立て、体も震える。

 すると、目の前にいるファントムがゆっくりと右腕を伸ばし、開いた右手を僕の体へ近づいてくる。

 ファントムの右手が僕の体に触れた。とても冷たく、まるで氷のようだった。

 「……え」

 次の瞬間、開いた右手が徐々に、僕の体の中に入ってきた。


 思わず僕は飛び起きた。

 「はぁ……はぁ……」

 辺りを見渡すとカーテンの隙間から朝日が差し込み、凍えるような寒さの僕の部屋。

 「ゆ……夢か……」

 体の中で流れ続ける血流は冷たく、部屋の寒さも感じないほど体温さえ奪われる。

「翔、朝だよ」

 ドアの向こうから母さんの声が聞こえた。

 横にある目覚まし時計を見ると7時04分。

 少し寝坊したらしい。昨日やっていたゲームと、なかなか忘れる事の出来ない悪夢。

 ゲームはゲーム、悪夢はただの意味の無い夢だ。

 頭を切り替えて、早く起きないと。

「……起きてるよ」

 ドアの向こうの母さんに返事をしたが、何も反応がない。

 よく耳を澄ましてみると、階段を降りる音が聞こえ、どうやら母さんは返事を聞かぬまま一階に降りて行ったようだ。

 ようやく布団から出てドアを開けると、窓から差し込んでくる光は暖かいが廊下は白い息が出るほど冷え切っていた。少し歩き階段を下り、そしてまた、少し廊下を歩きリビングのドアを開ける。

「おはよう……」

 リビングに入ると、味噌汁の匂いが漂い、お腹が空く。

 台所には母さんがいて、リビングテーブルには父さんが新聞を読んでいた。

 僕の声に気付いたのか、大きく広げた新聞を少し内側に寄せ、顔が見えた。

「……おはよう」

 そう言うと、再び新聞を広げ読み始める。

「おはよう、もう少しでご飯できるから準備手伝って」

「わかった」

 お母さんは、時折鍋に入った味噌汁の様子を見ながら隣のコンロで三人分の目玉焼きを作っていた。

 僕はパジャマ姿のまま、食器棚に行き朝食の準備を手伝う。

 箸、お椀、小皿を三人分を用意し、盛り付けをする。

 その間も味噌汁の匂いと、香ばしい目玉焼きの匂いがリビングに広がった。

 父さんが座っているリビングテーブルに朝食を用意し、僕と母さんも座る。

 暖かい室内でも見える盛りつけされた品々から立つ湯気を前に手を合わせる。

「いただきます」

「……いただきます」

 新聞を折りたたみ少し遅れて父さんも言う。

 朝食を食べ始めてすぐに父さんは、テレビのリモコンを手に取りテレビをつけた。

 テレビからは朝のニュース番組が流れ、今日の天気や占いなどをやっていた。

 しばらくしていると、コーナーが終わったのか賑やかだったトークが静かになり進行していた女性アナウンサーの声のトーンが変わった。

 「……昨夜未明、青森県淡里市合影町(あおかげまち)のアパートで女性の遺体が発見されました。」

  心臓の鼓動が早くなり、僕の体に流れる血流が凍りついた。箸を止め、思わずテレビを凝視する。

 「被害者は真壁麻美さん23歳。警察によりますと、昨夜何者かが真壁麻美さんが住んでいる部屋に侵入し寝ている真壁麻美さんを絞殺したと思われます。犯人は見つかっておらず行方を追うと同時に、付近に不審な人物がいないか調べるとの事です」

 昨日やっていたゲームの内容に酷似しており、それに僕が住んでいる涙打町(なみうちまち)から少し離れた町だ。

「どうしたの?」

 隣にいる母さんが僕に話しかけてきたが、言えるはずがない。いや、言ったとしても馬鹿げた話で注意される。

「……いや、なんでもないよ。ただ怖いなって」

「そうね。合影町で殺人事件なんて物騒だね」

 箸で味噌汁の中を軽く混ぜ一口飲み、テーブルに置いた後父さんが割り込んできた。

「あんまり気にしすぎるな」

 父さんはそれを言った後、食べかけの目玉焼きを食べた。

 父さんが言う通り、あまり気にするのは良くないかもしれない。

 ただ、違うんだ。

 あまりにも偶然過ぎて腑に落ちない感じで、まるでゲームで起きた事が現実に起きたのか、と考えてしまう。

 止めていた箸を再び動かし、ご飯、目玉焼き、そして最後にぬるくなった味噌汁を飲み干し完食した。

 テレビに表示されている時間を見ると7時38分。

 僕は急いでシンクに食器を運び、母さんには申し訳ないが皿洗いをお願いした。

 母さんは微笑み、軽く頷いた。

 まだ朝食の匂いが残るリビングを後にし脱衣所へ向かい学生服に着替え、もう一度二階の自室に行き今日使う教科書や筆記用具が入っている学生鞄を手に取り玄関へ向かった。

 靴を履き玄関の扉を開けると、外の冷たい風が家の中に入った。

 温まった体が徐々に冷えていくことを感じながら学校へ向かう。


 早朝もあって寒さが身に染みる。

 昨晩に、また雪が降ったのか道に真新し雪が太陽に照らされ輝いていた。

 目の前に続く道には、まだ足跡はなく後ろを振り向くと僕が歩いてきた足跡だけが残っていた。

 しばらく歩き続けると十字路にあたり、そこには左右から誰かが残した足跡が複数あり向かう方向はすべて、僕がこれから歩く方向へと続いていた。

 混ざりあった複数の足跡に新たな足跡として僕も混ざり、この足跡と同じ方向へ向かう。

 白い吐息を口から出しながら、ようやく僕が通っている学校の校門にたどり着いた。

 校門の奥にある雪を被った時計を見ると時刻は7時52分。

 授業までまだ時間はあるが、いつもより遅く着いた事もあり僕は早歩きで学校に入る。

 昇降口はいつもと変わらず寒さが残っていた。

 白い息を吐きながら靴入れに向かうと、今日の夢が脳裏によぎる。

 この場所でファントムと出会い、ゆっくりと自分の中に入るような夢を思い出し立ち止まる。

 だが、夢は夢で気にする事はないと頭を振り、内履きに履き替え教室へ向かう。

 教室に入るといつもと違う雰囲気であった。

 いつもは騒がしくないのに今日に限って騒がしい。

 窓際にある自分の席に向かって歩いていると近くにいる女子二人の話し声が聞こえた。

「ねぇ、ニュース見た?」

「見た見た。合影町で殺人事件って怖いよね」

「物騒だよね。しかも犯人はまだ捕まってないって」

「そのうち、この町にも来たりして」

「変なこと言わないでよ。夜寝られなくなるじゃん」

 僕は静かに席に着き、また思い出してしまった。

 ゲームの事件が現実に起きたのではないか。と。

 これは誰にも相談出来なく、どう考えても偶然だ。

 そんなの分かっている。

 有り得るはずがない。だが、もしかしたら……。

 頭の中は、まるでメリーゴーランドのように繰り返し自問自答し終わりが見えない。

「おはよう。みんな、席に着いて」

 気づくと、教室には中村先生がいた。

 あれほど騒がしかった教室が徐々に静まり、生徒達は自分の席につく。

 中村先生は教卓に着くと、全員が席に着いたことを確認し話し始めた。

「みんなもニュースなど見て知っているかと思いますが、隣町の合影町で事件がありました」

 全員が先生に注目している。

 しかし僕は耳だけを先生に向け、窓の外を眺めている。

 中村先生はさらに話し続ける。

「犯人は逃走中で、どこにいるか分かりません。安全を考えしばらくの間は授業終わり次第下校となります」

 静まり返った教室に一人の女子が発言をする。

「先生、部活はどうなるのですか?」

「部活も、しばらくの間は中止です。それと下校時間には近所の皆さまとの協力で見回りをします。見かけたら挨拶をお願いします」

 話が終わると同時にチャイムが鳴った。

「では、チャイムが鳴りましたので全員廊下に集まり体育館へ」

 全員一斉に席から立ち上がり、廊下に向かう。

 もちろん、僕も廊下に向かい、適当に並び中村先生の号令で体育館へ向かった。


 体育館へ着くと、全学年が綺麗に列を作り並んでいた。そして僕達も指定の位置に並び、全員ステージに顔を向ける。

 しばらくすると校長がステージに上がり、中央にあるスタンドマイクの前に立つ。

「皆さん、おはようございます」

「おはようございます」

 全校生徒が一斉に上げた声が体育館の中に響き渡る。

 昨日起きた事件の内容が忘れるほどだ。

 声は一瞬で止み、体育館の中は再び静寂に包まれた。

 静まり返った体育館を校長がマイクに向かって再び声を響かせた。

 「皆さんもニュースを見てご存じかと思いますが、昨夜未明に隣町の合影町で事件が起きました。犯人はまだ捕まっていないようです」

 ……またこの話だ。

 忘れたい思いが、また蘇ってくる。

 ゲームで起きた出来事が現実に起きることがないのは、頭の中ではわかっている。

 しかし、今の僕は何が正解で何が間違いなのかわからない。

 校長の話はまだ続いているが、僕の耳にはもう届かない。

 「……以上を持ちまして朝礼を終了します。各担当の担任に従い、教室へ戻ってください」

 気が付くと朝礼は終わっていた。

 後ろを振り返ると、あれほど多かった生徒が担任の指示に従い、出口へと向かっている。

 まるでカルガモの親子のようだ。

 僕の前の生徒も歩き出し、それに合わせ自然と僕の足も歩き出す。

 ようやく教室に辿り着き、全員自分の席につく。

 まだ始まったばかりなはずだが、いつもより長く感じる。

 僕は窓の外を眺め、この何とも言えない思いが降り続く雪のように溶ける事を何より願った。


 長く感じる一日の終わりを告げるチャイムが校内に響き渡る。

 全員が机に入れていた教科書などを鞄に入れ始め、部活ができなく不満を言う人もいれば、嬉しさのあまりに笑顔で帰り支度する人もいた。

 朝の嫌な気持ちをすっかり忘れた僕も鞄に教科書などを入れ、教室を後にする。

 廊下は氷のように冷たく、思わず身体が震えた。

 他の人も僕と同じなのか体を縮めながら歩いている。

 白い息を吐きながら歩き、すぐに着くはずの昇降口が、いつもより遠くに感じた。

 靴を履き替え外に出ると、真っ白に染まった地面には無数の足跡が正門に向けて付いている。

 その足跡に僕も加わり正門に向けて歩いてた時、後ろから右肩を強く掴まえられた。

 寒さと違う寒気が走る。本能的に何か警鐘されている気がする。

 意を決して、ゆっくりと振り返ると顔に凄まじい衝撃と同時に痛みが走る。

 体勢を崩し地面に右手で体を支えると、白い染まっていた地面が赤色に染まった。

 一滴、また一滴と無垢なる白が赤に侵食される。

 「鼻に一発入ったな。あんまり調子に乗るなよ。俺に逆らうからこうなるんだ」

 鼻を左手で押さえ顔を上げると、目の前に立っていたのは蒼太だった。

 蒼太は満足そうな顔で、殴られた勢いで飛ばされた僕の学生鞄を漁り中に入れてた財布を取り中身を確認する。

 「へ、結構入っているじゃないか。この財布もらっていくぜ。」

 僕の財布を手に持ち、蒼太は去っていく。

 僕は怒りと情けなさが入り混じる中、ゆっくりと立ち上がり決意する。

 「……殺してやる。絶対に」

 学生カバンを拾い、すぐさま家に帰る。

 

 夕日が辺りを橙色に染め空気は澄んでいた。僕は蒼太をどうやって殺すかを考えながら歩き、気づくと自分の家の前まで来ていた。

 蒼太に殴られ怪我したことを親に悟られるわけにはいかない。

 一度、自分が着ている学生服に血が付いていないか確認すると、幸い学生服には血は付いていなかった。

 目の前にある雪を手に取り、殴られた鼻の周りを雪で血を落とし、手にも付いていた血も雪で洗った。

 これで、よし。

 あとはいつも通りにするだけ。

 服に付いた雪を払い、玄関ドアを開ける。

 中から暖かい風と生活音が聞こえ、いつもと変わらないが、今日はなぜか心が和む。

 「ただいま」

 生活音に混ざって、僕の声が家の中に響いた。

 玄関ドアを閉め、上がり框に腰を下ろし、雪で濡れた靴を脱ぐ。

 廊下の奥から物音がし、誰かが近づいてきた。

 「おかえり。寒かったでしょ。早く風呂に入ってきなさい」

 「わかった」

 「あら、靴も濡れているじゃない。これ乾かしておくね」

 母さんは僕が脱いだ靴を持ち、リビングへ行った。

 僕は脱衣所に行き学生服はハンガーに掛け、下着は洗濯機に放り込み浴室の扉を開ける。

 開けると、湿度のある空気が体を覆い、まるで飲み込まれるように浴室に入る。

 体を洗い終え、湯船に浸ったお湯の温度を保つための蓋を開けると、湯気が僕の顔を覆いつくす。

 ゆっくりと、まずは左足を湯につける。次に右足。

 そして最後に、ゆっくりと腰を下ろし僕の体は湯に沈んだ。

 冷え切った体が徐々に温まり、今日の疲れがすべて消えるような感じだった。

 しかし、蒼太に対する殺意は消えてない。

 もちろん、現実でやるわけではなく、あくまであのゲームで殺害する。

 確信はないが、あのゲームはどこかの誰かを殺害すれば現実に反映されると思う。

 だから、あの蒼太もゲーム内にいるはずだ。

 この熱が燃え尽きる前に僕は風呂を後にした。

 風呂から上がりバスタオルで体を拭いていると、体温が上がったせいなのか鼻からまた血が出てきた。急いで脱衣所に備えている洗面所に行き、冷水で洗い流す。

 水を出しながら洗い続けてると鼻血が止まり、顔を上げる。

 目の前の鏡には殴られた箇所が赤紫色に腫れあがった僕が映っている。

 「やり返せ、あいつに地獄を見せろ」

 僕は鏡の中の自分に言う。

 鏡に映っている自分は憎悪に満ちた顔のようだった。

 自分ではあるが自分じゃない顔は、頷いたように見えた。

 だが、これでいい。この痛みの代償は今夜償ってもらう。

 鏡の中の自分と誓い、着替えをしてリビングへと向かった。

 リビングに行くと、父さんはソファーに座ってテレビで野球観戦していた。片手に缶ビールを持ちながら、まるで自分自身が観客席から見ているかのように、声に出して応援していた。

 僕はダイニングテーブルの椅子に座り、テーブルの上にはラップが途中まで剥されているおかず野菜炒めと僕の大好きな唐揚げが用意されていた。

 おそらく父さんと母さんは食事を済ませているのだろう。

 「翔、その顔どうしたの?」

 台所にいた母さんが僕の顔を見て驚く。

 「帰ってくる途中、滑って転んだんだ」

 「気を付けないと。痛くない?」

 「大丈夫だよ母さん。何ともないから」

 テレビで野球観戦していた父さんが、ソファーに座りながらこちらに振り向き僕を見た。

 「なんだ、翔。滑って転んだのか?」

 「そうなんだよ。だけど大丈夫」

 「そうか。気を付けるんだぞ」

 父さんはそう言い残し、再び野球観戦をする。

 「今、ご飯と味噌汁出すから待ってね」

 母さんはそう言うと、茶碗を取り出し炊飯器を開けご飯を盛る。

 盛り付けた後、次にお椀を持ち味噌汁が入った鍋を開けお椀に入れた。

 両手に茶碗とお椀を抱え僕の目の前に置かれる。

 「さぁどうぞ。冷めないうちにお食べ」

 目の前に用意されたご飯と味噌汁からは湯気が立っている。

 「いただきます」

 左手で茶碗を持ち白米を箸で挟み口へ運ぶ。

 噛めば噛むほど甘みが出てきて、米の硬さもちょうどいい。

 次にお椀を左手で持ち味噌汁を飲む。

 味噌汁の中に入っている豆腐、わかめの具材を箸で掬い口に運ぶ。

 温かい食事のおかげで、この瞬間だけ痛みと殺意を忘れさせてくれる。

 次に奥に並んでいる野菜炒めを箸で挟んで食べかけのご飯に乗せ、一緒に口へ運ぶ。

 これも美味い。

 そして僕の大好きな唐揚げ。

 1つ1つが僕の拳ぐらいの大きさで、これも箸で挟んで口へ運ぶ。

 一気に食えないので食べかけを野菜炒めがのっているご飯の上に置く。

 少し焦げているが、美味しい。

 気づくと、おかずはすべて食い尽くしご飯も米粒1つも残さずに完食。

 最後に味噌汁を飲み干し、お椀の上に箸を置く。

 「ごちそうさまでした」

 椅子から立ち上がり、食器をキッチンへ持っていく。

 「あら、全部食べたの?食べ盛りだね。洗っておくから休みなさい」

 「じゃあ、お願い。明日、水曜日はテストがあるから勉強するよ」

 「あら、そうなの。頑張りなさい」

 母さんは笑顔で僕に言う。

 食器をシンクに置き、自室に戻ろうとしたときに母さんが何か思い出したかのように声をかけた。

 「あ、翔」

 「ん、なに?」

 「今週の金曜日、早く帰ってきなさいよ」

 「え、何かあったっけ?」

 母さんがため息をつく。

 「何かって……あんたの誕生日じゃない。だから早く帰ってきて」

 ……忘れてた。

 と、いうより気づかなかった。

 冷蔵庫に貼っているカレンダーを見ると、確かに今週の金曜日は僕の誕生日だ。

 「気づかなかったよ。わかった。早く帰ってくる」

 「もう、しっかりしてよ」

 「じゃあ、勉強するからお休み」

 「はい、お休み」

 リビングの扉を開けようとしたら、父さんに声を掛けられた。

 「おい、翔」

 父さんはテレビを見ながら言う。

 「なに?」

 「……がんばれよ」

 「……ありがとう」

 短い会話であったが、厳格な父さんの優しさが伝わった。

 リビングから出て二階にある自室へ戻る。

 中は廊下と変わらないほどの寒さで部屋の照明をつけてからエアコンのスイッチを手に取り暖房をつける。

 壁掛けの時計を見ると時刻は20時11分。

 もう20時を過ぎていた。

 椅子に腰を掛けると冷たく、体温が奪われるかのようだった。

 勉強机の上にある氷のように冷たいノートパソコンを開き電源を入れる。

 さぁ……いよいよだ。

 これからあの邪魔な奴(藤崎蒼太)を排除する。

 もうすぐだ……もうすぐだ。

 今か今かと待っていると、ようやくホーム画面が表示された。

 すぐさま、ゲームを起動させセーブデータをロードする。

 部屋が暖まってきた頃にロードが終わり昨日の続きを始める。


 電車から降りるファントムの後ろ姿からこのシナリオは始まる。

 どこかの地下鉄に下車したファントムの後ろで電車のドアが閉まり去っていく。

 翔が操作するファントムは辺りを見渡しながらゆっくりと歩き、地上を目指した。

 長い階段を上り地上に出ると前回と同じく街は雪に覆われていた。

 だが、前回と違うのはまだ夕方で行きかう人々が映る。

 そして、後ろを振り返ってみると駅名が書いていた。

 泉伝町。この漢字の隣にはローマ字で書かれていた。

 ……イヅミ……ツテ……マチ。

 泉伝町(いづみつてまち)という町だ。

 行きかう人々を見ると、おそらく高校生だろう学生も何人か見えた。

 そして遠くから学校のチャイムが聞こえる。

 ここは学校から近い町と分かった。

 このどこかに、直感で藤崎蒼太がいるはずだ。翔はファントムを操作して行きかう人々の中へ入り蒼太らしき人を探す。

 ……見つからない。

 よくみると全員違う顔で、とてもゲームと思えないクオリティーだった。

 根気よく探していると、奥で男子高校生二人が会話しながら歩いていた。

 二人は並列して歩き互いの横顔が見える。

 「あれは……川瀬恭介に藤崎蒼太か?」

 確信がないから、もう少し近づいてみる。

 本人たちにばれないように近づき、じっくりと顔を確認する。

 

 ……見つけた。


 「見つけた、ようやく見つけた。間違いない。川瀬恭介と藤崎蒼太だ」

 僕はあまりの嬉しさに拍手した。

 「恭介、お前は命拾いしたな。だが、友達である藤崎蒼太とは今日でお別れになる」

 まるで僕自身がファントムになったかのように独り言を言う。

 しばらく尾行すると二人は互いの自宅へ帰るために別々の道を歩んだ。

 これが、最期とも知らずに。

 蒼太を尾行し続けていくと、あるマンションへ入っていった。

 このマンションのどこかに蒼太は住んでいる。

 このマンションの正面玄関から道を挟んだところに空き地があった。

 僕が操作するファントムを空き地に移動させ振り返るとマンション全体が見える。

 このマンションは五階建て、全部屋の玄関ドアがこちら側に向いている。

 どこかの階で蒼太が現れるはずだ。

 しばらく観察していると、正面向かって左の三階に転落防止柵から顔が出てきて右へと進む。

 遠くからでもわかる。あれは蒼太だ。

 あとはどの部屋に入るか。

 何も知らない蒼太は右へ進み、一番右の部屋に入ったのを確認した。

 各階数の玄関ドアの数は5つ。

 つまり、蒼太は305号室。

 「さぁ、終わりの足音が近づいていくぞ」

 僕は独り言を言いながらファントムを操作して、マンションへと入った。

 メインホールに入ると目の前の壁には各階の郵便ポストが設置され、空き部屋があるのか大量のチラシがはみ出している投函箱がいくつかあった。

 右の広い空間には清涼飲料水の自動販売機が三台。そしてベンチが四台あって休憩スペースのようだ。だが、誰もいない。

 そして左の広い空間には、掲示板が設置され町内のお知らせや何かの告知などが張られていた。

 ファントムを左に行かせ、突き当りの壁から右を見ると上に続く階段があった。

 この階段を上がると同時に、あいつの死は近づく。

 砂時計はひっくり返され死へのカウントダウンはもう始まっている。

 階段を一歩、また一歩と踏みゆっくりと三階へ行く。

 照明は付いているがどこか暗い。

 この空間で聞こえるのは、ファントムの革靴の足音だけ。

 一階と二階の中間である踊り場に着き、二階へ続く階段を見上げる。

 二階の通路から見える空は、夕日が沈み夜となっていた。

 漆黒に染まった空には星が見えない。まるでファントムのように影の存在が星という命の輝きを飲み込んでいるかのようだ。

 あいつの命もファントムという漆黒の空に、まもなく飲まれるだろう。

 二階へ続く階段を、ゆっくりと上がり三階へ目指す。

 上がり続けて目的である三階に着く。

 音もなく静寂に包まれたこの街。流れてくる夜風はどこか寂しく通路に吹き抜ける風音は悲しみの声だった。

 僕は一度操作を止め、少し考える。

 ……どうやって殺すか。

 腕を組み、自分の部屋の天井を見つめて考えるが、何も思いつかない。

 在り来たりな殺し方だと何も面白くなく、満足できない。

 もちろん、現実で起こすわけではない。そんなことする勇気もなく、やったところで自分の人生が転落することはわかっている。

 この現実でできないことをゲームでやる。

 ゲームとは現実でできないことを仮想空間で体験すること。だからゲームがあるんだ。

 ……とはいえ、何も思いつかない。

 少しため息をつき、再びゲームを再開する。

 「……え」

 僕は驚いた。

 先ほどまでファントムは、こちらを背にして三階の転落防止柵から、光のない夜空を眺めていた。しばらく少し目を離し、再び画面を見るとファントムがこちらを向いていた。

 もちろん操作はしていない。

 部屋は暖かいはずなのに、体の中に循環している血流が冷たく感じる。

 帽子を深く被っているファントムの顔は見えないが、僕に何かを訴えかけているような気がした。見えない瞳から感じる凍てつく視線は僕の姿が映っているのだろうか。

 「……そうだな。僕は君で君は僕なんだな」

 僕はそう思い言葉を発する。

 画面の中のファントムは微かに首を縦に振ったように見えた。

 コントロールを手に取りファントムを前に向かせた時、ファントムの横顔から見える口は口角が上がり喜んでいるように見えた。まるで、ようやく気づいたか、と。

 ファントムを左に向かせて、305号室を目指す。

 どうやって殺すか考えながら前へ歩かせると、302号室と303号室の間の壁に屋内消火栓があった。ファントムを屋内消火栓に向けると、赤く光る表示灯の下には消火栓起動ボタン、その下の扉を開くと消火ホース、ノズル。ホースをつなぎ水を送る連結送水管用バルブ、そして最後に開閉バルブ。

 僕はこれらの道具を見た時、誰もが思いつかないであろう残酷な殺し方を思いつく。

 あぁ、自分でもわかる。これは狂気だと。

 誰も真似できない、最高の最期を哀れな者に送る美しき執行者だ。

 まず、消火ホースを取り出し先端にノズルをつける。

 それから消火ホースの末端を連結送水管バルブにつなぎバルブを回し、その上にある開閉バルブを回す。もちろんこの状態だと水は出ない。

 今はこれでいい。丸く束ねている消火ホースを解きながら305号室へ歩くと、ファントムの後ろに続く消火ホースは、まるで白い大蛇のように床に伏せていた。

 今は眠っているかのように平べったくなっているが、目を覚ました時が最期だろう。

 すぐに305号室の前に着いた。

 ここで、まだ余裕のある消火ホースをすべて床に垂らし、先端のノズルを右手で持つ。

 玄関ドアの横にあるインターホンを左手で押す。

 チャイムが外まで聞こえるほどだった。

 中から物音がして、足音が徐々に近づいてきた。

 「……はい、どちらさんですか?」

 この声は……間違いない。蒼太の声だ。

 ようやくだ。ようやく邪魔者を消すことができる。

 あぁ……もちろん、ただ殺すわけではない。

 だから消火ホースを持ってきたんだ。

 さぁ、蒼太。この玄関ドアを開けた時、死の風が君を包み込む。

 命が絶つその瞬間まで、思う存分楽しんでくれよ。

 僕からのプレゼントだからね。

 しかし、ここで1つの疑問が生まれた。

 どうやって返答すればいいかだ。

 画面を噛みつくように見回し、返答する項目を探した。

 隈なく何度も繰り返し画面を見回してみると、画面左下に小さな空欄があることに気づいた。

 試しにカーソルをそこに移動させボタンを押すと、画面下からキーボードが出てきた。

 ここで文字を打つと、ファントムが言う台詞になるかと思う。

 「……よし。誘い込むには、こう書いたほうがいいな」

 文字を打ち込み、一言の言葉ができる。

 ――お届けものです――

 これでいい。これが死の誘いという言葉になる。

 この言葉に反応し玄関ドア開けたら最高のプレゼントを君に届けてあげよう。

 決定ボタンを押すと、作成した言葉がファントムの口から放つ。

「お届けものです」

 僕は凍りついた。

 この声は、僕の声だ。

 いや、スピーカーから響いたのか、それとも僕の喉が勝手に震えたのか分からない。

 ありえない。僕の音声データなんて無いはずだ。

 でも、そんな事は関係ない。

 恐怖よりファントムが自分と同化したことに感動する。

「はい、今開けます」

 いよいよだ。

 中から解錠する音が聞こえ、ゆっくりと玄関ドアが開く。

 中に籠っていた温かい風がファントムの体に流れた。

 完全に玄関ドアが開かれ、目の前にいる蒼太は驚きの余り、体が固まっていた。

「……え」

 これが、蒼太が口から放つ最期の言葉になる。

 すぐに、持っている消火ホースを首に何重にも巻き、先端のノズルを首と巻いた消火ホースの間に通し、下に引く。

 そのまま土足で中に上がり、蒼太をベランダへと無理矢理押す。

 ベランダの窓ガラスを開けて、勢いよく蒼太をベランダから放り出す。

 ベランダの柵から外に放り出された蒼太は、宙吊り状態で首に巻かれた消火ホースを両手どうにか解こうともがいていた。

 消火ホースは限界まできて、後ろを見ると床から少し浮いていた。

 あとは仕上げだ。

 操作するファントムを玄関から出て、消火ホースを繋げている屋内消火栓まで戻る。

「さぁ、これで完成だ。せいぜい苦しめ」

 僕はもうファントムになっているのだろう。

 最後の仕上げ、消火栓起動ボタンを強く押す。

 響き渡る非常ベルとともに、勢いよく水が流れ、それまで平べったい消火ホースが生きているかのように膨れた。

 僕が操作するファントムは、静かにマンションを後にする。

 マンションの後ろから水の音がするが、もう逝っただろう。

 そのまま、誰もいない静寂が包む街へ歩き、次なる街へ行くため、地下鉄に乗りこの街から風のように跡形もなく消え、ゲームはクリアする。

 「やったぞ。あいつを殺してやった」

 まるで万歳するかのように、歓喜と一緒に両手を天井に向けてあげた。

 部屋の時計を見ると22時37分。

 夢中になりすぎて、二時間以上もプレイしていたようだ。

 だがそれは後悔ではなく、達成感から生まれる優越感だ。

 この僕に、誰も敵うことはできない。

 世界は僕を中心に回り始めたんだ。

 邪魔する者は、どんな人であろうとこのゲームで探し出し、蒼太みたいに残酷な最期を届けてあげる。

 もう僕の中にはファントムがいる。

 僕が狂ってる?そんなことはない。自分の身を守るための正しき行いだ。

 さぁ、明日が楽しみだ。

 部屋の照明を消して、ベッドに潜る。

 そして今日という日常に別れを告げ明日に向かうため、目を閉じて言う。

 「おやすみ」


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