チュートリアル
凍てつく寒さが、今年も訪れた。
朝日が昇ると、美しく幻想的な銀世界が広がる季節。
しかし、日が沈むにつれ牙をむき始め、凍てつく寒さは人々に安眠を許さない。
ここ、青森県、淡里市も、凍てつく季節が訪れた。
青森県立淡里高校に通う黒川翔は、授業を受けていた。
中村先生は黒板にチョークで平家物語を書き説明しているが、僕はそれを冷めた目で眺めていた。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。すべては虚構であり、因果のままに消え去る。机に左肘をつき、まるで受け皿のような手の平に左頬を預け周りを見る。
熱心に聞き、書き写している人は、ほんのわずか。
飽きているか、もしくは僕みたいに興味ない人は寝ているか、机の下に隠してスマホを使っている人がほとんど。
僕はため息をつき、顔を左に回し、結露で曇った窓ガラスから外を見た。
太陽は沈みかけ、黄昏時の銀世界が広がっていた。
その景色に見惚れていると、学校のチャイムが鳴る。
中村先生は教室から立ち去り、生徒たちは帰り支度をした。
一人、また一人と教室から去り始め、僕も帰り支度を始めた時それは起きた。
誰かの足音、それも複数がこちらに近づいてくる。
いや、誰かはわかる。いかにも床に穴が開きそうな不規則な歩き方。
それと、微かに聞こえるすり足。
「おい黒川。俺たち腹減ってんだ。金貸してくれよ」
この下品で、鼻につく声で思わず反射的に肩がすくむ。
ゆっくりと振り返ると、やはり予想通り藤崎蒼太だった。
不規則な歩き方もあって傲慢。
「お前、金持っているだろ?早く出したほうが身のためだぞ」
藤崎の後ろには一人では何もできない川瀬恭介がまるで援軍かのように、藤崎の発言に加勢しているが、所詮は藤崎の操り人形。
この二人は周りから嫌われ、孤立している哀れないじめっ子たち。
「お金なんか無いよ」
「本当か?嘘だったら後悔するぞ?」
藤崎蒼太は、ポケットからペーパーナイフを出し、黒川翔に見せる。
「蒼太を怒らせると、どうなるかわからないぜ?」
操り人形の川瀬恭介は藤崎蒼太の後ろから言う。
僕は言い返した。
「本当に無いんだ。こんなことして恥ずかしくないの?」
その言葉に腹が立ったのか、藤崎蒼太は持っているペーパーナイフを僕の顔に近づけ、脅す。
「お前、調子に乗んなよ?刺されたくなかったら、さっさと金を出せ」
その時、教室の扉が開いた。
「翔。お前遅いよ。何してるんだ?」
僕の唯一の友達であり、親友の坂下正樹が、僕が遅いことを心配して戻ってきたみたいだ。
「蒼太に恭介、お前たちは翔に何してるんだ?」
藤崎蒼太は、僕の顔に近づけてたペーパーナイフをポケットにしまい、恭介と一緒に、回れ右をし教室から去ろうとする。
扉の前に立つ正樹と並び、藤崎蒼太は無言で正樹をにらみつけ、後を追う川瀬恭介とともに教室を去る。
それを見届けた正樹は、僕に近づき心配そうに聞いてきた。
僕は、何でもない。と答え、僕の顔を見て察したのか正樹は、飯食いに行こう。と言い、僕は二つ返事で教室から抜け、靴を履き替え学校を後とする。
太陽は完全に沈み、辺りは薄暗く、外灯が唯一の道標となる。
幻想的な銀世界が牙をむき始める時間だ。
気温が一気に下がり、まるで氷の中にいるような感じだ。
空からは、美しくも儚い雪が道の足跡を消し、新たな雪が積もっている。
正樹と二人で、穢れなき無垢な白い道に足跡を付けて歩く。
白い息を吐きながら正樹は僕に話しかけた。
「……翔。蒸し返すつもりはないが、本当に何もなかったのか?」
「……」
僕は、その場で立ち止まり下を向いた。
黒いスニーカーは、白くなっている。しばらく見つめると、白くなってたスニーカーは、点々と円状に溶けて本来の黒色が見えた。
僕は、無意識に泣いていた。これは、悔しさがこみ上げた涙。
弱い自分が悔しいんだ。
突然、右肩に何かが乗った。少し驚いて右肩を見たら、それは優しく温かい正樹の右手だった。
「もし、また何かあったら、俺を呼んでくれ。俺たち友達じゃないか」
右肩から振り返り、正樹の顔を見る。
正樹は、涙で充血した僕の顔を見ても、気にしなかった。
「……ありがとう」
今の僕は、この言葉が精一杯だ。
「さて。俺の行きつけの料理店。北森屋に行こう。翔も気に入るはずだ」
「……うん」
降り積もる新たな雪が、二人の後ろにある足跡を消していく。
友情を再確認した二人は、新たな足跡を作り、北森屋へ行く。
歩き続けると住宅街が見えてきた。
その中で、どこよりも光り輝く看板が目に入る。
「着いたぞ。ここの北森屋はどこよりも旨く、量があるんだ」
僕と正樹は店の前で足を止め、正樹は笑みをこぼしながら言った。
「……そうなんだ」
凍てつく寒空の中、店の換気扇から食欲をそそる匂いが漂い、思わず腹が鳴った。
「腹が減ってるとネガティブになるんだ。旨いの食って元気出せよ」
正樹は笑顔で、僕を励ましてくれた。
ここまで僕を心配してくれる正樹は、心から感謝している。
いつかは、正樹みたいにポジティブな人になる。と心の中で誓う。
「そうだね。おすすめとかある?」
「やっぱり、牛乳ラーメンかな。これが旨いんだ」
「へぇ、食べてみようかな」
「よし。メニューも決まったし中に入ろうか」
「あ、ちょっと待って」
「ん?どうした?」
僕はポケットからスマホを取り出す。
「母さんに『正樹とご飯食べてから帰る』ってメッセージ送らないと」
「あぁ、そうだな。俺が急に誘ったからね」
両手でスマホを持ち、左右の人差し指を駆使しメッセージを書き終え、送信。
「メッセージ送ったから、これで大丈夫」
「よし。中へ入るか」
正樹がスライドドアを右手で左に押し、正樹が先に中へ入り、その次に僕が入る。
中に入ると、食欲のそそる匂いが室内に充満していて、向かって右には厨房を囲むように、カウンター席がある。そして、短い通路を挟み左にはテーブル席が三席ある。
「いらっしゃい。お、坂下君じゃないか」
「おじさん、こんばんは。今日は友達と来ました」
正樹は、行きつけであり常連のようだ。
「おぉ、そうかい。今ちょうど客はいないから、好きな席に座ってくれ」
店主であろう男性は笑顔で接してくれた。
正樹は、三席あるテーブル席の真ん中に行き、壁側の椅子を引き座った。
僕も、正樹と対面する通路側の椅子を引き、座る。
座ると同時に、奥から女性が現れ両手に水入りのコップを持ち、こちらに近づいてきた。
「あら、いらっしゃい。今日はお友達と一緒に来たの?」
「あ、おばさん、こんばんは。そうです」
正樹は笑顔で返事をした。
「あら、そうだったの。名前はなんていうの?」
「……黒川翔といいます」
僕は、初対面の人と会話をするのが苦手で水を飲みながら言う。
「よろしくね。学生さんは大盛り無料だからたくさん食べてね」
正樹は、満面の笑みで注文をする。
「おばさん。牛乳ラーメン大盛りを2つお願いします」
「あら、坂下君。了解よ。黒川君は初めてだよね。聞きなれない名前だと思うけど大丈夫?」
「おばさん、大丈夫ですよ。はじめて食べる翔も絶対病みつきになるから」
「坂下君は好きだからね。じゃあ、出来上がるまで少し待ってね」
女性は、男性がいる厨房に行き僕たちが頼んだ注文を男性に言う。
男性の顔は笑顔で軽く頷き料理を始めた。
男性と女性は、どういう関係なのか気になり二人が作業している厨房を見つめた。
「……二人は夫婦だよ」
正樹は、察したのか僕にそう言った。
不意を突かれた僕は、まるで天井から見えない糸に軽く引っ張られたかのように体が若干浮き、視線を正樹に移す。
「二人で経営しているみたいだよ」
「そうなんだ」
「今更だが、大盛りで大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。すごくおなかが減ってたから」
「それならよかった。俺の誘いだから奢るよ」
「そんな、悪いよ」
「いいから、いいから。気にしないで」
「わかった。……ありがとう」
正樹の懐の深さに僕はまた涙が出そうになった。
目の前にある飲みかけの水を手に取り、涙と一緒に飲み込んだ。
「お待たせしました。牛乳ラーメン大盛り2つ。ごゆっくり」
立ち上がる湯気は、優しく包み込んでくれるような牛乳のクリーミーな香り。
そして、器の中には白き大海原が広がっていた。
その水面に浮かぶ麺と具は、まるで島のようだ。
「いただきます」
僕は手を合わせ食に感謝を伝える。合わせた手を解きレンゲを手に取りスープを一口頂く。
……美味い。
冷え切った体の芯から温めてくれる優しいスープ。
「どうだ?美味いだろ」
正樹が笑顔で聞いてきた。
あまりの美味さと衝撃で言葉にはできず、湯気の向こうの正樹に頷いた。
そして水面に浮かぶ各島を1つずつ箸ですくい、口に運ぶ。
気づけば、島は無くなり白き大海原だけとなった。
器を両手で持ち、まるで世界を飲み込むような口を大きく広げ、白き大海原は流れ始める。
そして、すべてを飲み干し器をテーブルに静かに置く。
「御馳走様でした」
すべては腹の中に流れ、心身ともに満足した。
少し遅れて、正樹も完食し二人は席を立ち会計へ行く。
奥からおばさんが小走りで駆け付け、会計の対応をした。
正樹が僕の分も支払いし、おじさんとおばさんに見届けられながら店を後にする。
外に出ると、雪明かりで辺りは淡く、そして静かだった。
僕は、もう一度正樹にお礼を言い、それぞれの家に帰るため、その場で別れた。
誰かの足跡があったはずの道が、今はもう消えていた。
まるで未開地に踏み入れるかのように新たな足跡を付けながら歩き続けると、この静寂な夜のように、寂しさと僕の弱さが心奥底から込み上げてきた。
一度立ち止まり上を見上げると、僕の代わりに泣いているのかのように、粉雪が降ってきた。
泣きたくても泣けない。それが今の僕の気持ちだ。
淡く見える積もった雪は何も答えてくれなく、今の僕を静かに見守っている。
ただ与えるのは切なさ。
歩みを止めた僕は再び足を動かし、新たな足跡だけを残し家に向かった。
家に着くと、静寂な夜を乱すかのように牙をむきだした雪が僕を襲いかけ、肩に雪が積もる。
それから逃げるかのように、張り付くドアレバーを下げ、勢いよく家の中に入った。
「ただいま」
奥のリビングの扉が開き、母が心配そうな顔をしてこちらに向かってくる。
「おかえり。吹雪いてきたね。服に付いている雪を払って風呂に入りなさい」
「わかった」
「あんたが最後だから、風呂から上がったら栓を抜いてね」
母はそう言い残し、両手を擦りながら、少し前のめりになり早足でリビングに戻った。
学生服に付いている雪を払い、靴を無造作に脱ぎ捨て上がり框をまたぎ、脱衣所へ行く。
冷たく湿った学生服をハンガーにかけて、物干しに掛けた。
物干しの下には除湿機が動いており、明日までには乾くだろう。
下着などは洗濯機に入れ、浴室の扉を開けると、中に充満してた湯気が一気に僕に襲い掛かる。喉の奥まで押し寄せ、思わずむせてしまう。
湯気が外に流れ、白く充満した浴室は徐々に視界がはっきりとしてきた。
中に入り扉を閉め、シャワーを頭から浴びる。
冷えた体とともに、負の感情が流れているような感じがする。
頭を洗い、次に体を洗い、そしてすべてをシャワーで流す。
1つの儀式みたいなものだ。
湯気が立ち上る湯船に左足、右足、湯の中に足を並べ、そして体をゆっくりと湯に沈めた。
「ふぅ……」
思わず言葉が漏れ出し、生を感じた。
儀式を終わらせ身を清めた体に伝わるこの熱さ、それは安息地であるかもしれない。
今日の嫌な事は、全て流れ出た気がした。
少し時間が経ち、僅かな逆上せを感じた僕は立ち上がると同時に湯船の栓を抜き、浴室を後にする。
余熱が残る体のおかげで脱衣所の寒さはあまり感じなかった。だからと言ってこのままでいると風邪をひき本末転倒だ。
急いで濡れた体をバスタオルで拭き取り、寝間着に着替え自室がある2階へ向かう。
自室に入り、すぐ右の壁のスイッチを押すと、暗い部屋が一瞬で明るくなる。
温かみのある明かりではあるが部屋自体は氷のように寒い。直ぐさま机に置いてあるリモコンを取りエアコンの暖房を付けた。
壁掛けの時計を見ると、19時11分。寝るにはまだ早い。机の前にある椅子を引き、ゆっくりと腰を掛け机に置いてあるノートパソコンを起動させる。
「今日は何のゲームをやろうかな」
ネットの世界には、個人で作られたゲームが幾多にも存在する。
ジャンルも様々ではあるが中には何をテーマに作られ何を伝えたいかわからないゲームも多く存在する。それでも十人十色の作品ばかりで面白いのは変わりない。そしてほとんどが短編作品だから、就寝時間までの暇つぶしには、うってつけだ。
それに僕は、日々のストレスや嫌なことを忘れることができる精神安定剤のような存在だ。
画面には数々のゲームと、そのゲームの説明欄が映っており、カーソルをゆっくりと下に下ろし、1つずつ見ていく。
……なんだこれ?
幾多もあるゲームの中で1つ、説明欄が一言だけ書いていた。
やりすぎ注意。
ただそれだけだ。
それに参考画像がない。
それでも何か気になる。ダメなら消せばいい。お試しで試してみようと思いゲームもダウンロードする。
氷のように冷え切った部屋が、暖かくなってきた頃にダウンロードは終わり、プレイ出来る状態だ。
「よし、やってみよう」
カーソルをプレイと書いている枠に近づけダブルクリックする。
すると、画面は真っ暗になった。
しばらく待ってみるものの、真っ暗なままである。
まるで、世界からすべての音が消え去り、僕自身の心臓までもが突如として機能停止してしまったかのような、不気味な静寂。
待機時間が長くなる度に、後悔の念が大きくなってきた。
「……やっぱりやらない方が良かったかな」
画面が変わらず、痺れを切らした僕は、カーソルを右上のバツ印に動かし、押そうとした。
その時、真っ暗であった画面が街へと変わり、主人公であろう人物の後ろ姿を映した。
画面の中の街は現代風であり、静寂に包まれた夜、そして寒空から雪が舞い降りている。
道には雪が積もっており、誰かの足跡が残っている。
それに街の雰囲気は、欧州や欧米というよりアジアな街並み。それも、なんとなくだが日本のような気がする。
そして主人公であろう人物は、白い世界には遠くからでも存在が分かるような黒いロングコート、黒に白い帯が目立つフェドラハット、そして手には、こげ茶色のレザーグローブ。
レザーグローブは五本の指を1つずつ包んでおり、手の形がはっきりと見えた。
ゲーム用のコントローラーに持ち替えた僕は、右スティックを動かしてみた。
カメラは固定ではないらしく、後ろから見ることができない主人公の全身を見るためにカメラを前へ移動する。
靴は、高級そうな茶色のローファー、パリっとした細いストライプ柄ネイビー色のスラックス、ロングコートの中は無地の黒色のワイシャツ、細いストライプ柄ネイビー色のダブルベスト。
ダブルベストのボタンは8つあり、右下のボタン1つだけ外した状態で閉じてある。
閉じたダブルベストからは首元が見える状態で無地の黒色のワイシャツの襟がダブルベストの中で納まっていた。
そしてカメラのアングルを首より上に移動し、顔を見ようとした。
しかしフェドラハットを深く被っているせいか、鼻から上が漆黒の闇となっていた。
だが、わかったことが、この服装と鼻から下の顔の輪郭からみて、男性とわかった。
そして、この服装は現代ではあまり見かけないクラシック風であり、その連想で紳士だと僕は感じた。
「操作方法が分からないなぁ」
カメラアングルの変更なら主人公の服装確認で把握している。だが、それ以外の操作方法、それと何を目的にゲームを進行するのかもわからない。
とりあえず手探りでやるしかない。
まず試しでコントローラー中央にあるスタートボタンとセレクトボタンのスタートボタンを押してみた。
すると、主人公はロングコートの内側に右手を入れ、メモ帳を取り出し目の前で開く。
メモ帳には氏名、生年月日が空欄になっていてカーソルが点滅している。
……なるほど。ここでキャラクター設定するみたいだ。
2008、07、21……。
僕自身の生年月日を入力した。
さて、次は氏名だ。
本名である黒川翔と入力してもいいが、それは違うような気がある。
となれば、名前を何にするか……。
時折、頭を掻きながら模索する。
画面に映るのは、雪の降る夜の街に佇む紳士風な男性……。
そして、黒いロングコートにクラシック風の服装……。
「……ファントム」
無意識に言葉が漏れた。
闇とともに訪れたかのような黒を強調する服装。そして紳士風な男性。
周りには誰もいない。いや、誰にも気づかれず一人雪の降る夜の街に佇む。
これほどしっくりくる名前は他にはないと思う。
まさしく、幻影だ。
早速、氏名にファントムと入力。
……これでよし。
氏名と生年月日は完成した。
次にセレクトボタンを押してみる。
ファントムは手にしたメモ帳を閉じ、ロングコートの内側に入れた。そして、左手を前に突き出し、右手で袖を引く。すると左腕にはアナログ時計の腕時計が現れる。時刻を見ると19時37分と針は示していた。
画面から目を離し、部屋にある壁掛けの時計を見てみると、19時37分。
……よく出来ている。現実の時間と繋がっているみたいだ。
壁掛け時計から再びパソコンの画面に目を移す。
もう一度スタートボタンを押すと、左腕を下に下げ右手でロングコートの内側からメモ帳を取り出し再び目の前に広げる。
「あれ?メモ帳に栞が挟まっている」
氏名と生年月日を入力したときには気づかなかったが、メモ帳の間に赤い栞が挟まっていた。
赤い栞が挟まっているページまでめくると、そこには操作方法が記されていた。
走り方、しゃがみ方、物を掴む動作など、その場で試してみる。
すると、あの紳士風なファントムが挙動不審な行動を見て、思わず笑う。
「操作されているファントムは、やめろ。と、思っているだろうな」
ひとまず、操作方法はわかった。
「そのうちファントムから仕返しが来るかもね」
その瞬間、背後から冷たい何かを感じた。思わず振り向いてみるが、もちろん背後には何もない。部屋の中は暖かくなっているから、室内の温度ではない。
気のせいだ。と、思い再びパソコンの画面に目を移す。
さて。操作方法はわかったが、次の問題は何をすればいいのか。
いや、厳密にいえば、このゲームの目的は何なのか未だわからない。
「とりあえず、街の探索してみるか」
進んでみれば何かヒントがあるかもしれない。
コントローラー左スティックを上に倒し、ファントムは前に進む。
少し歩いてみると、駅が見えてきた。
駅の周りは雪に埋もれ、出入りする人もまばら。
仕事帰りで我が家に向かうスーツ姿の人。両手をこすり、時に手の平に白い息を吹きかけ体を震わせながら我が家に向かう学生たち。
この世界は妙に生活感があって、まるで現実の世界のようだ。
駅まで続く雪道には誰かが残した足跡が残っており、ファントムも明日には消えてしまうであろう新たな足跡を付け、駅に近づく。
闇に染まった空から、まるでささやかな希望を与えるかのように小粒の雪が駅の屋根に付いている駅名に降り積もっていた。
……丘上駅。
なんて読むんだろう。
駅名の下にローマ字で駅名が書かれている。
「オカ……アゲ……エキ……。丘上駅か」
つまり、ここは丘上町という町なんだな。日本語で書かれているから、やはり舞台は日本なんだ。
僕はそう思いコントローラーを持ったまま軽く頷いた。
だが、町の名前が分かったところで、未だ目的が分からない。
一度コントローラーを手から離しパソコンの横に置き腕を組む。
頭の中で、どうするか。何すればいいか。まるで無限に続く螺旋階段を歩き続けているような感じだ。
「……もう1回、メモ帳を開いてみるか」
先が見えない螺旋階段を歩き続けるのをやめ一度立ち止まることにした。
ファントムは再び、ロングコートの内側に右手を入れメモ帳を取り出し開いた。
プロフィール、操作方法、これはさっき見た項目だ。
何か見落としてると思う。
「ん?これは何だろう」
気づかなかったが、裏を開く。というコマンドがあった。
試しにやってみると、ファントムはメモ帳を閉じ、裏のページを開いた。
本来は表からページを一枚ずつ開く。それを一度閉じ、裏からページを開いた。
つまりは、人に知られたくない何かが書いてあるのではないか。と、僕はそう感じた。
はまなすアパート201号室。
ただのメモなのか。と思ったが、そうだとしたら裏に書く必要はない。しかし、目的はわかった。
この丘上町のどこかに、このアパートがあるはず。
コントローラーを操作し、ファントムは駅を背にして静寂につつまれた丘上町へ新たな足跡を雪道に残し歩き始めた。
この町に飽きもせず降り続ける雪は、どこか寂しさがあった。
駅から少し歩くと雪に埋もれた小さな公園があった。外灯に照らされた時計はどこか寂しく、常に時刻を刻んでいた。その時計を見ると、時刻は20時03分。
顔が見えないファントムは、何を思っているのか。僕にはわからない。
しかしファントムを操作している僕は、どこか孤独を感じた。
ただの孤独というより、氷のように冷たく、誰もいないこの町のように寂しさを感じた。
返事が返ってくることのない時計に別れを告げ、僕はコントローラー左スティックを軽く横に倒すと、ファントムはゆっくりと動き始め帽子と肩に少し積もった雪が地面に落ちる。
しばらく真っ白になった道を歩き続けると、ようやく住宅街にたどり着いた。
窓から明かりが漏れている家は少なく、ほとんどの家が暗く静寂に包まれていた。
確信はないが、この住宅街に目的のアパートがあると思う。
白き世界に侵食する闇を覆うようなファントムは、流れゆく時間とともに見えない顔を見上げ一軒ずつ確認した。
気付くとあれほど降っていた雪は治まり、空気が今まで以上に澄み、空は月とわずかな星たちが光り輝いていた。
住宅街をくまなく探し続け、どのくらい時間がたったのかわからない。
住宅街の奥まで探し、外灯がない左の細道に入り歩き続けると、その先には少しくたびれた二階建ての木造アパートが建っていた。
車を止める駐車場はなく、アパートの左には外付けの階段には、今にも切れそうな蛍光灯が点滅し階段を照らしていた。
一階にはドアが3つ。二階には落下防止の赤く錆びた柵があり一階と同様ドアが3つ。
すべての部屋のドアの左にはインターホンがあり右にはおそらく台所であろう小窓と小窓の上には換気扇のフードがあった。
一度僕は、セレクトボタンを押しファントムは左腕を前に出し右手で袖をめくると腕時計が見えた。時刻は20時47分。
無意識に僕は、自室の壁掛け時計に目をやると、やはり時間は同じだった。
そろそろ寝ようかと思ったが、先が気になる。
「もう少しやるか」
僕は独り言をつぶやき、再びゲームの世界を楽しむ。
もう一度セレクトボタンを押すとファントムは少しめくった袖を戻し、視点を下から真正面のアパートに戻った。
「あ、そうだ。このアパートの名前を確認しないと」
迂闊だった。
確かに、目の前には少しくたびれたアパートがある。
だが、肝心の名前を確認をしていなかった。
蛍光灯が点滅している外付けの階段まで歩き見上げると、二階の壁にはアパートの名前が書かれていた。雪が看板についており見にくいが、月明かりと雪明かりのおかげでうっすらと見える。
「……はまなすアパート」
思わず僕は、読み上げてしまった。
いや、決しておかしなことはない。
まるで僕の精神がファントムと繋がっているかのような感覚だ。
その時、猛烈な寒気を感じた。
さっきみたいな背後から冷たい何かではない。
僕の体の奥底から感じる寒気で、脂汗が額から滲み落ちる。
呼吸も気づけは荒くなっており、自分自身を落ち着かせようと目を瞑り、意識を乱れた呼吸に集中させる。
室内に響く壁掛け時計とノートパソコンの冷却音。そして僕の呼吸。
もしかすると、本能的にこれから何かが起きると感じているかもしれない。
今、目的となっているこのアパートは、もしかすればこのファントムが住んでいる家でただ帰宅しているだけかもしれない。だから目的がアパートっていうのも納得できる。
だが、そうだとしたらただの日常系ゲームだ。
確かにこれはこれで面白いかもしれないが、紳士風であり尚且つ品の高い服装のファントムが、こんなくたびれたアパートに住むのは不自然な気もする。
目を瞑った先に広がる闇には、そんな思いが闇を押しのけ思いが支配していた。
「……201号室を確認しよう」
意を決し言葉を発すると、不思議なことに乱れた呼吸は安定してきた。だが、体の奥底から感じていた寒気は依然と止まらない。
ただの風邪なのか……、それとも何かの違和感なのか。
……わからない。だが、先が気になるため中断するわけにはいかない。
目の前の真実を見ないといけない。一度深呼吸し、ゆっくりと目を開けると眩しさを感じた。
持っているコントローラーを強く握りしめ、スリープ状態のノートパソコンを再開する。
ファントムはゆっくりと歩き始め、点滅している蛍光灯が照らしている錆びた赤い外階段を上がる。階段の上には屋根があり踏み板にはあまり雪が積もっていなかった。
二階に到着すると、柵の向こうから風が吹いており、通路の壁側には雪の吹き溜まりができていた。
目的が201号室。左側のドアを見てみるとインターホンの上には201と書かれたプレートが見えた。
「……ここだ」
目的地にたどり着いた安堵と、これから何をするかの不安が入り混じる。
ドアに目線をやると、何も指示が出ない。
……おかしい。
もし自分が住んでいる部屋なら、鍵を取り出す。とか、施錠されている。が、指示で出るかと思う。つまり、これは……。
「他人の家……なのか?」
思わず口にしてしまった。いや、もしかすると、そういう親切設計ではないだけかもしれない。ドアの右にある小窓からは闇が見える。
小窓に目線を移してみると、文字が現れた。
――侵入する――。
これで確信した。帰宅ではなく、これは……侵入だ。
つまりファントムは犯罪者であることが、この短い文字で伝わった。
しかしこれは、あくまでもゲーム。そこまで考える必要はない。
ゲームだから楽しめばいい。なんなら現実ではできないことを好きなようにできるわけだ。
頭の中ではわかっている。だが、この寒気はいったい何を表しているんだ。
答えは、この部屋の中にあると思う。真実が目の前にあるんだ。
「……よし」
僕はコントローラーの決定ボタンを押し、施錠し忘れたであろう小窓を右手でゆっくりと右へ押し、頭、上半身、ファントムの体が部屋の中へ徐々に入り、わずか数秒で侵入できた。
自然な動作なのか、ファントムは室内に侵入すると入ってきた小窓をゆっくりと閉め始め、完全に外部と遮断する。
室内は当然真っ暗であり、聞こえるのは電化製品の静かな駆動音。
目の前には、小さい台所とその奥には静かな駆動音が鳴っている小さい冷蔵庫。
そして、右には施錠されている玄関ドアに小さい土間がある。
目が徐々に暗闇に慣れてきて、うっすらと室内が見えてきた。
土間には、つま先を玄関ドアに向け揃えている一足のロングブーツがあった。
そのロングブーツの太もも部分は左右に倒れており、暗闇である空間でも認識できる明るい茶色。
……女性だ。それも一人。僕は、そう思った。
再び視点を正面に戻す。奥にはすりガラスの引き戸があり、おそらくその奥は女性の自室だと思う。履いている靴の音を響かせないため、中腰で少し前のめりになり、ゆっくりと前に進む。
引き戸に右手をかけ、ゆっくりと右へ引く。
戸車が静かに動き、引き戸は右の引き戸と重なる。
そこに広がるのは、ラベンダーの香り。
奥の窓はカーテンで閉ざされ外の外灯の明かりが隙間から漏れている。
窓の右にはベッドがあり、膨らんだ布団が微かに動いている。
中央にある小さなテーブルを避けてゆっくりとベッドまで近づく。
突然、――両手、ベルト――という選択肢が現れた。
直感で、僕の頭の中で最悪なシナリオができていた。
……違ってほしい、だがこれしか理由がない。
「……ベルトにしてみるか」
――ベルト――を選択する。
その瞬間、ファントムはスラックスに巻いている革製のベルトを外し、寝ている人物の首元に巻きつけ、思いっきり引っ張った。
突然の出来事で驚く人物は引っ張られた勢いでベッドから降ろされ、床で膝立ち状態になり巻かれたベルトを外そうと抵抗する。
するとボタン連打の指示が画面に表示され、僕は思わず連打した。
僕の中に流れる血流が、まるで沸騰するかのようにボタン連打に熱が入る。
しばらく連打していると、別のボタンの連打が表示された。
反応が少し遅れたが、指示された別のボタンを連打する。
すると、ファントムは、首を絞められている人物の背中に右ひざを当て、さらに首を圧迫させた。
それでも抵抗する人物。
ボタン連打のせいなのか、僕の呼吸も荒くなり流れる沸騰した血流が、黒く泥のように冷たくなっていく。
その人物は抵抗をやめ、両腕が重力に抵抗しなくなった。
いや、できなくなった。
ファントムは首に巻いたベルトを外すと、その人物は、ゆっくりとまるでバベルの塔のように崩れ、床に倒れた。
カーテンの隙間から漏れている灯りは、その女性を皮肉にも天の導きかのように、照らしている。
「……やってしまった」
なぜ、この感覚が湧いたのかわからない。もちろん僕自身がやったわけではない。
だが、おかしな話、コントローラーの感触が罪悪感に変わり、冷たい血流が僕の中に循環している。
まだ、ゲームはクリアではない。ファントムは外したベルトを着け戻し、静かに玄関ドアに向かう。
入ってきた小窓を施錠し、玄関ドアを解錠。
ゆっくりとドアノブを回し、開けると隙間から雪が入ってくる。
玄関ドアをゆっくりと閉め、外階段を下り、雪道にうっすら残っている自分の足跡をたどり駅へ向かう。
駅の改札口を通過しホームに行くと21時32分と教えてくれる時計が鉄柱についていた。
すると、右から眩い光が視界に入り見てみると奥から電車がブレーキ音とともに、ゆっくりとこちらに向かってきている。
電車の先端は奥で止まり目の前の扉が開く。
ファントムは乗り込み、しばらくすると空気が抜けた音と機械音で扉が閉まる。
電車は走り出し、視点はホームからファントムを乗せた電車を見届け、画面はフェードアウトした。
何とも言えない感覚が残ったまま、この場面はクリアしたみたいだ。
ノートパソコンを閉じ、壁掛け時計をみると、21時42分であった。
「……そろそろ、寝ようかな」
エアコンを消し、部屋の照明も消す。
その時、一瞬だがノートパソコンを置いている机の横に帽子をかぶった黒ずくめの人物が立っていた。
「え……ファン……トム」
もう一度照明をつけると、誰もいない。
「ゲームのやりすぎかな」
ドパミンの過剰分泌による一時的な脳の認知エラーで幻覚が見える。以前、何かの医学的な本で読んだことがある。
もう一度、照明を消し真っ暗となる。
……誰もいない。
「やっぱりゲームのやりすぎだね」
僕は、僕自身を納得させベッドに入り深い眠りの波に飲み込まれた。




