2話
ぱちぱちと、焚き火が爆ぜる音が聞こえる。
まぶたをゆっくりと開けると、柔らかな光が目に飛び込んできた。
森の朝は、澄み切った清々しい空気に包まれていた。
いつの間にか浅い眠りに落ちていたらしい。
体が少しばかりこわばっているのを感じながら、ふとスライムに目を向ける。
「……良かった」
思わず、安堵の声が漏れ出る。
昨夜まで今にも崩れそうだったスライムが、見違えるような姿を取り戻していたのだ。
朝日に照らされた体は、磨き上げられたエメラルドのように美しく透き通っている。
手のひらに伝わってくるのは、ひんやりとした感触と弾力だ。
「一時はどうなる事かと思ったが、これなら一安心だな」
軽く溜息をつくと、ぷにぷにが可愛らしく揺れた。
表面にふたつの大きな黒目が浮かび上がり、パチクリと俺を見上げてくる。
『……きゅ、きゅ〜っ!』
弾むような声とともに伝わってきたのは、純粋な「感謝」と「歓喜」の感情だった。
スライムは嬉しそうに俺の膝の上で跳ねると、すりすりと頰を寄せてきた。
「元気になってくれて嬉しいよ」
まだ人間の言葉を理解している様子はない。
だが俺の能力を使えば、この子がどれほど喜んでいるかはダイレクトに伝わってくる。
俺の力は聖ルミナス王国では『不吉な力』と気味悪がられていた。
だがこうして命を救い、心を通わせることができたのだ。
この場所に来て間違いでなかったと確信できた。
「俺はレーベンだ。一緒に行こう。もう一人じゃないぞ」
ゆっくりと頭を撫でてやると、スライムは気持ち良さそうに目を細めた。
こうして、俺とスライムの未開の地での二人暮らしが始まった。
◆
相棒を得た俺は、次なる目標に向けて動いていた。
小川は見つけてあるし、食べ物も急ぐほどではない。
まずは安全に住む住むことのできる拠点の確保が最優先だ。
それから安全な場所を探して、森の奥へと足を進めた。
スライムは俺の肩に乗るのがすっかりお気に入りらしい。
ことあるごとに、ぷにぷにと心地よい重みを預けてくる。
「雨風をしのげる洞窟か、大きな岩陰があるといいんだが……ん?」
森を抜けると、ひらけた高台に出る。
その周囲は不自然に草木は枯れており、岩肌が目立っている。
そして明らかに人工物だと思われる祠がひっそりと佇んでいた。
「断絶の領域に、こんな祠があるなんて……」
崩れかけた石柱と、古代の文字が刻まれた壁。
何千年も誰も立ち入っていないような厳かな雰囲気が漂っている。
前人未到の領域。
俺の持つ書物ではそう記されていたが、古代の歴史までは記載していなかった。
聖王国が建国されるよりも以前に、誰かがここに来たのだろう。
好奇心に背中を押され、俺たちが祠の内部へと足を踏み入れる。
その奥にあった石の祭壇に目が留まった。
時の流れにさえ忘れ去られたような祭壇の中央に、ぽつんと置かれていたもの。
それは自ら眩い光を放つ、手のひらほどの大きさの『魔石』だった。
エメラルドグリーンに輝く結晶体から漏れ出すのは、黄金色の光彩。
それらは複雑に混ざり合い、まるで生きているかのように脈動している。
「この大きさに、この純度。どう考えても普通の魔石じゃない、よな。なんでこんなところに……。」
一般的に魔石は、魔物の体内に生成される。
その純度や大きさは魔物のランクによって左右される。
つまり高い純度の大きな魔石は、それだけ凶悪な魔物からしか手に入らないのだ。
目の前の魔石は、貴族として生活していた時にさえ見たことのない大きさと純度だ。
かつてこの地に存在した、特別な魔物の魔石なのか。
あるいはこの地に住んでいた人々の信仰の対象なのか。
その魔石に手を伸ばそうとした、その時だった。
じりじりと首の後ろが焼ける様な違和感を覚える。
これは『敵意』だ。
『きゅっ……!?』
「な、なんだ!?」
ずしん、と地響きが轟いた。
祠全体が激しく揺れ、天井からパラパラと土埃が落ちてくる。
祠の外から、空気を引き裂くような咆哮が響き渡った。
『グルオオオオオオオンッ!!』
大気が震え、入り口が巨大な影に覆われる。
そこにいたのは、全身が硬い岩の甲冑で覆われた体長三メートルを超える巨大な熊。
聖王国の講義で叩き込まれた、Cランク相当の危険度を誇る凶暴な魔物『グラナイト・ベア』だった。
古代の祭壇に気を取られすぎた。
本来であれば察知できたはずの魔物の接近を許してしまった。
出入口を抑えられたいま、逃げ出すのは至難の業だ。
グラナイト・ベアは赤い目を血走らせ、爪を立てて俺たちを睨みつけている。
縄張りを荒らされたと思って怒っているのか。
あるいは祭壇の魔石を狙ってやってきたのか。
その真意を知る由もないが、向けられている敵意だけは本物だった。
「なんてデカさだ……!」
圧倒的な威圧感に、足がすくむ。
手元にあるのは、バッグに入った小さな手斧が一本だけ。
戦闘スキルも持たない元サラリーマンの俺が正面から勝てる相手ではない。
グラナイト・ベアが太い前脚を持ち上げ、咆哮とともに振り下ろそうとする。
そのターゲットは、俺とグラナイト・ベアの間にいたスライムだった。
「させない!!」
考えるより先に、体が動いていた。
俺はスライムを抱きかかえ、祭壇の脇へ必死に転がり込んだ。
衝撃が、祠の内部を突き抜ける。
岩の爪がすぐ背後の石柱を砕き、激しい衝撃波が襲った。
間一髪でかわしたが、追撃が来れば間違いなく押し潰される。
背中に汗を流しながら、俺は必死に頭を回転させた。
戦う術はない。逃げ道も塞がれている。
どうする? どうすればいい!?
その時、腕の中のスライムがするりと抜け出した。
慌てて手を伸ばすがその素早さをとらえることはできなかった。
すぐさま追いかけるが、その時スライムの意思が頭に入ってくる。
戦う。
この敵と。
守る。
この仲間を。
小さなスライムは、俺を守る為にグラナイト・ベアと戦うことを選んだのだ。
スライムは、Fランク相当の魔物だ。対してグラナイト・ベアはCランク。
戦いにすらならないだろう。
それでも、スライムは立ち向かうことを選んだ。
ならば、俺も覚悟を決めるべきだろう。
崩れた祭壇の近くに転がる、『古代の魔石』が視界に入る。
俺の『交心』には、もうひとつ能力がある。
それを使えば、この状況を切り抜けることもできるかもしれない。
かもしれないだが、生き残るにはこの方法しかない。
「これは賭けだ……! だが信じてくれ! 必ず、成功させて見せる!」
グラナイト・ベアの追撃を間一髪で回避しながら、魔石を掴み取った。
ずっしりとした重みと、溢れ出す膨大な魔力。
そしてグラナイト・ベアを翻弄するように動き回るスライムに向けて、魔石をかざす。
握りしめた魔石がさらなる光彩を放ち、秘められた魔力が流れ出す。
それらの向かう先は、勇敢なるスライムの元だった。
「頼む……声を……、俺の言葉を、聞いてくれ!!」
《契約》!!!
底知れぬ黄金色の魔力が爆発的に噴出した。
純然たる力の本流となったそれが、瞬く間にスライムを包み込む。
戦うというスライムの覚悟。
戦うという俺の決断。
それに応じて魔石は姿を変えた。
祠の内部は、あますところなく眩い閃光に包まれる。
その光は襲い掛かろうとしていたグラナイト・ベアでさえ、恐怖で動きを止めるほどだ。
微かに見えるスライムのシルエットは徐々に変化していく。
天使の如き巨大な二対の翼。
機械的な幾何学模様を有したハイロウ。
グリーンの体は、今や透き通ったブルーサファイアの如き輝きを宿している。
《契約完了。【Fランク/スライム】は【Aランク/創世の万緑姫・エデンスライム】へと覚醒進化します》
その姿は神々しくも神秘を備えた形へと進化を遂げた。




