1話
よろしくお願いします。
国境沿いの重厚な石造りの門。
その外側へと、乱暴に押し出される。
「異端者レーベン、貴様を聖ルミナス王国より永久追放する」
「俺が異端者、ですか? 聖王国に歯向かうようなことは、一度もしていないと思いますけど」
「絶対悪である魔物の言葉を理解するお前など、魔物も同然だ。我が聖王国に一分一秒たりとも置くわけにはいかん。感謝するのだな、我らが国の慈悲深さにより処刑ではなく追放で済んだことを」
マルクス騎士団長が冷酷に言い放つ。
その目は、まるで汚物でも見るかのように冷ややかだった。
だが実際には、貴族の血筋である俺を大々的には処刑できなかった、というだけのことだろう。
俺が門をくぐったことを確認したマルクスは、翻り門の内側に止めていた馬車へと乗り込んだ。
見上げるほどの堅牢な大門が、重々しい音を立てて固く閉ざされる。
馬車が走り去る音が遠のき、やがてあたりには完全な静寂が訪れた。
「まずは、荷物の確認からだな」
急な決定だったため、持ち出せた荷物は少ない。
バッグには古びた手斧と何冊かの図鑑。
治癒のポーションが一本。
そして空の水筒がひとつ。
貴族の息子として育ったが、それらが今の俺の全財産だ。
そして目の前に広がるのは、人間が住まう領域とは全く異なる世界。
『断絶の領域』。
危険な魔物が多く住まう、前人未到の未開拓の領域だった。
その境界線の上に、俺――レーベンは一人残されていた。
普通ならば、ここで膝をつき涙を流すところなのだろう。
しかし――
「…………ふぅ」
深呼吸をひとつ。
澄み渡る青空を見上げる。
そして、思い切り両手を高く突き上げた。
「自由だーーーーーッ!!」
声が枯れんばかりの叫びが、抜ける様な青空に広がっていく。
絶望、悲しさ、そんなものは毛ほど存在しない。
あるのは、胸がいっぱいになるほどの解放感だけだった。
俺には、前世の記憶がある。
かつては日本のブラック企業で、連日サービス残業に追われる社畜だった。
そして過労で倒れて気付けばこの世界。
最初こそテンションが上がったが次第にきな臭い現実が牙を剥いた。
この国の体制も、前世のブラック企業なんて比ではないほどのブラック環境だったのだ。
幼い頃から、聖務と呼ばれる雑用を押し付けられる日々。
その聖務の中でさえ苛烈な上下関係に精神をすり減らしてきた。
そして苦労して成果を上げても、騎士や聖職者が横取りするばかり。
挙げ句の果てに『魔物の声が聞こえる』という体質がバレた途端、『異端者』の烙印を押されて追放だ。
とはいえ今はその対応には感謝しかない。
「追い出してくれて、本当にサンキューなマルクス騎士団長! おかげで面倒な雑務からもおさらばだ!」
思わずガッツポーズが飛び出る。
あんな国、こちらから願い下げだったのだ。
周囲の人間は俺に『生きて戻れぬ死地へ追放された哀れな男』と同情的な目を向けていた。
だがそれは全くもって正しい見方ではない。
俺は退職金代わりに『タダで広大な土地を貰えた』のである。
目の前に広がるのは死の大地ではない。
第二の人生における自由を体現する、理想郷だ。
「さて! まずは新生活の準備だな」
俺はパンパンと両頬を叩き、気持ちを切り替えた。
背中のバッグを担ぎ直し、一歩を踏み出す。
『断絶の領域』は聖王国の人間ならば誰もが恐れる土地だ。
しかし俺の目の前に広がっているのは青い空と雄大な山々、そして手付かずの深い緑。
空気は驚くほど清々しく、水や木の実も探せばいくらでもありそうだ。
「雨風をしのげる拠点と、食べ物を探すとしよう。前世のソロキャンプの知識が役に立ちそうだな」
鼻歌交じりで、土を踏みしめて歩いていく。
木々の隙間から差し込む木漏れ日と、肌を撫でる風。
これからの生活を想像するだけで、ワクワクが止まらなかった。
――その時。
『……ッ、……ぁ……』
胸を締め付けるような、悲痛な念波が頭の中に直接届いた。
直接的な人間の言葉にはなっていない。
ただ「苦しい」「助けて」「消えてしまう」という弱々しい感情の波動。
これが聖ルミナス王国の連中が『不吉な力』と蔑んでいた俺の能力のひとつ。
『交心』による魔物の心の声を理解する力だ。
そして声が届いたということ。
それはこの周辺に魔物がいつということにほかならない。
図鑑でも見たことのない、危険な魔物かもしれない。
関われば魔物同士の争いに巻き込まれる可能性だってある。
だが頭で理解するより先に、俺の足は草むらに向かって走り出していた。
『交心』によって、攻撃的な感情がないことを理解したからだ。
「おい、大丈夫か!? 今、どこに――」
慎重に草むらをかき分けた俺は、思わず息をのんだ。
そこにいたのは、拳ほどの大きさに縮こまった小さなスライムだった。
だが、俺の知っているぷにぷにとしたスライムの姿とはほど遠い。
完全に水分を失い、干からびた古いゴムボールのようになっていた。
濁った緑色の体は、端の方からボロボロと砂のように崩れかけている。
まさに、瀕死。
あと少しでも放置されれば、完全に消滅してしまうであろう痛々しい姿だった。
消えかかった命の訴えが、ダイレクトに頭へと響き渡る。
死への恐怖と、生への渇望が。
「待ってろ! 今、助けてやるからな!」
焦る手でバッグを漁り、ポーションと空の水筒を取り出す。
幸いにも歩いてくる途中で、小川のせせらぎを聞いている。
水辺の近くなら植物も豊富に生えそろっているはずだ。
ポーションの栓を引き抜き、スライムに振りかける。
そのまま全力で駆け出し、小川の元へと向かう。
さらに、途中で熟した朱色の果実をいくつか摘み取る。
「ハァ、ハァ……! 戻ったぞ、無事か!?」
すでに瀕死だ。
壊れ物を扱うようにそっと手で包み込み、水を垂らす。
幸いにもポーションで外傷は塞がりつつある。
「聞こえるか? 水を飲むんだ、しっかりしろ!」
水筒から流れる水が、スライムの体表を伝っていく。
ジュッっと小さな音と共に、徐々に水がスライムの体に吸い込まれていく。
だが、あまりに衰弱しているため、自力で吸い上げる力すら残っていないのか。
水の殆どが取り込まれることなく、地面に流れ落ちていく。
「くそっ、これならどうだ……!」
摘んできた朱色の果実を両手でペースト状にすり潰す。
それをスライムの体に少しずつ、丁寧に塗り拡げて染み込ませていく。
栄養と水分を、直接体に含ませる作戦だ。
果汁が染み込むにつれ、かすかな感謝の感情が返ってきた。
乾ききっていたスライムの体表が、ほんの少しずつ瑞々しさを取り戻しているように見える。
「それでいい……! よし、このまま休むんだぞ」
植物の葉を集め、その上に優しくスライムを載せる。
そして木の実のペーストと、水筒の水を少しずつ垂らし続ける。
気が付けば、夜のとばりが降りていた。
闇と静寂が未開の森を包み込み、徐々に不安が首をもたげる。
それでも不思議と恐怖を感じないのは、このスライムのお陰だろうか。
火を起こし、スライムから水分を奪わないよう適切な距離へ寄せる。
そしてそれから、小さな命から目を離さず水と果物を与え続けた。
「死ぬなよ……絶対、助けてやるからな」
暗闇と静寂の最中、焚き火の爆ぜる音だけが響く。
スライムは俺の声に応えるように、かすかに震えたのだった。




