王城の最も奥深く、厳重な警護に包まれた謁見の間は、いまや緊迫した空気で重く張り詰めていた。
広間の中心に置かれた大理石のテーブルの周囲には、王国の最高権力者たちが集まり、刻一刻と悪化していく戦局についての議論が交わされている。
玉座に座るのは、疲労の色を隠せないながらも国を統べる国王その人だった。
その傍らには、気丈に振る舞いながらも不安げな表情を浮かべる王妃が寄り添い、さらにその周囲を取り囲むように、王族に忠誠を誓う高位貴族の面々がざわめきを上げていた。
「王都の防衛線が各所で突破されつつあるとの報告が入っております! このままでは王城の内部まで魔物どもが侵入するのは時間の問題かと……!」
「なんと頼りない! 近衛騎士団は何をしているのだ! 直ちに増派を送り込め!」
貴族たちの間で飛び交う焦燥に満ちた怒号と悲鳴のような意見の数々。
その中で、ひときわ強い責任感を瞳に宿しながら前を見据えていたのは、第一王女エルザだった。
そして、彼女のすぐ後ろには、シオンの指示でエルザを守るため貴族アルベルトが、控えている。
「父上、諸侯の皆様、落ち着いてください。今こそ一丸となって防衛体制を立て直さなければ、王都は持ちこたえられません。私とアルベルトが前線へ赴き――」
エルザが毅然とした声で場を鎮めようと言葉を発した瞬間、謁見の間の重厚な両開きの扉が激しく押し開かれた。
息を切らせ、全身を血と埃で汚した一人の若い騎士が、狂喜と驚愕が入り混じった表情で床に膝をついた。
「報告いたします……っ! 王都の中央広場付近にて、かつてない異常事態が発生いたしました!」
「なに? 結界が破られたというのか……!」
国王が立ち上がりかけ、貴族たちが絶望の息を漏らしたその矢先、騎士は興奮を抑えきれない声で叫んだ。
「い、いいえ違います! 謎の軍勢を引き連れた一人の男が突如として戦場に現れ、暴虐を極めていた魔物の群れを、わずか数十分で一網打尽に討伐いたしました……! 現在、魔物は一掃され、王都は奇跡的な救済を迎えました!」
その信じがたい吉報に、謁見の間は一瞬の静寂に包まれたあと、爆発的な歓声と安堵のざわめきへと変わった。
「シオン様が……戻られたのですね……!」
エルザの瞳から、こらえきれなかった安堵の涙が一筋こぼれ落ちた。
その表情には、彼に対する深い信頼と、抑えきれない恋心のような熱い感情が溢れ返っている。
アルベルトもまた、常に冷静さを保っていたその端正な顔立ちをわずかに緩め、深く胸をなで下ろした。
「エルザ様、シオンが......シオンが来てくれたのです。もはや、この国に恐れるものはありません」
「ええ、そうねアルベルト! 私たちも一刻も早く、シオン様のもとへ向かいましょう!」
エルザは服の裾を翻すと、謁見の間の規律も忘れて走り出し、その後をアルベルトがしっかりと従うようにして城内を飛び出した。
国王や貴族たちの制止の声も聞かず、二人は一目散にシオンが元へ急ぐ。
やがて、城門を抜け、歓声に包まれる広場の近くまでたどり着いたエルザとアルベルトの視界に、シオンの姿が捉えられた。
その周囲には、数々の美女たちや獣人族などの戦士たちが控えており、まさに凱旋の英雄そのものの雰囲気を醸し出している。
「シオン様……っ!」
エルザが嬉しさに声を弾ませながら駆け出そうとした瞬間だった。
突如として、王都の青空を覆っていた雲が激しい熱風によって引き裂かれ、太陽の光が完全に遮られた。
あまりにも異常な気圧の変化と、肌を焦がすような凄まじい熱波が王都全体を包み込む。
「……なっ、なんだ今の風は……!?」
アルベルトが反射的に剣を抜き、鋭い眼光で上空へと視線を走らせた。
広場にいた人々も、あまりの恐怖に息を呑み、一斉に天を仰ぎ見る。
そこにあったのは、王都の城壁よりも遥かに巨大な翼を広げ、紅蓮の鱗をギラギラと輝かせながら旋回する伝説の怪物、巨大なファイヤードラゴンの姿だった。
その口元からはすでに極限まで圧縮された高熱の炎が渦を巻いて漏れ出しており、一歩間違えば王都そのものが一瞬で灰燼に帰すほどの圧倒的な殺気を放っている。
「嘘でしょう……あんな化け物が、まだ残っていたなんて……!」
エルザが恐怖に顔を引きつらせながら呟いた。
さきほどまでの歓喜の空気は一瞬で霧散し、王都は再び絶望の底へと引きずり込まれていく。
「全軍、戦闘態勢に入れ! 奴が来るぞ!」
シオンの冷徹かつ力強い号令を合図に、王都を救うため再び戦いの幕が切って落とされた。
しかし、そのファイヤードラゴンの戦闘力は、これまでの魔物や魔王軍の幹部たちとは次元が違っていた。
巨体が放つ圧倒的な熱量だけでも周囲の石畳が溶け始め、放たれた一撃の尾撃や咆哮だけで、防衛にあたっていた兵士たちが次々と吹き飛ばされていく。
「ぐっ……! なんという強靭な耐久力と魔力なの……! 私たちの攻撃が、まともに通じない……!」
魔導士リーナが展開した強力な魔導結界すらも、ドラゴンの放つ熱線の余波の前にヒビが入り、妖精族のルミナリアやウルフ族のルナリスたちの素早い斬撃も、硬質な紅蓮の鱗に弾き返されてしまう。
次々と前線で戦っていた兵士や冒険者たちが傷つき、血を流して地面に倒れ込んでいく。
流石のシオンの一行も、想像を絶するドラゴンの猛攻の前に、かつてないほどの苦戦を強いられていた。
第69話へ続く