【第58話】冥界の執行者
幻影公爵ファントムロードを完全に調伏し、その精神体と「霧の亡霊城」の全てのシステムを強奪したシオンは、すでに次なる、そして最後にして最大の障壁へと目を向けていた。
紫黒色の快楽の霧に満たされた亡霊城の玉座の間。
かつてファントムロードが座していた場所には、いまや絶対の支配者としてシオンが君臨している。
その傍らには、心身ともにシオンの下僕へと調教された四天王たち、そして彼に仕える美しき従者たちの姿があった。
「はぁ、はぁ……主様、シオン様……。我が幻影の魔力、すべて貴方様のもの……。どうか、もっと、私を内側から満たしてください……っ」
精神核に「性の捕食者」の紋章を刻まれ、泥状の身体を艶めかしい少年の姿へと固定されたファントムロードが、シオンの足元で己の衣服を乱しながら、恍惚とした表情でその脚元に這いつくばっている。
かつては絶対不可侵の領域を支配していた高慢な公爵が、いまや快楽を貪るだけの哀れな下僕へと成り下がっていた。
「クフフ、慌てるな。お前の幻術と死者の軍勢は、魔王の喉元へ刃を突き立てる際の最高の盾になってもらう。それまでは精々、俺のためにその虚無の身体を震わせていろ」
シオンは冷酷に言い放ち、ファントムロードの頭を乱暴に踏みつける。
公爵はそれすらも極上の愛撫であるかのように、背中を弓なりに反らせて甘い悲鳴を上げた。
「さすがシオン。これで四天王も残るは一人……魔王城を守護する最後の門番『冥界の執行者』だけね」
リーナが、手にした魔導書をパサリと閉じ、シオンの前に進み出る。
その表情には、これまでの四天王戦とは異なる、明確な警戒の念が滲んでいた。
「そうだ、リーナ殿。だが、奴は我ら四天王のいっかくですら足元にも及ばない純粋なる『死』の概念を武器に変え、あらゆる魔術、あらゆる防壁を切り裂く、魔王軍最強の武人だ」
いまや、シオンに忠誠を誓う火炎公爵フレアロードが、低く、重い声で応じる。
「戦ったことないからどれほど強いのか知らないけれど、シオン様に抗えると思っているのかしら? 滑稽だわ」
ルビリアが傲慢に胸を張り、シオンの腕に自らの豊満な双丘を擦り付ける。
「ルビリアの言う通りです。私たちが必ずやあなた様の盾となりましょう」
アルテミシアが静かに一歩進み出て、胸の前で祈るように手を組む。
その隣では、シェリアが、潤んだ瞳でコクコクと深く頷いていた。
「このシェリア。シオン様のためなら、この命のすべてを捧げ、お守りいたします」
アルテミシアが、陶酔した表情でシオンの片手を両手でそっと握りしめる。
「お命じください、シオン様。この私が、その首を刈り取って御前に差し上げましょう」
「クフフ、頼もしいことだ。だが、魂の刈り取りなどという退屈な死など、俺の放つ圧倒的な『生の奔流』の前ではただの子供の遊びに過ぎん」
シオンは玉座から立ち上がり、その圧倒的な覇気を放ちながら、亡霊城のテラスへと歩み出た。
彼のすぐ後ろでは、魚人族の女王リヴァイアが、艶やかな魚尾をくねらせ、シオンの背中に甘えるように寄り添っている。
「シオン様……海の底から連れてきてくれたあなたのためなら、私はどんな嵐も、死の海も作り出してみせます……。だから、私をたくさん愛してくださいね……っ」
シオンはそっと頭を撫でてやる。
「これより、決戦の地、地獄の窯と呼ばれる『冥府の谷』へと向かう。ファントムロード、お前はこの亡霊城の全ての魔力を要塞船の結界へと同期させろ。リヴァイア、お前は水魔力で船の出力を極限まで高めろ。行くぞ、お前たち」
シオンの絶対的な命令に、全員が歓喜と興奮に震えながら一斉に「はっ!」と平伏した。
亡霊城から放出された膨大な幻影の闇と、入江から立ち上る深海の水魔力が、激しく絡み合いながら要塞船へと収束していく。
入江を抜け、シオンたちを乗せた無敵の船は、魔王軍の最後の砦へと舵をきる。
そして、数時間の航行の末、要塞船の行く手に現れたのは、大地が大きく裂けたような不気味な巨大裂谷「冥府の谷」へ続く入江であった。
谷からは、生者の精神をかき乱す死者の嘆きが風となって吹き荒れ、空は血のように赤い雲に覆われている。
その谷の最奥にそびえ建つ巨大な黒石の門の前に、そいつは静かに佇んでいた。
全身を漆黒の鎧で包み、身の丈を超える巨大な大鎌を肩に担いだ静寂の騎士。
鎧の隙間からは、肉体ではなく、蒼白い冷徹な魂の炎が揺らめいている。
呼吸の音すらしない。
ただそこに存在するだけで、周囲の草木が枯れ、空間そのものが凍りついていくような圧倒的な「死」の圧迫感。
それこそが、魔王軍最後の番人、冥界の執行者であった。
「来たか、人間。いや、魔を貪る混沌の怪物よ」
地中から響くような、重々しく、一切の感情を排した声が門前に響き渡る。
執行者はゆっくりと肩から鎌を下ろし、その刃をシオンへと向ける。
「フレア、リヴァイア、ファントム……。我が同胞たちを無様に貶め、支配したその力、確かに対峙するに値する。だが、我が刃が刈り取るのは肉体ではない。貴様のその貪欲な魂そのものだ!この地でお前たちを始末し、次は王都の人間どもを蹂躙してやろう」
「クフフ、よく喋る鎧だな。だが、お前がどれだけ死を気取ろうと、俺の前に立つ以上、その中身を暴かれ、俺の欲望の肥やしになる運命は変わらんぞ」
シオンは不敵な笑みを浮かべて執行者を見下す。
八人の美女たちもまた、それぞれの武器と魔導を構え、主の勝利を確信しながら殺気を放っていた。
最後の四天王との、世界の命運をかけた、そしてシオンの飽くなき支配欲を満たすための最終決戦の幕が、いま静かに上がろうとしていた。
第59話へ続く




