【第29話】氷獄の咆哮
神殿の最奥、聖域を蹂躙するかの如く現れた黒氷将ヴァルグリム。
その全身から放たれる漆黒の魔力は、神殿を包む清浄な冷気を濁らせ、床を腐食させていく。
かつてないほどに歪な殺気に対し、シオンは微塵の恐れも見せず、むしろ飢えた獣のような悦びに顔を歪めた。
「ヴァルグリム、か。魔王軍の幹部がわざわざ出張ってくるとは、随分と景気のいい歓迎だな」
シオンが嘲るように言い放つと、ヴァルグリムは兜の下からドロリと粘り気のある冷笑を漏らした。
「人間ごときが、この神殿の領域に踏み入るとは。お前の魂も、その傲慢な瞳も、私の氷漬けコレクションに加えてやろう。その『名』と共に」
ヴァルグリムが右手を掲げると、神殿の空間が軋みを上げた。
無数の氷の槍が空中に生成され、シオンたちを包囲する。
その一つ一つが、触れれば魂まで凍らせる呪いの力を秘めていた。
「サクヤ、下がっていろ。……リーナ、セレナ、ルナリス、ルミナリア。お前たちの出番だ。俺の『スキル』とシンクロしろ!」
「任せて」
リーナが最大魔力で道をひらき。
シオンの命を受けたセレナが、その身をフェンリルへと姿を変え、魔獣ほんらいのしなやかさで躍動させた。
セレナの指先が虚空を掻くと、神殿内の氷が逆転し、ヴァルグリムの槍を空中で粉砕する。
「お前の氷如き、我が主の前で牙など剥かせはせぬ!」
ルナリスとルミナリアもまた、シオンから与えられた魔力を限界まで解放する。
二人が同時に放つ聖なる光の奔流は、神殿の天井を突き抜け、空間を浄化していく。
ヴァルグリムの槍は光に溶け、聖域の守護としての力が神殿全体に共鳴を始めた。
「小賢しい……! 巫女の力か、それとも貴様が与えたのか、シオン!」
ヴァルグリムは苛立ちを露わにし、背中に装備していた漆黒の巨剣を振り下ろした。
神殿の床が弾け飛び、衝撃波が一行を襲う。
リーナが咄嗟に障壁を展開するが、幹部クラスの力は圧倒的だった。
障壁が悲鳴を上げ、亀裂が走る。
その瞬間、シオンの影が揺らぎ、次の瞬間にはヴァルグリムの背後に瞬時に接近していた。
「華が足りないぞ、ヴァルグリム。もっと観客を沸かせるパフォーマンスを見せてみろ」
シオンの掌から放たれたのは、熱も冷気も持たない、ただ純粋な強制支配『性の捕食者』の力だった。
「性別だろうが、種族だろうが関係ない!」
それは物理的な破壊力ではなく、相手の存在そのものを我がものとする強制契約の力。
「ぐぅっ……な、なんだ、この魔力は……!? 私の核が、まるで貴様の一部に組み込まれようとしている……!?」
「そうだ。お前のその『黒氷』、俺のコレクションの一つに相応しい」
シオンはヴァルグリムの胸に手を突き立て、支配の刻印を強引に焼き付ける。
ヴァルグリムが苦悶の声を上げ、神殿全体が激しく揺れ動いた。
サクヤはその光景を目の当たりにし、ただ呆然と立ち尽くしていた。
ずっと一人で、この絶望的な敵と戦い続けてきた彼女にとって、神殿に侵入したはずのシオンが、魔王軍の幹部すらも従属させようとする光景は、理解の範疇を超えていたからだ。
「サクヤ、お前も泣くな。これは『戦い』の序章に過ぎない」
シオンが背中越しに優しく声をかけると、サクヤは吸い寄せられるように彼を見つめた。
これまで彼女を支配していた『守る義務』という呪縛が、シオンという圧倒的な存在の影に覆われ、消え去ろうとしていた。
「シオン様……貴方は、何者なのですか」
「ただのホストだよ。客を満足させることにかけては、魔王だろうが神だろうが平等に接する」
ヴァルグリムは膝を突き、その漆黒の鎧が砕け散り始めていた。
彼は抗おうと足掻くが、シオンの指先から流れ込む支配の波は、彼の自我を侵食し尽くそうとしていた。
「まだだ、まだ終わらん……! 魔王様の復活は、誰にも止められん……!」
ヴァルグリムが最後の力で咆哮する。
それは封印の崩壊を告げる合図。
魔王軍の軍勢がこの領域へと殺到する気配が、凍てつく大気を通じて伝わってくる。
「さあ、本番だ。サクヤ、お前の守ってきたこの神殿、俺たちが新しく塗り替えてやろう」
シオンは支配したヴァルグリムの頭上に手を置き、自らの魔力で軍勢の指揮系統を直接書き換えていく。
黒氷将が操っていたはずの魔物たちが、シオンの支配の下に強制的に跪き始める。
この瞬間、シオンは北方の支配権を魔王軍から奪い取った。
いや、それどころか、魔王の尖兵すらも自身の『愛妾』や『手駒』に変え、自らの勢力を大陸全土へと広げるための基盤を固めたのだ。
神殿の外では吹雪が荒れ狂い、魔物たちがシオンを崇めるかのように頭を垂れる。
「呆れた。シオン、あなたのスキル『性の捕食者』は女性にだけ有効だったんじゃないの?」
リーナが呆れた表情を浮かべて駆け寄ってくる。
「ホストとしての能力がレベルアップした」
それは、三日前、フロスト・ヘイムでフェンリルのセレナと結ばれたときの出来事だった。
「いったい貴方は何処まで行くつもりなのかしら……」
そして巫女サクヤは、その光景を前に、自らの運命がシオンという男の中に飲み込まれていくのを、逃れられない高揚と共に感じていた。
神殿の氷が情欲の色に染まり、新たな軍団が誕生する。
第30話へ続く




