フロスト・ヘイムの宿を出発したシオン、リーナ、ルナリス、ルミナリア、そして昨夜名を得たばかりの守護者セレナの一行は、北の果てへと向かっていた。
イリスをギルドへ、エルザとアルベルトを王都へと帰還させ、戦力を精鋭へと絞り込んだシオンの瞳には、かつてないほどの昂揚感と、支配者としての冷徹な野心が宿っている。
降り積もった雪は朝日を反射して淡く輝き、まるで無数の宝石を撒き散らしたかのように眩い光景を作り出していた。
しかし、北へ進めば進むほど、空気は容赦なく肌を刺すような冷たさを増し、一行を覆う影は色濃くなっていく。
「……妙だな」
先頭を歩くシオンがふと足を止め、小さく呟いた。
「何が?」
リーナが不安げに尋ねる。
「雪原全体に張り詰めた緊張感がある。まるで北の果ての地底で、何かが目覚めようとしているみたいにな。空気の密度そのものが、俺たちの知るものとは別物だ」
シオンの隣で、銀髪を凍てつく風になびかせるセレナが、琥珀色の瞳で静かに地平線を見つめた。
彼女の表情には、かつてフェンリルとして君臨していた時とは違う、繊細で人間的な警戒が宿っている。
「お前の直感は正しい、シオン。北の果てにある『白銀の神殿』――古代より神聖な力で守られてきた聖域の封印が、今、目に見えて弱まっている」
「神殿?」
ルナリスが問い返す。
「それが魔王復活と関係があるのですか?」
「ああ。神殿の最奥には、かつて神々が遺したとされる秘宝が眠っている。魔王軍が動き出した今、やつらがその封印の力を狙わないはずがない。あれが解放されれば、北方は瞬く間に戦火に包まれるだろう」
シオンは唇の端を吊り上げ、不敵に笑った。
「なら、先回りして全部いただこう。魔王に渡すくらいなら、俺たちが手に入れるべきだ。俺は退屈な平和よりも、常に刺激的で面白い物語しか求めていない。この雪原が戦場になるというのなら、その主役は俺たちが張る」
その妥協のない強欲さに、リーナは肩をすくめつつも苦笑を浮かべる。
シオンの伝説は、常に力と欲望の渦の中で、その輪郭を際立たせていくのだ。
三日間にわたる過酷な雪原の行軍を終え、一行は巨大な氷の峡谷へと辿り着いた。
そこには、古代文字が刻まれたまま半ば崩れ落ち、それでもなお圧倒的な威容を放つ巨大な石門がそびえている。
「ここが入り口だ。白銀の神殿へと続く、唯一の道だ」
セレナが告げた瞬間だった。
轟音とともに大地が激しく震え、周囲の雪壁が剥がれ落ちていく。
「伏せろ!」
シオンが叫ぶ。
無数の氷の塊が雪崩となって一行を飲み込もうとしたその時、セレナが空間そのものを凍てつかせるほどの青白い光を放った。
雪崩は空中で静止し、まるで時が止まったかのような幻想的で危険な光景が広がる。
氷の結晶がキラキラと舞う中、門の奥から一人の少女が姿を現した。
長い蒼銀色の髪、透き通るような白磁の肌、氷のように冷たくも美しい青い瞳。
神秘的な巫女装束を纏った彼女の周囲には、無数の氷の結晶が浮遊している。
リーナでさえ思わず息を呑むほどの膨大な魔力が、彼女の細い身体から溢れ出していた。
「侵入者……ここを何処だと思っているのですか。聖域です」
澄んだ声には、孤独と深い拒絶が混じっていた。
「何故ここへ来たのですか」
少女の問いに、シオンは平然と歩みを進め、至近距離で言い放った。
「守るためだ。魔王軍がここを狙っているんだろう? 隠し事をする必要はない」
少女の瞳がわずかに揺れた。
「……知っているのですか。何故?」
「ああ。俺たちの獲物が奪われるのが、何よりも気に食わないからな」
少女はしばらくシオンの瞳を凝視し、やがて力なく口を開いた。
「私の名はサクヤ。白銀の神殿を守護してきた巫女の一族ですが……私が最後の生き残りです」
彼女は淡々と語った。
魔王軍に家族も仲間も皆殺しにされ、たった一人でこの聖域を守り続けてきたという告白。
その瞳の奥には、少女が抱えるにはあまりに過酷な孤独と悲しみが澱のように沈んでいる。
シオンは優しく彼女の前に立ち、その肩に手を置いた。
「よく頑張ったな」
その一言だった。
誰にも認められず、泣くことさえ許されず、張り詰めていた心の壁が、脆くも崩れ去る。
堰を切ったように涙を流し、少女はその場に膝をつく。
シオンは何も言わず、その背中を慈しむように、しかし所有権を誇示するように優しく撫でた。
「もう一人じゃない。俺たちがいる」
少女がようやく安堵の微笑みを浮かべた――その時だった。
禍々しい漆黒の魔力が火柱のように噴き上がり、大地を根底から震わせた。
現れたのは、黒い鎧を纏った魔王軍幹部――黒氷将ヴァルグリム。
「最後の巫女よ。その封印の奥にある『封印の鍵』、いただかせてもらう」
響き渡る高笑い。
北方を支配する災厄を前に、シオンの瞳が獣のように細められた。
「魔王軍か。……ちょうどいい、さっそく俺の『獲物』を仕留めさせてもらおうか。お前の首と、その神殿の宝、両方とも俺のものだ」
白銀の神殿を舞台に、血と魔力に彩られた新たな戦いの幕が今、静かに、そして激しく上がろうとしていた。
第29話へ続く