水の都、アクア・ヴェイルの源泉『忘却の泉』
そこは街の華やかな表通りとは隔絶された、死を待つ者たちの安息地であった。
淀んだ水面は、歌姫フィオナの凍りついた心を映し出している。
かつて彼女が愛した男は、彼女の力を自らの欲を充すためだけに近づき、彼女の美しい鱗をその手で剥ぎ取り姿を消した。
胸元に残る痛々しい傷跡は、今も歌うたびに彼女の魔力を蝕み、愛することへの恐怖を刻みつけている。
俺たちが泉のほとりに立ったとき、彼女は俺たちを一度も見ようとしなかった。
その背中は、あまりにも孤独で、そして拒絶の意思に満ちていた。
「……裏切られたから歌わないんじゃない。私の歌が、愛した人を狂わせたのよ。私の声を聞いた者は、皆、私の鱗を奪おうとする。……帰って。あなたも結局、私の歌という『富』が欲しいだけなんでしょう?」
フィオナの言葉には、絶望だけでなく、自分を愛した者すらも怪物に変えてしまったという、深い自己嫌悪が混ざっていた。
彼女にとって歌うことは、他者を傷つけ、自分自身を削り取る行為に他ならない。
彼女は自分の声を、自分の命を、この暗い泉の底に封印していたのだ。
俺はフィオナの数歩前で立ち止まった。
彼女の鋭い殺気を受け流し、あえて心に踏み込むようなことはしなかった。
ホストにとって、客の心は「所有」するものではなく「解放」するものだからだ。
「富か。確かに欲しい。だが、俺が欲しいのは君の鱗じゃない。君が、その歌声をただ一人に向けて響かせたいと願う、その『孤独』の方だ」
俺は懐から、迷宮で手に入れた「魔力を鎮める宝石」を取り出し、泉の縁に静かに置いた。
これは強制的な支配の道具ではなく、彼女の胸の傷を鎮め、俺と対話するための対価だ。
「フィオナ。……俺は君の傷跡さえも、愛してやる」
俺は彼女の足元まで進み、彼女の胸元に残る痛々しい傷跡に手を伸ばした。
彼女は激しく身を引こうとしたが、俺の指先から流した微かな魔力が、彼女の傷口からあふれ出す「拒絶」を優しく包み込む。
「……触れないで! 痛むの。歌えば歌うほど、この胸の奥が焼き切れるように……!」
「分かっている。なら、俺がその痛みを受け止めてやる。歌え。その絶望を吐き出せ。俺が君の苦しみのすべてを、甘い蜜へと変えてやる」
俺は彼女の肩を抱き寄せ、冷たい泉の底へと引き込んだ。
彼女の胸に刻まれた傷跡に俺の口づけを落とす。
それは慰めではない。
彼女が抱え続けてきた「汚点」を、俺の男としての誇りで上書きする行為だ。
彼女は俺の首に爪を立てた。
殺意に近い衝動。
だが、俺のホストとしての圧倒的な包容力は、彼女の殺意をそのまま「愛」の形へと昇華させていく。
フィオナは泣き崩れ、俺の腕の中で慟哭した。
長い年月、誰にも言えなかった「愛した男への憎しみ」と「愛されたいという渇望」。
彼女が俺の胸でむせび泣くたび、周囲の水が渦を巻く。
俺は彼女の髪を指で絡め、執拗に耳元で囁き続けた。
「そうだ、もっと泣け。その涙のすべてが、次の歌の旋律になる。……フィオナ、君は俺のものだ。君を傷つけた男のことなど忘れるまで、俺が君のすべてを塗り替えてやる」
一夜にして心は癒えない。
しかし、彼女の瞳から「死」の気配は消え、代わりに俺への興味という新しい炎が灯った。
それは彼女の絶望を根底から支える、強烈な支配の始まりだった。
フィオナは震える声で俺の名を呼び、その唇を俺に重ねる。
「……シオン。私を、壊して……。貴方の色に染まるまで、歌い続けるから……」
その甘美な誘惑に、俺は獣のような笑みを浮かべた。
彼女の繊細な肩を抱き寄せ、俺はそのまま、水の底に沈み込むように深く、深く彼女を抱いた。
泉の冷たさはもう感じない。
二人の体温が混ざり合い、この泉そのものが熱を帯びていく。
フィオナの鱗が俺の指に触れるたび、彼女は電流が走ったかのように身体を硬直させ、切なげな声を漏らした。
かつて男に蹂躙された痛みの記憶が、俺の愛撫によって塗り替えられていく。
俺は彼女の胸元の傷跡をなぞり、そこに残る過去の残滓を食い尽くすように、執拗に口づけを落とした。
「ぁ……っ、シオン……っ! そんなに、激しく……っ!」
彼女の歌姫としての誇りが、快感の中で溶けていく。
俺は彼女の腰を抱き寄せ、より深く、逃げ場を失わせるように突き上げた。
水の抵抗さえもが、俺たちの絡み合う肢体をより密着させるためのスパイスとなる。
フィオナは俺の背中に爪を立て、恍惚と苦悶が入り混じった表情で、何度も何度も名前を呼んだ。
彼女が歌を捨てた喉から、今は絶頂を告げる美しき喘ぎが溢れ出す。
俺は彼女のすべてを受け止め、支配し、俺という男の刻印をその魂の奥深くにまで打ち込んでいく。
愛撫のたびに彼女の魔力が泉へ放流され、運河の波動が俺たちの鼓動とシンクロし、都全体を悦びの震えで包み込んでいった。
フィオナの瞳が愛の熱で濁り、理性の糸が完全に千切れる。
彼女は俺の首に腕を絡め、狂おしいほどに身体を擦り付けた。
俺が最後の一撃を打ち込むと、彼女は獣のように背を反らし、水の底で白濁した光を放ちながら、何度も昇天した。
愛の果て、彼女はとろけきった表情で俺の胸に沈んだ。
その顔には、かつての陰鬱さは微塵もなく、ただ俺という絶対的な主を得た充足感だけが浮かんでいる。
俺の手のひらには、彼女の歌姫としての神秘的な力が、熱い感触として確かに残っていた。
泉の輝きが完全に戻り。
運河を満たす水が、生命の力を取り戻し、アクア・ヴェイル全体に穏やかな波音を響かせ始める。
フィオナは恍惚とした表情で、俺を見つめ続けている。
彼女の旋律が再び泉に響く。
それは俺という男への、狂おしいまでの愛の歌だった。
第24話へ続く