【第22話】水の都アクア・ヴェイル
「シオン。貴方の帰りをお待ちしています、私は貴方だけのものです。」
レオナが俺の胸に額を押し当て寂しそうに囁く。
族長という立場上今は付いてこれないらしい。
牙の森の朝霧は、俺たちの出発を祝福するように静かに晴れていった。
レオナ率いる豹族とガレウス率いるウルフ族に見送られ、俺たちの旅路はさらなる高み、水の都『アクア・ヴェイル』へと向かう。
アルベルトが操る馬車には、新たに加わった白銀の獣人ルナリスの姿もあり、賑やかさは増すばかりだ。
「シオン様、本当に私を連れて行ってくださるのですね。この胸の鼓動が、貴方様との旅でどう変わっていくのか……今から楽しみでなりません」
ルナリスが馬車の窓から森を振り返り、夢見るような瞳で俺を見る。
「ああ、期待していてくれ。アクア・ヴェイルは、この大陸でも屈指の美しい街だそうだ。水の種族たちが織りなすその景色の中で、君に最高の夜を教えてやる」
数日の旅を経て、目の前に現れたのは、巨大な運河が街全体を縫うように流れる水の都だった。
陽光を反射してキラキラと輝く水面、白亜の壁で統一された美しい家並み。
そこは、これまでの森や荒野とは全く異なる、洗練された文明の香りが漂う場所だった。
街のギルド『青の雫』に足を踏み入れると、そこは水の精霊を祀る神殿のような静寂と荘厳さに包まれていた。
受付に座るのは、肌に淡い青色の鱗を持つ種族『ネレイア』の女性だった。
彼女は長い耳と透き通るような瞳を持ち、流れるような動作で俺たちを出迎える。
「ようこそ、アクア・ヴェイルへ。シオン様ですね。貴方の噂は、このギルドへも届いています。何をお探しですか?」
彼女の名前はイリスといった。
水のように透き通った声で俺の名を呼ぶ。
俺はカウンターに歩み寄り、イリスの瞳をじっと見つめながら、指先で優しくカウンターをなぞる。
「イリス、俺は刺激が欲しい。この街で一番難しくて、一番俺を楽しませてくれる依頼を頼む。報酬の額なんてどうでもいい。俺の心と身体を燃え上がらせるような仕事をくれ」
俺の言葉に、イリスの鱗がわずかに波打った。
彼女もまた、俺の纏う「男」の香りに、本能的に逆らえないでいる。
彼女は少しだけ俯き、困ったような、しかしどこか期待に満ちた表情で一枚の依頼書を差し出した。
「……『深淵の歌姫』の沈黙を解く依頼です。街の最下層にある『忘却の泉』。そこに棲む水棲種族の歌姫が、ある日突然、歌うことをやめてしまいました。彼女が歌わなければ、街を潤す運河の水が枯れ果ててしまう……。街の長老たちは困り果てています」
「歌姫の沈黙、か。面白い。声が出ないのか、歌う理由を失ったのか。……どちらにせよ、俺が彼女をもう一度歌わせてやる」
依頼書を掴む俺の手を、イリスがそっと押さえた。
彼女の指先は冷たく、それでいて心臓を締め付けるような情熱を孕んでいた。
「お願いです、シオン様。彼女の悲しみを理解できるのは、貴方だけかもしれません。……もし彼女を助けてくだされば、その時は私も、貴方に……」
イリスが言い淀み、真っ赤に染まった頬を隠すように俯く。
俺は彼女の顎を指で持ち上げ、その潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめた。
「イリス、君の願いは分かった。その時は、歌姫よりも君を優先してやるさ。……さあ、アルベルト、リーナ。行くぞ。この街の歌姫を、俺の客として指名してくる」
ギルドを後にした俺たちは、運河に浮かぶ小舟に乗り込んだ。
水面が夜の帳を下ろし、街の明かりが水面に揺らめく。
最下層への入り口である『忘却の泉』は、街の喧騒から隔絶された静寂の中にあった。
舟を漕ぐアルベルトが、疲れたように肩を落とす。
「……シオン、次は水の中かよ。水の種族なんて、俺は今日まで一度も会ったことないぞ。しかも歌姫を沈黙から救うって……」
「俺は俺自身が、一番エロティックで、一番刺激的な人生を歩んでいくのさ」
泉の入り口に到着すると。
そこからは、水の流れる音と、どこか悲しげなハミングのような残響が聞こえてきた。
歌姫が待っている。
俺はルナリス、リーナ、エルザ、ルミナリア、アルベルトを従え、漆黒の泉へと足を踏み入れた。
第23話へ続く




