【第19話】狼族の牙とホスト
牙の森の北、鬱蒼と茂る樹木の隙間から、月光が鋭い牙のように差し込む領域――そこがウルフ族の縄張りだ。
周囲からは数十対の燃えるような赤い瞳が、俺たちを包囲するように光を放っている。
獣の低い唸り声が、空気を震わせていた。
「……シオン、囲まれてるわ。数で言えば五十……いや、それ以上ね。ウルフ族の群れは、一人が傷つけば残りの全員が狂ったように襲いかかってくる。戦うなら、相当の覚悟が必要よ」
リーナが杖を握りしめ、いつでも魔法を放てるよう構える。
エルザは剣の柄に手をかけ、緊張に身体を強張らせていた。
俺は、そんな彼女たちの後ろから、あえて一人で群れの中央へと歩み出た。
「シオン!? 正気か! 一人で飛び込むなんて……」
アルベルトの悲鳴にも似た声を背に、俺は立ち止まった。
すると、群れを割って、銀色の毛並みを誇る巨大な獣人が現れた。
彼はウルフ族の族長、牙を剥き出しにして俺を見下ろす。
その体格はレオナの二倍近くあり、漂わせる殺気は鋭い刃物のようだ。
「……レオナに唆された迷い子か。豹の雌に骨抜きにされたと聞いていたが、まさかここまで無謀な男とはな。貴様の喉を食いちぎれば、レオナは泣き叫ぶだろうよ」
族長が地面を蹴り、驚異的な速さで俺の懐へと飛び込んでくる。
その爪が空を裂き、風が俺の頬を掠めた。
普通なら首が飛んでいる距離だ。
だが、レオナとの愛によって手に入れた「野生の直感」は、彼の動きの予兆を、筋肉のわずかな痙攣からすべて読み取っていた。
俺は最小限の動きでそれを回避し、彼の腕を掴むと、そのまま懐へと入り込んだ。
そして、心臓の鼓動が最も激しく脈打つ場所に、俺の掌をそっと添える。
「……殺す必要はない。君も、ただ強さを証明したくて、群れの皆を守りたくて、その牙を研いでいるだけなんだろう?」
俺の声は、彼の耳元で優しく、しかし確固たる支配の響きを持って溶け込んだ。
族長は俺の掌から流れる「熱」に触れ、一瞬だけ動きを止めた。
俺は彼を抱きしめるようにして、その荒々しい闘争心を、俺の「営業」の型へと流し込んでいく。
「……な、なんだこの温かさは。……力が、抜けていく……」
俺は彼の耳元で、甘美な囁きを続けた。
彼が今まで体験したことのない、絶対的な安らぎと、支配されることの悦び。
群れの戦士たちは、族長が俺の胸の中で大人しくなっていく様子を見て、混乱し、武器を下ろした。
彼らは強者には従うが、これほど「魅了」する強者を見たことがなかったからだ。
「君たちはもう、戦わなくていい。俺という新しい主人が、この森のすべてを潤わせてやる。戦いよりも、もっと甘く、もっと刺激的な悦びを教えよう」
族長の瞳から攻撃的な赤い光が消え、深い陶酔の色が宿る。
俺は彼の肩を強く叩き、周囲を取り囲んでいたウルフ族の戦士たちに向かって微笑んだ。
彼らもまた、俺の纏うオーラに当てられ、次々とその場に膝をついていく。
「シオン……! あんた、本当に化け物ね。力でねじ伏せるんじゃなくて、心そのものを支配しちゃったわ」
リーナが呆れを通り越して感嘆の声を漏らす。
エルザもアルベルトも、信じられないものを見る目で俺たちを見つめていた。
アルベルトは震えながら、膝をつくウルフ族の群れを指差して笑い出した。
「……ああ、もう降参だ。豹の次が狼かよ。シオン、お前、この森のすべての女、いや!全ての生き物を虜にする気か?」
「アルベルト。俺は『対象』を選ばない。俺というホストの魅力に溺れたいと願うすべての存在を、愛してやるだけだ」
夜明けの光が、森の隙間から差し込んできた。
それは、俺たちの勝利と、新しい秩序の夜明けを告げる光だ。
豹の獣人とウルフ族。
数十年もの間、憎み合っていた彼らが、今や俺という共通の「主人」の下で、静かに顔を見合わせている。
この森の争いは今終わりを迎えた。
第20話へ続く




