表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女ですが、何か問題でも?  作者: 葉月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/60

第59話 二人の王子

「何をしている! ぼうっと立っているバカがあるか! すぐに医療班を呼べ!」


 気づけば、喉が裂けるかと思うほどの怒声を張り上げていた。


 倒れ伏した公爵令嬢――イデア・シュベルッツベルグ。その白い肢体が床の上に崩れ落ちるさまは、まるで糸の切れた人形のようであった。


「おい、しっかりしろ、イデア!」


 俺は彼女を抱き起こす。驚くほど軽い。いつもは尊大な物言いで人を睥睨する女が、今はただのか弱い少女に過ぎない。瞼は閉ざされ、血の気の失せた唇はわずかに震えている。


 その呼吸がまだあることを確かめたとき、胸の奥にひとまずの安堵が走った。だが同時に、黒い苛立ちが喉元までせり上がる。


 視線を上げると、数歩離れたところにアレンが立っていた。


 イデアの婚約者。


 そして――勇者。


 やつは神妙な顔で彼女を見下ろしているだけだった。動こうともしない。ただ深刻そうに、まるで悲劇の舞台を眺める観客のように。


 自分の婚約者が意識を失っているのだぞ。

 なぜ、駆け寄らない。

 なぜ、抱き上げない。


 胸中で毒づきながら、俺は歯を食いしばる。


 ――なぜ、俺ではなく、こいつが勇者なのだ。


 あの日のことを、俺は忘れたことがない。


 レイヴァス教会の使者が王城を訪れ、玉座の間に重苦しい沈黙を落とした日。

 腹違いの弟――アレン・ロードナイトが、神に選ばれし勇者であると告げられた、あの日を。


 あの瞬間、俺の世界は音を立てて崩れた。


 それまで、王位継承権は揺らぐことがなかった。

 正妃の息子である俺、ルーク=ロードナイトこそが次期国王。


 そう信じて疑わなかったのは、俺一人ではない。

 父も、母も、重臣たちも、皆が当然の未来としてそれを受け入れていた。


 だからこそ、俺は六年間――誰よりも剣を振るい、誰よりも学問に励み、誰よりも国を思い、王たる器を磨いてきた。


 弱音など吐かなかった。甘えもしなかった。夜半、灯をともして書物に向かい、指先が裂けるまで木剣を握り続けた。


 王になるために。


 だというのに。


 神に選ばれた、というたった一言で、すべてが覆された。

 俺の努力も、覚悟も、誇りも――まるで塵芥のように払われた。


 そんな理不尽が、あってたまるか!


 俺は疑った。

 アレンが何らかの策を弄し、教会に自分を勇者と宣言させたのではないかと。


 だが、いくら調べても証拠は出ない。

 教会の内部に探りを入れても、怪しい金の流れも、接触の形跡も見つからなかった。


 そして、追い打ちをかけるように届いた一報。


 ――聖女誕生。


 しかもその地は、聖女を輩出してきた聖レイス法王国ではなく、我らがアストラル王国だという。


 勇者誕生から、わずか一月後のことだった。


 さらに数日も経たぬうちに、教会関係者が何者かに暗殺されるという大事件が起きる。


 そして極めつけは――。


 自ら聖女と名乗り出た女の名。


 イデア・シュベルッツベルグ。


 あの、公爵家の性悪女。


 傲慢で、打算的で、常に人を値踏みするような目をしていたあの女が、聖女?


 笑わせる。

 その報を聞いたとき、俺は確信した。


 黒だ、と。


 教会の混乱、暗殺、唐突な聖女宣言。

 すべてが不自然すぎる。


 同時に、胸の奥で別の感情が芽吹いた。


 ――これは、使える。


 もし我が国から誕生した聖女が偽物であれば。

 ならば勇者もまた、偽物である可能性が生まれる。


 神の選定が揺らげば、王位継承の正統性も揺らぐ。


 そうなれば、俺が王太子の座に返り咲く道も、決して閉ざされてはいない。


 俺は待った。

 焦らず、騒がず、虎視眈々と。

 偽りが暴かれる、その日を。


 だが、運命というものは、時に人を嘲笑う。


 ある日、さらに奇妙な報せが届いた。


 ――我こそが真の聖女である、と名乗る者が現れた。


 その名は。

 ライリー=レガリアント公爵令嬢。


 報告を聞いた瞬間、俺は思わず吹き出した。


 聖女が二人だと?


 神も随分と節操がないらしい。

 乾いた笑みが喉の奥でひび割れる。


 聖女が二人。

 勇者は腹違いの弟。

 そして暗殺騒ぎ。


 盤上は混沌としている。ならば、その混乱を利用すればいい。

 アレンを追い落とすための策を、俺は静かに、冷徹に練り上げる――。


 そのはずだった。


『世界を平和にしたい――そう願った者がいたとして』


 不意に、あの声が甦る。


 凛と澄んだ響き。

 揺るぎのない、まっすぐな碧眼。


 大嫌いな色だ。


 俺からすべてを奪った男と同じ蒼。

 神に選ばれた勇者と同じ、忌まわしい色。


 それなのに。


 どうしてあの瞳は、あれほどまでに澄んでいたのか。


『――魔王に立ち向かうことは罪なのでしょうか? 勇者でもない者が、世界を救おうとすることは罪なのでしょうか?』


 その言葉は、剣よりも鋭かった。

 刃のように真っ直ぐで、逃げ場を許さず、俺の胸奥へと突き刺さった。


『遠く離れた場所で魔王を倒す勇者よりも、すぐそばで手を差し伸べてくれた人を、勇者と呼びたい』


 その一言で、場の空気が変わった。

 誰もが息を呑み、言葉を失った。


 思い出すたび、胸の奥が締めつけられる。


 それは嫉妬か。

 悔恨か。

 それとも――憧憬か。


『誰かを救いたいと願った瞬間――その人はもう、聖女なのです』


 その言葉が今もなお、胸の奥で反響する。


 物語の中の聖女。

 幼い頃、乳母に読み聞かされた英雄譚。傷ついた人々に寄り添い、涙を拭い、微笑みを絶やさぬ存在。


 絵本の中でしか存在し得ない、理想の象徴。


 だが、あの時のイデアは――。


 確かに、それだった。


 死を受け入れかけていた少女の前に立ち。周囲の制止も、貴族としての体面もかなぐり捨てて。


『――生きなさい!』


 声を張り上げた。


 命令のように。

 祈りのように。

 自らの命を削るかのように。


 あの横顔が脳裏に焼きついて離れない。


 額は汗に濡れ、髪は乱れ、気品も何もあったものではなかった。


 だが。


 それでも。


 ――いや、だからこそ。


 美しかった。


 あれは公爵令嬢の顔ではない。

 虚飾をまとった貴族の顔でもない。


 ただひとりの、人間の顔だった。


 思い出すだけで胸が熱を帯びる。

 鼓動が速まる。

 頬に血が上るのを、はっきりと自覚する。


「……勇者、か」


 呟きは夜気に溶けていった。


 勇者とは神に選ばれた者の称号だ。

 そう思っていた。

 そう教えられてきた。


 だから俺は、選ばれなかった自分を呪い、選ばれたアレンを憎み、神を恨んだ。


 だが。


 神に選ばれずとも、誰かのために剣を取り、誰かのために声を枯らすことはできるのではないか。


 彼女が言ったように。


 救いたいと願った瞬間、その人はもう、勇者なのだとしたら。


 俺は――。


 選ばれなかった王子のまま、怨嗟にまみれて朽ちるのか。


 それとも。


 神に背を向けられたとしても、自分の意志で立ち上がるのか。


 策を練るために握り締めていた拳が、いつの間にか力を失っている。

 アレンを陥れることだけを考えていたはずなのに。いつの間にか、問いは自分自身へと向いていた。


 俺はもう一度、夢を見てもいいのだろうか。


 王座ではない。

 勇者でもない。


 ただ――誰かを救う者として。


 夜空を仰ぐ。


 星々は誰を選ぶでもなく、ただ静かに瞬いていた。



 ◆



「今日は随分と、騒がしい一日でしたな」


 夜風に吹かれながら、僕はテラスの欄干にもたれていた。


 眼下には王都の灯りが瞬いている。昼の喧騒が嘘のように、街は静まり返っていた。だがその静けさは、嵐のあとの凪のようでもあり、どこか落ち着かない。


 背後の室内には、辺境伯――バデラッド=ゴルドンが立っている。


 白髪混じりの頭をわずかに垂れ、好々爺然とした面持ちで僕を見守っていた。年齢を感じさせぬほど背筋は伸び、その佇まいには長年戦場と政場を渡り歩いてきた男の重みがある。


 側室の子である僕に、王城内で味方は多くない。


 公然と敵意を向けられることはなくとも、微笑みの裏にある値踏みは、幼い頃から嫌というほど知ってきた。


 そんな僕が唯一、心を許せるのが彼だ。


 バデラッドだけは母を蔑まず、僕を「殿下」としてではなく、一人の人間として扱ってくれた。


「それにしても、今日のイデア嬢は見事でした」


 昼間の出来事を思い返すように、彼は静かに言う。


 確かに、見事だった。


 けれど――。


 僕はどうしても、彼女が聖女だとは思えなかった。


「……殿下。くれぐれも、イデア嬢の前でそのようなお考えを口になさらぬように」


 僕の沈黙の意味を察したのだろう。バデラッドは穏やかな声音のまま、しかし確かに釘を刺す。


 僕は小さく息を吐いた。


「わかっているよ。……でも」


 夜空を見上げる。

 星々は変わらず瞬いている。人の疑念など知りもしない、冷ややかな光。


「彼女は、どうやってライリー嬢の……あの奇妙な石を、解除したんだろう」


 あの瞬間が脳裏に焼きついて離れない。


 ライリー嬢の胸元に埋め込まれていた、禍々しい石。七色の輝きを放ち、場の空気を歪ませていたあの異物。


 イデアが触れて、何かをすると、それは音もなく光を失った。


「どう、と申されましても……聖女の力をお使いになったのでしょうな」

「……聖女の力を行使すれば、必ず七色の輝きが生じるはずだよ」


 僕は振り返らずに言った。


「でも、あの時のイデアの左手からは、聖女の光は放たれていなかった」


 聖女の力は、教会の記録にも明確に残っている。

 発動の兆しは七色の光。神聖なる加護の証。


 だが、僕の目に映った彼女の手には――何もなかった。


 それどころか、あの瞬間、イデアから不気味な気配すら感じていた。


「……ライリー嬢から放たれた光と混ざり合い、そのように見えただけの可能性もございますな」


 穏やかな推測。


「……そうだね」


 否定はできない。

 あの場は混乱していた。

 眩い光が交錯し、誰もが息を呑んでいた。


 見間違いという可能性も、確かにある。


 そして。


 あの時のイデアの表情を思い出す。

 祈るでもなく。

 誇るでもなく。


 ただ、必死に――ライリーを救おうとする顔。

 あれは演技だろうか。


「……二人とも、偽物」


 ふと、謁見の間で兄上が口にした言葉が蘇る。

 冷ややかな声音。まるで盤上の駒を評するかのような、感情のない宣告。


「殿下」


 僕の不用意な呟きを咎めるように、バデラッドが首を横に振る。


「あまり、婚約者を疑うものではございません。それに――殿下もご覧になられたはずですぞ。今日のイデア嬢の、聖女然とした立派なお姿を」


 聖女然とした姿。

 その言葉が胸の奥に小さな波紋を広げる。


 僕はようやく振り返った。

 室内の灯りに照らされたバデラッドの顔は、どこか優しかった。


「うん。……そうだね」


 本当に、そう思った。

 あの時の彼女は、確かに聖女の物語そのものだった。


 夜風が頬を撫でる。


「……バデラッド」

「は」

「もし、聖女が偽物だったとしても……人を救った事実は、消えないよね」


 自分でも、なぜそんなことを尋ねたのかわからない。

 バデラッドは一瞬目を細め、やがて静かに答えた。


「ええ。救われた者にとっては、それが真実でございましょう」


 その言葉に、胸がわずかに軽くなる。


 王都の灯りが、揺らめいた。

 僕はもう一度、夜の街を見下ろす。


 今日という一日は、確かに騒がしかった。


 だが本当に騒がしいのは――


 きっと、僕の心の内なのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ