第57話 骨と宝石
「……ひどい、状態ですわね」
喉が焼ける。
ジリジリと皮膚を刺す光の中、私はライリーの傍らに膝をついた。
熱が容赦なく頬を撫でる。
聖堂の祝福のように柔らかなはずの光が、今は獣の牙のように荒々しい。
ライリーの顔色は蒼白。
唇はかすかに紫を帯び、呼吸は途切れ途切れだ。
胸の中心――心臓の真上に、七色の宝石が埋め込まれている。
それを核として、黒い痣が蜘蛛の巣のように広がっていた。
聖と闇がせめぎ合った痕。
光に焼かれながら、内側から腐食している。
「イデア様! その光に触れるのは危険です!」
鋭い声。
振り向くと、先ほどの薬師の女が駆け寄ってくる。
彼女は右手を差し出した。
指先が赤く腫れ、ところどころ水泡が浮いている。
「直接触れただけで、これです」
一点に集められた光の代償。
それはまるで小さな太陽。
触れれば焼ける。
『太陽が優しいからといって、手を伸ばせばどうなる? 一瞬で焼け焦げる。それと同じだよ』
先程のマヤの声を頭の奥で反芻する。
それにしても、息苦しい。
胸が締め付けられる。
闇属性である私にとって、この聖なる光は猛毒だ。
放射線状に散った光を浴びるだけで、内側から灼かれるような感覚がする。
長くは保たない。
額に汗が滲む。
「……時間が、ありませんわね」
私は再び宝石を見つめた。
それは皮膚に“嵌め込まれている”というより、融合している。
境目が曖昧だ。
肉と鉱石の境界が溶け合っている。
これを剥がすなら――
肉ごと抉り取るしかない。
その後、即座に癒やしの力で止血し、傷口を閉じる。
理屈の上では可能。
だが。
私は兵にナイフを求めようと振り返りかけた、その時。
「(待って!)」
マヤの声が鋭く割り込む。
「(宝石が皮膚だけに張り付いているとは限らないよ)」
「(どういうことですの?)」
「(位置を見て。これは心臓の真上だ。下手をすれば、心筋と癒着している可能性もある)」
心臓。
その言葉に背筋が冷える。
「(そうなれば、ナイフでの切除は博打になる。刃が一寸でも深く入れば、ライリーは即死だよ)」
「(……確かに、その可能性は十分ありますわね)」
私は歯を食いしばる。
光がまた脈打つ。
ライリーの体が小さく跳ねた。
内側から心臓を焼いている。
ならば。
切るのではなく。
――止める?
私は宝石を凝視する。
聖具ではない。
それなのに――なぜ。
聖属性を放っている?
七色の光。
それは本来、聖女にのみ許された象徴。
神の恩寵を示す、選ばれし証。
それが今、無機質な宝石から溢れている。
あり得ない。
「(聖具以外にも、聖女の力を宿したものがあるんですの?)」
胸中で問いかけると、マヤが珍しく歯切れ悪く答えた。
「(……うーん。あたしが知る限り、そんなのはないんだけど……)」
その声には、わずかな焦りが滲んでいる。
この世界のすべてを知る彼女が知らない。
それはつまり、常識の外にあるということだ。
手詰まり――
そう思いかけた、その時。
「(なんだい、あんた予言者のくせに、あれが何なのかも分からないのかい?)」
しわがれた、老婆の声が割り込む。
「(……え、お婆さん、分かるの?)」
マヤが食いつく。
老婆は鼻で笑った。
「(当然さね。この忌々しい感じ……間違いなく“聖女そのもの”だよ)」
――聖女、そのもの?
意味がすぐには飲み込めない。
宝石が聖女そのもの?
私は思わず宝石を凝視した。
七色の光が脈打つたび、ライリーの胸が小さく震える。
「(聖女そのものとは、どういう意味ですの?)」
「(ふん。あんたに教えるのは癪だね)」
「(……っ)」
相変わらず腹立たしい老婆だ。
この緊急時にまで意地を張るとは。
「(なら、あたしに教えてよ)」
マヤが割って入る。
しばし、向こう側で何やら小声のやり取りが続く。
老婆が唸る。
渋る。
舌打ちする気配すら伝わる。
やがて――
「(……まあいいか)」
諦めたように老婆が口を開いた。
「(あれは聖女の骨だね)」
「(骨!?)」
思わず声が裏返りそうになるのを堪える。
この七色に輝く宝石が、骨?
聖女の骨は宝石でできているとでも?
そんな話、聞いたこともない。
教会の書庫には記されているのだろうか。
「(そっか! 遺骨ダイヤモンドだ!)」
「(遺骨ダイヤモンド?)」
「(遺骨に含まれる炭素を抽出してね、高温高圧の人工環境で結晶化させる技術のことだよ)」
マヤの説明は、相変わらず異様に具体的だ。
理解は半分ほどしか追いつかないが――
要するに。
人の骨を、宝石へと変えることは理論上可能。
そして。
ライリーの胸に埋め込まれているそれは――
歴代聖女の骨から作られた結晶だということ。
「(聖女の骨だから、その宝石には聖女の力が宿っていたんだよ!)」
ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。
骨。
それは人の最も深い部分。
肉が朽ち、血が乾いても、最後まで残るもの。
そこに宿るのは、記憶か、祈りか、それとも未練か。
歴代の聖女。
その信仰、祈願、奇跡。
すべてが凝縮された骨。
それを砕き、炭素を抽出し、圧縮し、結晶化させた。
――冒涜。
胸の奥に、言葉が浮かぶ。
これは聖女の象徴ではない。
聖女の亡骸を加工し、利用するための装置だ。
だからこそ、光が暴れている。
本来ならば、選ばれし魂に宿るべき力。
それを無理やり押し込んでいる。
死者の祈りが拒絶しているのか。
それとも暴走しているのか。
宝石は再び強く脈打つ。
七色の光がまるで悲鳴のように弾けた。
――聖女そのもの。
その言葉の意味がようやく腑に落ちる。
だとしても――。
それを、どうやって止めればいいのだろう。
私は唇を噛みしめた。
七色の光はなおも脈打ち、ライリーの胸を内側から焦がしている。
彼女の指先がかすかに痙攣した。
「(その宝石が使用者に与える力の本質は、聖具とは別物と考えたほうがいい)」
マヤの声は、いつもの軽やかさを装いながらも、どこか芯が硬い。
「(別物? ……どういうことですの?)」
「(聖具の力はね、そこに宿った聖女の“記憶”――いわば残り香のようなものなんだ。魔力を注ぐことで、封じ込められた香りを解き放っているにすぎない)」
残り香。
たしかに、聖具を通して感じる力は、どこか他人の温もりに似ていた。
借り物の光。過去の誰かの祈り。
「(一方で、ライリーの胸に嵌め込まれたあの宝石は……言ってしまえば聖女そのもの)」
「(……聖女自身?)」
「(宝石はライリーの意志とは関係なく魔力を吸い上げる。そして宝石というフィルターを通して、強引に聖属性へと変換しているんだよ)」
聖属性を扱えぬ者が、聖属性へと変換された魔力を体内に留め続ける。
それは――。
耐熱性のない硝子の器に、煮えたぎる熱湯を注ぐようなもの。
最初はひびが入るだけかもしれない。
だが、やがてそのひびは走り、亀裂となり、ついには粉々に砕け散る。
いま、ライリーの小さな身体は、その硝子の器だ。
胸元からあふれ出る七色の光は美しい。
だが、その内側で何が起きているのかを思えば――それは悲鳴の色にしか見えない。
「(いまのライリーは、太陽を作ろうとしている“炉”なんだと思う)」
「(……炉)」
炉。
火を起こし、物質を溶かし、焼き尽くすための装置。
炉を止めるには、火を消せばいい。
だが、あの光をどうやって消すというのか。
あれは外から燃えているのではない。内側から噴き上がっている。
私の視界に、七色の奔流が焼き付く。
まるで生まれかけの星のようだ。
「(火を消すんじゃないよ。この場合は“燃料”を断つんだ)」
「(燃料?)」
「(ライリーの魔力を遮断すればいい)」
簡単に言う。
だが、体内で宝石へと吸い上げられる魔力――その目に見えぬパイプラインを断てというのか。
それが可能なら、苦労はしない。
私の困惑を察したのだろう。
マヤは、どこまでも明るい声音で言い放つ。
「(イデアなら可能だよ! ううん……たぶん、イデアにしかできない!)」
――私にしか。
その言葉は、甘い鎖のように胸へ絡みつく。
思わず、左手の中指に嵌められた聖女の指輪へと視線を落とす。
七色の宝石は静かに輝いている。
「(違うよ)」
あっさりと否定される。
「(聖女の指輪じゃ、魔力の遮断はできないんだ)」
……え?
頼みの綱だったはずの指輪が、役に立たない。
それでは私は――ただの六歳児だ。
聖女の仮面を外せば、何も残らない。
人を殺すためだけに鍛えられた、小さな悪魔。
絶望が喉元までせり上がる。
そのとき。
「(イデアには、もう一つあるよね?)」
暗闇の中で、ぱん、と小さな花火が弾けた。
「(――ううん。むしろ、そっちが“本当のイデアの力”だよ)」
「(私の、本当の……力?)」
本当の力。
そんなものが、私に?
私はそっと、左手を見つめる。
白く、小さな手。
だがその奥には、血の記憶が染みついている。
この手は、抱きしめるために鍛えられてはいない。
刃を握るための手。
命を奪うための手。
優しさも、慈しみもない。
――そんな私が、救う?
「(もう忘れちゃった? どうして自分が聖女の力を使いこなせないのか)」
その問いに、心臓が跳ねた。
「(――闇属性!?)」
「(うん!)」
弾む声。
闇。
それは私が隠してきたもの。
聖女と真逆の力。
光を打ち消す、深淵の色。
聖女の力が上手く扱えなかった理由。
光と闇が、私の内で常に拮抗していたから。
闇属性は、吸収と遮断を得意とする。
魔力の流れを断つことも――理屈の上では可能。
だが。
聖女が闇を使う?
その瞬間、私は聖女ではなくなるかもしれない。
それでも。
七色の光の中で、今にも砕け散りそうなライリーの姿を見つめる。
彼女は敵だ。
私を陥れようとした。
だが。
それでも――死なせていい理由にはならない。
胸の奥で、何かが静かに定まる。
「……やりますわ」
誰にともなく、私は呟いた。
光ではなく、闇で救う。
それが私の本当の力だというのなら。
悪魔の手であろうと構わない。
この手で――
砕ける前に、ライリーの暴走した魔力を止める。




