第55話 ご都合主義
「――こちらです!」
兵の声は切迫していた。
私は裾を押さえ、ルーク殿下と共に駆け出す。
胸の奥で、不吉な予感が膨らんでいく。
確かめなければならない。
ライリーの身に何が起きているのかを。
廊下を曲がり、階段を上がり、辿り着いたのは城の一角に設けられた応接室だった。
先ほど私が控えていた部屋とは反対側。
その扉の前には、すでに人だかりができている。
アレン殿下の姿もあった。
青ざめた顔で、固く拳を握りしめている。
「これは一体、何の騒ぎだ!」
嵐を裂くような声が響いた。
ルーク殿下だ。
幼い身体から発せられたとは思えぬ威圧。
空気が震える。
胸を張り、足早に進むその姿は、まさしく王の血を引く者。
だが、その横顔には苛立ちが浮かんでいた。
状況を掌握できないことへの、怒り。
その声に、周囲の者たちが一斉に振り返る。
「――殿下、危険です!」
扉へ踏み込もうとしたその前に、ひとりの男が立ち塞がった。
厳しい面差しの騎士――バデラッド・ゴルドン卿。
広い胸板が、まるで壁のように道を遮る。
「邪魔だ! そこを退け、ゴルドン卿!」
「なりません!」
怒号と、それに対する断固たる拒絶。
互いに一歩も引かぬ気迫がぶつかり合う。
「中は危険です。正体不明の力が暴走しております!」
暴走。
その言葉が胸を締め付ける。
外からでは室内の様子は分からない。
だが――
扉の隙間から光が溢れている。
赤、青、緑、紫。
七色の光が脈打つように明滅し、廊下の壁を染め上げていた。
まるで虹が砕け散ったかのような、異様な輝き。
空気が震えている。
肌がぴりぴりと焼けるようだ。
私は息を呑む。
――ライリーが聖女の力を行使している?
あれほどまでの光量。
あれほどまでの圧。
以前、私が地下牢でみせたものとは比べものにならない規模。
もし、あれをライリーが行っているのだとしたら……。
胸がざわつく。
勝ち負けではない。
もっと別の底知れぬ不安。
ルーク殿下は歯噛みし、扉を睨みつける。
「アレン、貴様は何が起きているか聞いているのか?」
張り詰めた空気を裂くように、ルーク殿下が問う。
名を呼ばれたアレン殿下は、ゆっくりと首を振った。
その動きは静かだが、指先は白くなるほど握り締められている。
「……怪我をしていた侍女を気にかけたライリー嬢が、聖女の力をもって癒そうと試みたとしか」
努めて平静を装っている。
だが、その声の底に沈む不安は隠しきれていなかった。
廊下を満たす七色の光が、彼の金の髪を奇妙に染め上げる。
「この輝きは、謁見の間で見せた聖女の力によるものだな。ならば、恐れる必要はないはずだ」
ルーク殿下は断言する。
理屈としては正しい。
聖女の力は癒しの力。
傷を塞ぎ、病を祓う光。
他者を害するものではない――はずだ。
だが。
この光は、あまりにも禍々しい。
「もう一度言う。今すぐそこを退け、バデラッド。これは命令だ」
声音が鋼のように冷える。
「……仰せのままに」
バデラッドは苦々しく眉を寄せ、わずかに逡巡したのち、道を開けた。
重い沈黙。
ルーク殿下は躊躇なく一歩を踏み出す――
その寸前。
彼の足が止まった。
まるで見えない鎖に絡め取られたかのように。
「……なんだ、あれは……!?」
低く漏れた声は、困惑に満ちていた。
その声には王族の威厳はなかった。ただ、目の前の異様な光景に戸惑う、年相応の響きがあった。
「――少々、失礼致しますわ!」
私は人垣を押しのけ、彼の背後から室内を覗き込む。
そして。
「……なん、ですの……あれは……」
言葉が喉に貼りつく。
部屋の中央。
絨毯の上に、ライリーが仰向けに倒れている。
その胸元から、七色の光が奔流のように溢れ出していた。
赤、青、緑、金――
神々しいはずの輝き。
だが。
胸から首にかけての肌は、どす黒く変色している。
まるで、内側から腐食しているかのように。
白い顔にはミミズのように膨れ上がった血管が幾重にも浮かび上がり、脈打っていた。
光と闇が、ひとつの身体の中でせめぎ合っている。
その異様な光景に、誰もが息を呑む。
近くには、レガリアント公が立ち尽くしていた。
顔面は蒼白。
拳は震え、唇はかすかに動いているが、声にならない。
父親としての感情と、貴族としての矜持が、彼の中で衝突しているのだろう。
先ほど兵に連れられてきた白衣の薬師が、恐る恐るライリーに近づく。
「お嬢様、失礼を……」
その指先が七色の光に触れた瞬間――
「きゃあっ!」
短い悲鳴。
薬師は弾かれたように後方へよろめき、その場に膝をついた。
両手を押さえ、苦悶に顔を歪める。
触れたはずの指先が赤黒く腫れ上がっている。
――癒しの力、ではない。
私の背筋を冷たいものが走った。
左手の指輪がじわりと熱を帯びる。
呼応するかのように。
まるで、あの光に反応しているかのように。
ルーク殿下が一歩、後ずさる。
それはほんのわずかな動きだったが、確かに恐れがあった。
「……これは、聖女の力ではない」
誰かが、震える声で呟いた。
私は唇を噛む。
あの光は確かに聖女の光で間違いない。
けれど、違う。
あれは――
何かが混ざっている。
部屋の中で、七色の光がさらに脈打った。
まるで、心臓の鼓動のように。
どくん。
どくん。
そのたびに、ライリーの身体が微かに震える。
「(――ライリーの胸元を見て)」
呆然と立ち尽くす私の意識の奥で、マヤの声が低く響いた。
いつもの軽やかさはない。妙に静かで、冷たい。
私はその声に導かれるように、視線を落とす。
「……あれは」
ライリーの胸元。
そこに、透明な宝石が埋め込まれていた。
肌を割って、心臓のすぐ上に。
まるで最初からそこに存在していたかのように、自然な顔をして。
七色の光は、彼女の体から放たれているのではなかった。
宝石からだ。
透き通った核の奥で、光が圧縮され、凝縮され、限界まで閉じ込められている。
それは、虫眼鏡で集めた太陽光の一点のようだった。
白熱した光線が天井へ向かって真っ直ぐ伸び、ぶつかり、砕け、放射線状に室内へと降り注いでいる。
神々しさと同時に、どこか凶暴な光。
「(本当に愚かな子だね)」
頭蓋の奥で、老婆の声が嗤った。
「(あんなものをただの人間が体に埋め込めば、忌々しい光に体が耐えきれなくなるのは当然のことさね)」
ぞくり、と背筋が震える。
「(過ぎたるは猶及ばざるが如し)」
「(……なんですの、それ?)」
「(何事もやり過ぎは、やらな過ぎと同じくらい愚かだということだよ。善意でも、度を越せば害になる。聖女の器でもない人間が、必要以上に聖属性の光を蓄え続ければ――オーバーヒートするのは道理さ)」
聖女の器でもない人間。
その言葉が、やけに生々しく響く。
私は改めてライリーを見た。
胸元は七色に輝いているのに、そこから上は黒く淀んでいる。
聖と穢。
光と腐食。
まるで、相反するものが彼女の中で争っているようだ。
「(聖女の力は、太陽と同じなんだ)」
「(太陽?)」
「(降り注ぐ陽射しは心地いい。私たちにとってなくてはならない。でもね――だからといって、直接触れていいものじゃない)」
マヤの声は、ひどく静かだった。
「(太陽が優しいからといって、手を伸ばせばどうなる? 一瞬で焼け焦げる。それと同じだよ)」
私は唇を噛む。
ライリーは近づきすぎたのだ。
聖女という光源に。
外から装うのではなく、内側から“なろう”とした。
その結果が、これ。
私たちは所詮、偽物。
器ではない。
それでも――。
「(彼女は……どうなりますの?)」
声が震えた。
マヤは少し黙った。
「(……ああなってしまった以上、たぶん助からない)」
あまりにあっさりとした宣告。
それは断罪にも似ていた。
聖女を偽った愚か者の末路としては、理にかなっているのかもしれない。
けれど。
本来、彼女が命を落とすのは二年後のはずだった。
二年。
その差に、どれほどの意味があるというのか。
未来は、もう決まっているの?
それとも、誰かが書き換えた?
「(……たぶんね)」
マヤの声がわずかに掠れた。
「(イデアとルーク殿下を出会わせること。それが、このシナリオを書いた“誰か”の目的だったんじゃないかな)」
「(私と……ルーク殿下……?)」
耳鳴りがした。
そんなことのために。
ただ、物語の進行を整えるために。
ライリー=レガリアントの命は、ここで削られたというの?
舞台装置のように。
都合よく、早送りされて。
「(前にも言ったけど、このまま聖女対決になっていたら、イデアは確実に負けていたよ)」
静かな断言。
私は息を呑む。
つまり――。
私を舞台から降ろさせないため。
私を物語の“中心”に残すため。
その代償がライリーの命?
胸の奥で怒りがふつふつと湧き上がる。
何という身勝手。
何というご都合主義。
神だか作者だか知らないが。
誰かが私たちの命を弄び、シナリオを自分の都合の良いものに書き換えたのだとしたら。
私はその卑怯者を許さない。
たとえ偽物でも。
たとえ役割に縛られた存在でも。
人の命が物語の都合で削られるなど――
あってはならない。
七色の光が再び脈打つ。
そのたびに、私の左手の指輪もかすかに熱を帯びた。
まるで。
何かを私に示すかのように。




