第54話 その指輪をみせろ!
「ここは城内に唯一設けられた庭園だ」
ルーク殿下が立ち止まり、顎で示す。
辿り着いたのは、城の中庭。
高い石壁に囲まれながらも、そこだけは柔らかな光に満ちていた。
整然と刈り込まれた月桂樹。
丹念に手入れされた花壇。
グラジオラス。
ナスタチウム。
凛と咲くリンドウ。
さらには、異国の香りを漂わせるオリーブの木まで植えられている。
色とりどりでありながら、どこか統一された意思を感じさせる庭。
「すべて……勝利に関する花ですわね」
私がそう告げると、彼はわずかに口元を上げた。
「……我がロードナイト家は、由緒正しき勇者の末裔だからな」
その声音には、誇りと、そして義務が滲んでいる。
負けは許されない。
勝ち続けることこそが、ロードナイトの存在証明。
この庭は、その覚悟を形にしたものなのだろう。
「(でも、初代勇者の直系は王家じゃないんだよねー。まあ、ロードナイト家も数代前に一度勇者を出してるけど。今回のアレンで二人目かな)」
マヤの能天気な補足が、頭の奥で弾む。
もしこれを殿下が耳にしたなら、烈火のごとく怒り狂うに違いない。
私は内心でため息をつく。
この場に彼女が実体を持っていなくて、本当に良かった。
「ところで、知っているか?」
唐突に、ルーク殿下が問う。
「何をですの?」
「彼の国で、パフテック枢機卿が何者かに殺されたらしい」
その名が出た瞬間、心臓が強く打った。
鼓動が耳の奥で鳴る。
だが、顔に出すわけにはいかない。
「……新聞で拝見しましたわ」
平静を装い、ゆっくりと答える。
「そうか。俺も新聞で知った」
彼は私を見ない。
グラジオラスの花弁に指先を滑らせながら、淡々と続ける。
「枢機卿が殺された際、レイヴァス教会が保管していた聖具が盗まれたらしい」
「……そのようですわね」
まただ。
無意識に、左手を背へ隠しかける。
だが、その瞬間、彼が横目でこちらを窺っていることに気づいた。
疑われている。
私は引っ込めそうになった手を、意志の力で留める。
指輪は、陽の光を受けて静かに光っている。
「聞くところによると、聖具には様々な装飾具が用いられているらしい。知っていたか?」
「……ええ」
「その中でも、初代聖女が身に付けていたとされる指輪には、とりわけ強い力が宿っているそうだ」
言い終え、彼はゆっくりと体をこちらへ向ける。
距離は保ったまま。
ただ、じっと。
私の左手を見つめる。
逃げ場のない視線。
庭園の風がかすかに葉を鳴らす。
勝利の花々に囲まれたこの場所で、私はまるで裁かれているようだった。
「……美しい指輪だな」
その声は穏やかだ。
だが、その奥に潜むものを、私は感じ取る。
賞賛ではない。
確認だ。
確信へ至る、最後の一歩。
私は微笑む。
「ありがとうございます。家宝ですの」
嘘ではない。
だが、真実でもない。
ルーク殿下の瞳が、わずかに細められる。
この庭は勝利の象徴。
だが今、咲いているのは花ではなく――
疑念だ。
風が吹く。
月桂樹の葉が揺れ、その影が私たちの足元に落ちる。
「見せてもらっていいか?」
言葉が終わるより早く、ルーク殿下は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
逃げ場が、狭まる。
私はその視線に耐えきれず、反射的に左手を背後へ隠した。
「……俺に見せられない理由でもあるのか?」
声音は低く、落ち着いている。
だが、その静けさの奥に潜むのは刃だ。
柔らかな布に包まれた短剣のように、見えぬ鋭さを秘めている。
――どうしましょう。
鼓動が早い。
「(とにかく誤魔化すしかないよ!)」
マヤの声が慌ただしく弾む。
「(誤魔化すと言われましても、この状況では困難ですわよ)」
「(花の話でもなんでもいいから、とにかく指輪から意識を逸らして!)」
無茶を仰る。
だが、他に術はない。
同時に、くつくつと愉快そうに笑う、あの老婆の声までが脳裏に響く。
こうなれば、ヤケクソですわ。
「グラジオラスの花言葉には、勝利のほかに“密会”という意味もございますの」
わざとらしいほど明るい声音で、私は語り出す。
「戦に勝った暁には、この庭で愛する者と密かに逢う――そのような願いが込められているのではございませんか? なんとロマンチックなことでしょう。ルーク殿下も、そう思われません?」
沈黙。
彼の表情は、石のごとく動かない。
それでも、私は続ける。
「ナスタチウムの花言葉には“恋の炎”という意味もございますわ。鮮やかな赤や橙が、燃え上がる想いを思わせます。うら若き乙女に人気の花ですのよ?」
言葉を重ねる。
笑みを浮かべる。
だが、彼の視線は揺らがない。
ただ一点――
私が背後に隠した左手を、射抜いている。
「俺は花なんぞに興味はない」
冷ややかに、言い切る。
「それよりも、お前の指輪に興味がある」
逃げ道が、塞がれた。
「……殿下にお見せできるほど、立派な物ではございませんわ」
「そんなことはないだろ。先程、遠目から少し見えた。角度によって輝きが変化していたな。珍しい宝石だ」
――鋭いですわね。
観察眼が常人ではない。
「それとも、俺に見せられない理由でもあるのか?」
「……っ」
問いは、三度。
これ以上は誤魔化しきれない。
私の中で覚悟が固まりかける。
――ここまで、ですわね。
ゆっくりと、左手を差し出そうとした。
その瞬間。
「あっちだ! 急げ!」
鋭い叫び声が、庭へと響き渡った。
城内を巡回していた兵たちが、慌ただしく廊下を駆け抜けていく。
鎧の擦れる音。
切迫した足音。
その中に、見慣れぬ影があった。
白衣を纏った女性。
兵に腕を掴まれ、半ば引きずられるように連れて行かれている。
顔は青ざめ、何かを必死に訴えているようだった。
「おい! 何かあったのか?」
ルーク殿下の視線が、ようやく私から離れる。
胸の奥に安堵が広がる。
だが、それも束の間。
「それが――レガリアント公のご息女が……!」
兵の声は震えていた。
空気が一瞬で凍る。
レガリアント公の息女。
それは、つまり――
私の脳裏に、嫌な予感が稲妻のように走る。
庭の花々が風に揺れる。
勝利を象徴するはずのこの場所で、今まさに何かが崩れようとしている。
ルーク殿下の横顔が、険しく引き締まった。
そして私は悟る。
指輪の詮索どころではない事態が、起きたのだと。




