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悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女ですが、何か問題でも?  作者: 葉月


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第53話 元王太子

「案外――二人とも偽物だったりしてな」


 軽く放たれたはずのその一言は、刃のように鋭かった。


 冗談めかした響きの奥に、冷たい観察の光が潜んでいる。

 心臓がひときわ強く脈打ち、喉元までせり上がるのを、私はどうにか飲み込んだ。


「――――」


 言葉が出ない。


 少年の目。

 鷹が獲物を捉えるときの、あの静かな残酷さ。


 彼は先程から、ライリーではなく――私を見ている。


 なぜ。


 ――なぜ、彼女ではなく、私を?


 私は彼に気取られるようなミスは犯していない。

 言葉も、態度も、視線も。すべて計算の内。


 それなのに、どうして。


 少年の視線は微動だにしない。

 ただ、じっと。私を測るように。


 その時、ようやく気づく。


 彼の視線が――私の、ある一点に注がれていることに。


「――――!」


 反射だった。


 私は左手を背へ隠す。


 ほんの僅かな動き。

 だが、それで十分だった。


 少年の目が、かすかに見開かれる。

 そして、口元に薄い笑み。


 ――見られた。


 確信に近い予感が背筋を撫で下ろす。


 少年は壁にもたれたまま、愉しげに私を眺めている。

 その態度は不遜だが、目だけは冗談を言っていない。


 そして、もう一人。


 父。


 父もまた、少年を見ていた。


 氷のように静かな瞳で。

 まるで値踏みするように。


 この二人のあいだに、見えぬ火花が散る。


「さて……困ったことになった」


 長いため息とともに、陛下が呟く。


 その声音は王というより、一人の人間のそれだった。

 国の命運を担う者が、真に迷った時の声。


 しばしの沈黙。

 誰もが口を閉ざし、空気だけが重く沈む。


 やがて陛下は静かに告げた。


「……一度、考える時間を取ろう。双方、別室にて待たれよ」


 それだけ言うと、陛下は立ち上がる。

 王冠の宝石がきらりと光り、大臣を置き去りにして謁見の間を後にした。


 重い扉が閉じる音が、やけに大きく響く。


 ――猶予。


 それは救いか、あるいは猶予付きの処刑宣告か。


 私は父と共に、静かに歩き出す。

 足音が絨毯に吸い込まれていく。


 廊下の窓から差し込む光は白く、冷たい。


 やがて通された別室は、簡素な応接室だった。

 深緑の長椅子と、小さな丸卓。


「しばらく、こちらでお待ちください」


 侍従が一礼し、扉を閉める。


 静寂。


 私はようやく、背に隠していた左手を前へ出す。


「……お父様」


 問いかけようとして、言葉が詰まる。

 父は窓辺に立ち、外を見ていた。


「動揺したな」


 振り向きもせず、淡々と。


「……ほんの少し」

「ほんの少し、か」


 父はゆっくりとこちらを見た。


「だが、それを見抜く者はいる」


 ――あの少年。


「彼は……何者なのです」

「賢い」


 それだけだった。

 賢い。


 単純な言葉。

 だがそこに、警戒の色が混じる。


 私は左手を握りしめる。


 もし、あの少年がこの指輪に気づいたのだとすれば。


 鼓動がまた速まる。


 ――案外、二人とも偽物だったりしてな。


 あの言葉はただの挑発ではない。

 私たちの反応を測るための、一石。


 そして私は――

 その石に、わずかに揺らいだ。


 窓の外で風が鳴る。


 審判はまだ下されていない。

 だが、あの少年は厄介だ。


 ――コンコン。


 静まり返った別室に硬質な音が落ちた。


 ちょうど今後についてマヤに相談しようと思った矢先だった。

 運命というものは、こちらに考える暇を与えぬものらしい。


「誰だ」


 父の声は低く、揺るがない。


「俺だ。シュベルッツベルグ公」


 扉越しに届く声音。


 顔を見ずとも分かる。

 先ほど謁見の間で場を掻き回した、あの赤髪の少年だ。


 室内の空気がわずかに張りつめる。


「……」


 父は即答しない。

 一度、ゆっくりと私を見る。

 言葉はない。

 だが、その視線には問いがあった。


 ――上手くやれるな?


 私は左手の中指にはめた聖女の指輪を、ぎゅっと握る。


 ひやりとした感触が皮膚に食い込む。

 小さく、しかし確かに頷いた。


「入っていいか?」

「――ああ、構わん」


 重い扉が軋み、開く。


 現れたのは、やはりあの少年。

 燃えるような赤髪が、室内の淡い光を受けて揺れる。


 整った顔立ち。

 だが、柔和とは程遠い。


 アレン殿下が光ならば、この少年は刃だ。

 勝ち気な眼差し。

 わずかに顎を上げた姿勢。


 年若いはずなのに、そこにはすでに“王”の気配があった。

 人の上に立つ者が自然にまとう、冷たい気高さ。


「(イデア、気をつけて)」


 頭の奥に、マヤの声が響く。


「(彼はルーク王子。あたしたちと同じ六歳だけど、すっごく優秀なんだ。アレン殿下が勇者に目覚める前は、彼が王太子だったの)」


 六歳。

 その言葉と目の前の少年が結びつかない。

 視線の重みがあまりに老成している。

 私の意識は完全に彼へ向けられていた。


 シュベルッツベルグ家の長子として育てられた私の勘が、警鐘を鳴らす。


 ――この王子は、危険。


 感情ではなく、本能がそう告げている。


「(資質だけでいえば、王としての器はアレン殿下より上だって言われてる。ちなみに【The Shining Destiny〜愛と光のメモリー】の設定資料集ではね、イデアのお父さんは当初、あなたの婚約者候補として彼に目をつけてたんだよ。それくらい、ルークは特別)」


 ――お父様が?


 一瞬、胸の奥がざわつく。

 父は常に合理的だ。

 感情で人を選ばない。


 その父が、私の隣に立つ可能性を見た相手。

 それだけで、この少年の価値は計り知れない。


 ルーク=ロードナイト。


 その名を、私は胸の内で静かに反芻する。


 彼は部屋に一歩踏み入れた。

 小柄な体躯。

 だが、不思議と空間が狭く感じる。


 こちらを値踏みするように、ゆっくりと視線を巡らせる。

 まるで盤上の駒を見るグランドマスターのように。


 私は背筋を伸ばす。

 侮られるわけにはいかない。


「このような場に、殿下が警護も付けずにお一人で来られるとは……一体、何用ですかな?」


 父の声は穏やかだったが、その奥には明らかな探りがあった。

 王族が単独で動くなど、本来あってはならぬこと。


 それを承知の上で来た――その意図は何か。


「小鳥がこのような鳥籠に閉じ込められていては、退屈だろうと思ってな」


 ルーク殿下は肩を竦め、涼しい顔で言い放つ。


 小鳥。

 それが誰を指すかは、言うまでもない。


 彼は父ではなく、私へと顔を向けた。

 その口元には、あの勝ち気な笑みが貼り付いている。


 からかいの色。

 しかし、その瞳は少しも笑っていない。


「お前、(ここ)へ来るのは随分久しいだろ? 暇つぶしがてら案内してやるよ」


 尊大な物言い。

 年相応の幼さなど、どこにもない。


 本来であれば、丁重に辞退するのが礼というものだろう。

 だが、この男の機嫌を損ねるのは得策ではない。


 彼はただの王子ではない。


 ――マヤいわく、私同様、聖女と勇者を彩るための舞台装置。

 世界に嫌われた王子なのだ。


「行ってきても?」


 父へ視線を向ける。


 もしかすると、止めてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待が、ほんのわずかに胸をよぎる。


「構わん」


 即答だった。

 揺らぎも、迷いもない。

 父の眼差しは静かだ。

 まるで、“行ってこい、見てこい”とでも言うように。


 私は小さく息を飲み込む。

 試されているのは、私だ。


「では、行くぞ」


 ルーク殿下は踵を返す。

 振り返りもしない。


 私が従うことを疑っていないのだ。

 仕方なく――いや、覚悟を決めてと言うべきか。


 私は彼の後を追った。


 廊下に出ると、城内特有の冷ややかな空気が頬を撫でる。


 高い天井。

 長く伸びる赤絨毯。

 壁に掛けられた歴代王の肖像画が、無言でこちらを見下ろしている。


 その視線の下を、赤髪の少年が悠然と歩く。


 護衛はいない。

 だが、不思議と隙もない。

 六歳の背中とは思えぬほど、堂々としている。


「怖いか?」


 前を向いたまま、彼が言う。

 唐突な問い。


「何が、でございますか?」

「俺と二人きりで歩くことが、だ」


 足を止めぬまま、わずかに笑う気配。

 私は一瞬だけ考え、答える。


「……少しは」


 嘘をついても、見抜かれる。

 それほどまでに、この王子の眼は鋭い。

 彼はくつくつと喉を鳴らした。


「お前は正直でよいな。だが安心しろ。今はまだ、お前をどうこうするつもりはない」


 ――今はまだ。


 その一言が、妙に重い。

 私は歩調を崩さぬよう、静かに息を整える。


 これは散歩ではない。

 これは観察だ。


 彼が私を測るように、私もまた、彼を見極めねばならない。


 城の奥へと続く廊下を、二人並んで進む。

 赤と金に彩られた豪奢な世界の中で、私は思う。


 この少年は敵か。

 それとも――未来の同盟者か。


 答えは、まだ見えない。

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