表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のまま死んでたまるか! 偽聖女ですが、何か問題でも?  作者: 葉月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/60

第44話 公爵令嬢の悪意

 時は遡る。

 それは、イデア=シュベルッツベルグが生涯で初めてのお茶会を開いた、その同じ刻限――。


 北の地、ミソエル地方。

 三方を深い森と連なる山々に閉ざされた、外界から切り離されたような静寂の田舎である。かつては人の営みで賑わったであろう鉱山も、今は久しく放置され、魔物の噂とともに人々の記憶から遠ざかっていた。


 その忌避の地へ向かい、ひとつの小さな人影が歩を進めていた。

 外套を深く被り、足音さえ慎むように。


「……かび臭くて、辛気臭い場所ですこと」


 吐き捨てるような呟きとともに、人物はフードを外す。

 陽光を受けて、プラチナブロンドの髪がきらめいた。両側を結い、丹念に巻かれたその髪は、貴族趣味の粋を凝らしたものであり、どこか芝居がかった華やかさを帯びている。


 ライリー=レガリアント。

 アストラル王国四大公爵家のひとつ、レガリアント公爵家が誇る令嬢であり、イデア=シュベルッツベルグと同じ血脈に連なる少女だった。


 その髪型はあまりに特徴的で、当のイデアからは「チョココロネ」と揶揄されたこともある。だが、ライリー自身はその評価を微塵も気に留めていない。誇りと矜持が、幼い身の内に過剰なほど詰め込まれていた。


「……確か、この辺りのはずですわね」


 視線の先。

 龍の背骨と呼ばれる鉱山の入口――その奥へと続く坑道の壁や地面を覆い尽くすように、巨大な笠を持つ茸が群生していた。異様なほど生命力に満ち、湿り気を含んだ空気に、得体の知れぬ匂いを漂わせている。


「……本当に、気持ちが悪いほど生えてますわ」


 嫌悪を隠そうともせず、ライリーは一歩踏み込む。

 懐から取り出したのは、一枚の写し絵。そこに描かれた茸と、今まさに目の前にあるそれとを、慎重に見比べた。


「……これで間違いありませんわね?」


 指先で摘まみ上げた茸は、見た目に反してずしりと重い。

 それが何をもたらすのか――彼女は詳しく知らない。ただ、知っているのは、これが“あの女”を貶めるための道具である、という一点だけだった。


「本当に、こんなもので……あのいけ好かない女に一泡吹かせられるのかしら」


 不満と疑念を滲ませながらも、ライリーは茸を手に引き返す。

 頼りにしているのは、出所も定かでない地図一枚。舗装などされていない山道を、六歳の少女が歩くにはあまりにも心許ない。


 やがて、木々の合間から小川が見えてきた。

 水音に混じり、甲高い笑い声が響く。


 ライリーは咄嗟に足を止め、大木の陰へと身を寄せた。

 視線の先では、地の民と呼ばれる原住民の子供たちが、無邪気に水遊びに興じている。裸足で水を蹴り、互いに水を掛け合い、世界に疑いというものを知らぬ顔をして。


「……あれが、“彼ら”ですのね。噂に聞く、地の民……」


 胸の奥に、名状しがたいざわめきが生じる。

 好奇心か、それとも恐れか。あるいは、そのどちらでもない、貴族として刷り込まれた距離感。


 ライリーはそっと息を潜め、衣嚢からひとつの指輪を取り出した。

 黒く沈んだ地金に、精緻な意匠。金色の文字で刻まれたそれは、彼女の知るいかなる言語とも異なっていた。


「……本当に、これで……大丈夫ですの?」


 自問する声は、かすかに震えていた。

 だが、指輪を嵌める動作に迷いはない。


 次の瞬間、ライリーの姿が揺らぐ。

 六歳児の身体は、蜃気楼のように輪郭を歪め、別の像を映し出す。だが、それは完全な変化ではなく、現実と虚構の境目を曖昧にした、不安定な姿だった。


 今にも解けて消えてしまいそうな、その存在。


「――そこの、あなた達」


 声をかける。

 だが、子供たちは振り向きこそすれ、その違和感に気づくことはなかった。


 指輪が放つ不可思議な力が、彼らの認識を静かに歪めている。

 目に映るものを、あるがままに理解できなくなる――それが、この小さな宝飾に秘められた呪いであり、祝福だった。


 そしてこの出会いが、後にミソエル地方に小さな、しかし確かな波紋を広げていくことを、まだ誰も知らない。


「……本当に食えるのか――これ?」


 乾いた声が、山裾の冷たい空気に溶けた。

 差し出された茸に、見た目の異常はない。毒々しさもなく、形も色も、ごく普通の茸だ。


 それを差し出した見知らぬ人物――ライリーは言った。


 ――これは食用だ。

 しかも、山の奥には、まだいくらでも生えている、と。


 その言葉に、子供たちの瞳が揺れた。

 疑念よりも先に、かすかな光が宿る。


 その年、ミソエル地方は不作だった。

 地の民は慢性的な食糧不足に喘ぎ、腹を満たすことさえ容易ではない。

 夜になれば、大人たちは囲炉裏を囲み、声を潜めて食糧の話をする。

 その重たい会話を、子供たちは息を殺して聞いていた。


 だからこそ。


「食べられる」と断言された茸は、怪しさよりも先に、救いに見えた。

 縋るように。

 祈るように。

 子供たちは、その茸から目を離せずにいた。


 近くにいた大人の袖を引き、彼らは茸を見せた。

 そして同時に紹介した――

 その茸を持ってきた、ライリーが扮する“謎の人物”を。


 それが、すべての始まりだった。


 ――数日後。

 地の民とロブフ村の人々は、目に見えて衰弱していく。


 力を失い、声を失い、ただ横たわる者が増えていった。

 原因が何であるかを突き止める余力すら、彼らには残されていなかった。


 その元凶。

 それは、同学園に通う少女――

 ライリー=レガリアントによる、周到に仕組まれた“悪意”だった。



 ◆



「……パソネス家が、鉱山の採掘を再開した?」


 自邸のサロン。

 磨き上げられた調度品と、淡い香りを放つ紅茶に囲まれた空間で、ライリーは優雅に脚を組んでいた。


 使用人がそっと近づき、耳元で報せを告げる。

 その瞬間、彼女の口元に浮かんでいた余裕の笑みが、ひび割れるように歪んだ。


「……そう。そう、ですの」


 声は静かだったが、内に孕んだ苛立ちは隠しきれていない。


 憎きイデア。

 彼女が主催した茶会に招かれたという、パソネス男爵家の娘。

 なぜイデアが、没落寸前の男爵家と親しくする必要があったのか――その理由は表に出ていない。


 だが、懇意であることだけは、疑いようがなかった。


 レガリアント家の情報網は正確だ。

 パソネス家の財政は逼迫しており、このままいけば自壊する――それが共通認識だった。


 そこへ手を差し伸べたのが、あの性悪女と名高いイデア=シュベルッツベルグ。

 それだけでも十分に異様だというのに。


 ライリーがミソエル地方に赴いている間、事態はさらに進んでいた。

 パソネス家の絹糸は、シュベルッツベルグ家、そしてバンブレッド商会と新たな契約を結び、社交界の話題をさらっていたのだ。


 嗅覚の鋭い貴族たちは、次々と仕入れ先をパソネス家へと切り替えているという。


「……パソネス家が傾くことで、イデアにとって致命的となる“何か”があったのは間違いなさそうですわね」


 ライリーはカップに口をつけることなく、紅茶の水面を見つめた。


 だからこそ、彼女はミソエル地方にまで足を運んだ。

 だからこそ、あの茸を地の民に与える計画に、迷いなく加担した。


 本来ならば――

 それでパソネス家は衰退し、守ろうとしていたイデアにも何らかの不利益が及ぶはずだった。


 だというのに。


 現実は正反対だ。

 家は持ち直し、負の遺産でしかなかった鉱山は再び息を吹き返している。


 ライリーの指先が、無意識にカップの縁をなぞる。


「……これでは」


 低く、吐き捨てるように。


「話が、違いますわよ」


 計算違い。

 それは、彼女にとって何よりも許し難い裏切りだった。


 ライリーは募る苛立ちを抑えきれず、手にしていたティーカップを床へと叩きつけた。

 白磁は甲高い悲鳴を上げ、飛び散った紅茶が絨毯に醜い染みを描く。


 そのまま彼女は一言も発さず席を立つ。

 傍らに控えていた侍女は、音が鳴った瞬間に小さく肩を震わせ、視線を床へと落とした。主人の機嫌に触れぬよう、息を殺すようにして頭を垂れる。その仕草だけで、主従の力関係が雄弁に物語られていた。


 不機嫌を隠そうともしないまま、自室へ戻ったライリーは、扉を閉めかけたところでふと足を止める。

 寝台――その枕元に、覚えのないものが置かれていた。


「……?」


 反射的に周囲へ鋭い視線を走らせる。

 広い室内に人の気配はなく、窓も扉も閉じられたままだ。


 しばしの沈黙の後、ライリーは警戒を含んだまま、そっと手を伸ばした。


 それは一通の手紙だった。

 そして――その脇に、飴玉ほどの大きさの宝石が添えられている。


「……なんですの、これは」


 宝石はダイヤモンドにも似ているが、どこか異質だった。光を受けるたび、透明な内部に七色の煌めきが走る。まるで意思を宿しているかのように、角度を変えるごとに色彩を変えた。


 だが、宝石の山に囲まれて育ったライリーは、たいして感動もしない。

 興味を示すこともなく、無造作に宝石から手を離すと、先に手紙へ目を落とした。


 静かな部屋に、紙をめくる微かな音だけが響く。


 読み進めるにつれ、彼女の表情が変わっていく。

 訝しさは愉悦へ、そして確信に満ちた歪んだ笑みへと――。


「……ふふ」


 最後の一文を読み終えた瞬間、ライリーの唇が大きく吊り上がった。


「うふふ……私が、聖女」


 先ほどまで見向きもしなかった宝石を、今度は大切そうに拾い上げる。

 七色の光が彼女の白い指に反射し、頬を淡く照らした。


 その光に見惚れるように、ライリーは恍惚とした溜息を漏らす。


「ええ……そうに決まっていますわ」


 宝石を胸元に引き寄せ、囁く声には、もはや疑いの色はない。


「あんな女より……私の方が、ずっと聖女に相応しい」


 己が“選ばれた存在”であると、疑う余地すら与えぬ傲慢な確信。

 その笑みは、祈りとは程遠い、甘く濁った欲望の色を帯びていた。


 こうして――

 イデア=シュベルッツベルグと、マヤ=キリングの知らぬところで、運命(シナリオ)は静かに、しかし確実に、予期せぬ方向へと舵を切り始める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ