尾行
店内はまだ夕方ということもあり、席にはまだ余裕があった。
俺たちは父さんたちからなるべく離れた席へ腰を下ろす。
「この距離では会話は聞こえませんね」
マルタが店内を見回しながら呟く。
「俺としては、あんまり聞きたくないしな……」
「まあ、そうよね」
ヒカリも複雑そうな表情を浮かべる。
父さんたちを見ると、ちょうど注文を始めたところだった。
「私たちも何か頼みましょう」
「そうしたいけど……金がなぁ」
「ご安心下さい!」
マルタが胸を張る。
「リン様から軍資金を頂いております!」
「マジか」
「はい!」
これなら安心して注文できる。
適当に料理を頼むと、俺たちは再び父さんたちへ視線を向けた。
「あ、何か渡してますよ」
「……封筒?」
「何か数え始めたぞ」
「金か?」
「何してるんだ……父さん」
しばらく二人は穏やかに話していた。
そこへ料理が運ばれてくる。
「「「頼み過ぎ!」」」
三人の声がぴったり重なった。
「あんな量、本当に食べられるのか?」
「でも、お父さんはほとんど食べてないみたいよ」
「ですね……。何故でしょう?」
「多分だけど……」
俺は父さんを見る。
「家で夕飯があるからじゃないか?」
「あっ」
マルタが何かを思い出した。
「リン様、今日は夕飯作らないって仰ってました」
「……」
「だから、このお金を――」
「……父さん」
浮気かどうかは分からない。
けれど、少しだけ同情してしまった。
その時だった。
クロノスが腕を組む。
「しかし、これは本当に浮気なのか?」
「え?」
「金を受け取り、家で夕飯を食べる」
クロノスは冷静に整理していく。
「それに、あの二人の距離感だ」
「……確かに」
こういう時のクロノスは頼りになる。
「もう少し様子を見よう」
⸻
やがてテーブルへデザートが運ばれてきた。
「「「食べ過ぎ!」」」
また声が揃う。
「あの人、本当にどこまで食べるんだ……」
その直後だった。
父さんが慌てて店員を呼び止める。
「……何か固まってない?」
ヒカリが首を傾げる。
「少し涙目にも見えますね」
デザートを頬張りながらマルタが言う。
「お前も食べ過ぎだ!」
「あっ!」
「帰るみたい!」
「俺たちも行くぞ!」
「も、もう少しで食べ終わるので……」
マルタは慌ててケーキを口いっぱいに押し込んだ。
「ほまはへひまひた」
「飲み込んでから喋れ!」
アイスコーヒーを一気に飲み干す。
「ぷはぁ!」
「急ぎますよ!遥様!」
「お前は帰れ!」
※
店を出ると、すぐ父さんたちの姿を探す。
「あ!」
「いた!」
父さんたちはパスタ屋のすぐ近くにある居酒屋の前で揉めていた。
女性は父さんの腕を引っ張っている。
父さんは必死に抵抗していた。
すると……。
「お、お父様が走ってくるわ!」
ヒカリが慌てて叫ぶ。
「隠れろ!」
全員が一斉に物陰へ飛び込む。
……しかし遅かった。
父さんはもう目の前まで来ていた。
「バレた!」
そう思った次の瞬間――
ビューッ!
一陣の風のように父さんは俺たちの横を全力疾走で駆け抜けていった。
「……」
「……」
「あれ?」
全員で父さんの背中を見送る。
「逃げた……?」
「かなり必死でしたね」
「やはり浮気ではないのでは?」
クロノスが静かに言う。
「……父さん」
何とも言えない空気が流れた。
「あっ!」
「女の人は?」
女性は肩を落とし、一人で歩き始めていた。
「追いますよ!」
マルタがサングラスを掛け直す。
「え?何で?」
「忘れたのですか?」
マルタが真剣な顔になる。
「リン様は『宝の匂いがする』と仰っていました」
「あ……」
そうだった。
父さんの浮気疑惑ですっかり忘れていた。
「どうする?」
ヒカリが俺を見る。
クロノスが一歩前へ出た。
「まだ浮気の疑惑は晴れていない。
それに、お嬢様の任務にも関わる。
ここはあの女性を追うべきだ」
「……」
今日のクロノス、妙に格好いい。
そう思って振り返ると、
ババァのカツラを被ってサングラスを掛けていた。
「何でだよ!」
「カツラいらないだろ!」
ヒカリに怒られ、
クロノスは渋々カツラを外した。
……そんなに気に入ってたのか。
※
日はすっかり傾き、
街灯が街を照らし始めていた。
「随分歩きますね」
「この辺、大宮駅からバス出てたわよね?」
「ああ」
俺たちは女性を追い続け、
気付けば駅から三十分近く歩いていた。
「あ!」
「着いたみたい!」
女性は古びたアパートへ入っていく。
「……」
「……」
「……」
「ボロいな」
クロノスが全員の心の声を代弁した。
「で?」
「どうする?」
「うーん……」
素人の俺には全く分からない。
「こういう時は相手の身元確認です!」
マルタが得意げに言う。
「なるほど」
俺たちは静かに部屋の前まで近付く。
薄暗い廊下の灯りを頼りに表札を見る。
白鷺 ユズハ・キョウ
「一人暮らしじゃないのか?」
「キョウって男?」
その瞬間――
ピコピコ。
っ!?
kからの通知音が静まり返った廊下に響く。
「やばっ!」
全員が慌てて逃げようとした。
その時だった。
「何やってんだ?」
背後から声が掛かる。
「人ん家の前で」
「「「っ!!」」」
ゆっくり振り返る。
そこには、一人の女性が立っていた。
※
「はぁ……はぁ……はぁ……」
私はバスへ飛び乗ると、肩で大きく息をした。
「……何年ぶりの全力疾走だろう」
ユズハに強引に居酒屋へ連れ込まれそうになるのを必死で振り切り、ようやく逃げ切ることができた。
私は深く息を吐き、安堵する。
窓の外では夕暮れの街並みがゆっくりと流れていく。
ぼんやりと景色を眺めながら考えた。
「こんなに家へ帰りたいと思ったのは……」
ふっと笑う。
「遥が赤ん坊だった頃以来かな」
あの頃は仕事が終わると、一刻も早く家へ帰りたかった。
毎日当たり前のように過ごしていた家族との時間。
それがどれほど大切なものだったのか、改めて思い知らされる。
「……そのことだけは、ユズハさんに感謝だな」
そんなことを考えながら、私は家路を急いだ。
※
「ただいま」
玄関のドアを開ける。
……暗い。
「あれ?」
いつもなら、
「おかえり」
というリンの声と、
「父さん、おかえり」
という遥の声が返ってくるはずだった。
「誰もいないのか?」
靴を脱ぎ、リビングへ向かう。
やはり人の気配はない。
「……?」
ふとテーブルを見る。
一枚の書き置き。
その横には千円札が置かれていた。
私は紙を手に取る。
⸻
知り合いが遊びに来たので外食してきます。
これで晩ご飯食べてね。
⸻
「…………」
しばらくその紙を見つめる。
さっきまで恋しかった家族団らん。
そこには、もうなかった。
「……牛丼でも買ってくるか」
私は苦笑しながら千円札をポケットへしまう。
そして再び靴を履き、静かに玄関のドアを開けた。




