調査依頼
時計の針は深夜二時を回っていた。
家の中は静まり返り、物音ひとつしない。
ピロン。
静寂を破るように、京一のスマートフォンが小さく震えた。
画面には一通のLINEが表示される。
今日は色々と話を聞いてくれてありがとう!
明日、時間ありますか? ユズハ
その画面を見つめる瞳が、暗闇の中で静かに光っていた。
⸻
※
「おはよう」
昨日の疲れが残っているのか、京一はいつもより遅く起きてきた。
「おはよう、京一くん。朝ご飯食べる時間ある?」
カウンターキッチンの向こうからリンが優しく声を掛ける。
「ああ、ありがとう。でも今日はコーヒーだけでいいよ」
「そう。珍しいわね」
リンはそう言うと、手際よくコーヒーを淹れ始めた。
「おはよー。
珍しいな、父さんが寝坊なんて」
朝食を食べながら遥が声を掛ける。
「き、昨日は会社の人たちと遅くまで飲んでたからな……」
咄嗟に嘘をついてしまう。
「ふーん」
遥は特に疑う様子もなく頷いた。
その反応に、京一は少しだけ胸が痛む。
「はい、コーヒー」
「あ、ありがとう」
気が付くと、リンが真横に立っていた。
テーブルへ静かにカップを置き、そのまま何も言わずキッチンへ戻っていく。
昨日の出来事が嘘だったかのように、いつも通りの朝だった。
※
「行ってきまーす!」
父さんが会社へ向かった後、俺も学校へ行くため玄関へ向かう。
「ちょっと待って、遥」
リビングから母さんが顔を出した。
「何?急がないと遅刻する!」
今日もギリギリの時間だ。
「今日は午前授業でしょ?」
「ああ」
「だったら真っ直ぐ帰ってきて。
ちょっと頼みたいことがあるの」
「えぇ〜、面倒くさ!」
露骨に嫌そうな顔をすると、
母さんの目がギラリと光る。
「そう。
そう言えば……期末テストの結果って……」
「直帰しまーす!」
俺は逃げるように玄関を飛び出した。
※
夏の日差しは容赦なく照りつけていた。
冷房の効かない階段を駆け上がるたびに汗が噴き出す。
それでも急ぐ理由があった。
屋上の扉を開ける。
「早っ!」
そこにはいつものようにヒカリが立っていた。
「今日は随分早かったのね」
「ああ、ちょっと事情があってさ」
肩で息をしながら答える。
「汗くらい拭きなさいよ」
「ハンカチなんて持ってない」
「もう……はい」
ヒカリが一枚のハンカチを差し出す。
「え?いや、悪いよ。
お前も使うだろ?」
「大丈夫。
こんなこともあろうかと、もう一枚持ってきてるから」
「お前は美香月班長か!」
「誰よ?」
「東雲の月の工作班班長」
俺はハンカチを受け取りながら笑う。
「日本人なの?」
「さあな。本人がそう名乗ってるだけだ。
感情を全然表に出さない人でさ。
機械みたいな人で絡みづらいんだよ」
ヒカリは少し考え込む。
「……気になるわね。
あの銀河に日本人がいるなんて聞いたことないもの」
「そんなことより」
俺は時計を見る。
「今日はミーティングに参加できない」
「え?」
「母さんから頼み事。
急いで帰らないとテスト結果が危ない」
「……それなら仕方ないわね」
ヒカリは苦笑する。
「それにしても。
そんなに悪かったの?」
「いや!
まだ全部返ってきたわけじゃない!希望はある!」
「あれだけテスト期間あったのに何やってたのよ」
「お前と戦争して宝探ししてたんだよ!」
「あ……そうだったわね」
ヒカリは慌てて視線を逸らす。
「じゃあ悪いけど行くわ」
「ええ。
また明日」
「ああ!」
俺は階段を駆け下りた。
ピコピコ。
昇降口を出たところで、スマートフォンが小さく震えた。
やっほー!遥くん!
宝探し、進展しないね。
「まあな」
歩きながら返信する。
「今度こそ本当に手掛かりがないんだよ。……悪いけど今日は急ぎなんだ」
ピコピコ。
どうしたの?
「ああ、母さんから頼み事」
一瞬、返信が止まる。
そして、
ピコピコ。
そ、それは急がないと……。
「母さんって、昔から怖かったのか?」
ピコピコ。
そ、そんなことないよ!
普段は優しいし……。
た、ただ、ほら……リンちゃんって沸点低いじゃん。
私たち姉妹の長女にして裏ボスだし……。
「……お前も苦労してたんだな」
思わず同情してしまう。
ピコピコ。
分かってくれるか……心の友よ。
それより急がないと!
「だな!」
ピコピコ。
怒られても私の名前だけは絶対出さないでね!
「分かってるって」
スマホをポケットへしまう。
「……うちの母さん、どんだけ怖がられてるんだ」
少し考えてから苦笑した。
「……まあ、気持ちは分かるけど」
※
「遅かったじゃない」
自転車を止め、慌てて玄関を開けると、母さんが腕を組んで立っていた。
「ち、違うんだ!
ヒカリとkに呼び止められて──」
ピコピコ。
う、裏切り者ぉぉぉぉ!
「……」
「……」
「そう」
母さんは何事もなかったように頷く。
「早く手を洗ってきなさい」
「ほっ……」
ピコピコ。
ほっ
※
リビングへ入ると、テーブルには冷たい麦茶と冷やし中華が並んでいた。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
いつもの昼食。
……のはずなのに。
何となく空気が重い。
何だ、この感じは。
「……母さん」
恐る恐る口を開く。
「頼み事って?」
向かいで静かに麺をすすっていた母さんが顔を上げた。
「ああ、それね──」
ガチャ。
リビングの扉が開く。
「あのぉ、遥さま、お帰りですかぁ」
「……」
「……」
「タイミング良すぎだろ」
「マルタちゃん、いらっしゃい」
「あ、お邪魔します!」
「マルタちゃんも冷やし中華食べる?」
「えっ!よろしいのですか?」
「ええ。まだ麺も具も残ってるし」
「いただきます!」
マルタは満面の笑みで席へ着いた。
「……」
三人で食卓を囲む。
何だ、この不思議な光景は。
「美味しいです!」
マルタが嬉しそうに頬を緩める。
「リン様は本当にお料理がお上手ですね!」
「ふふ。ただのインスタントよ」
穏やかに会話を交わす二人。
……馴染みすぎだろ。
まあ、人のことは言えないけど。
母さんが麦茶を一口飲み、静かに話し始めた。
「それで、頼み事なんだけど」
「ああ」
「お父さんから女の陰が見えるのよね」
「「ブッ!」」
俺とマルタは同時に麺を吹き出した。
「ゴホッ!ゴホッ!」
「な、何言い出すんだよ!」
「事実よ」
「事実でも、いきなり息子に言う話か!?普通!」
「そ、そうですよリン様!」
マルタも慌てて身を乗り出す。
「こういう問題は、もっとデリケートに……」
「まあ、最後まで聞きなさい」
母さんがにっこり微笑む。
……この笑顔。
内心めちゃくちゃ怒ってるやつだ。
「「はい……」」
「私も京一くんを信じてる」
一拍置く。
「でも、ある女性と私に内緒で連絡を取ってるのは確かなの」
「な、何でそんなこと分かるんだよ」
「え?」
母さんは首を傾げる。
「お父さんのスマホ見たもの」
「プライバシー!」
思わず立ち上がる。
「人のスマホ勝手に見るな!」
「そうですよ!」
マルタも勢いよく立ち上がる。
「夫婦でもスマホを勝手に見るのは犯罪ですよ!」
「人の部屋に勝手に入ってくるお前が言うな!」
「…………」
「……すみません」
「それにね」
母さんは話を続ける。
「深夜の帰宅」
一本指を立てる。
「見知らぬ女性の名刺」
二本目。
「十分怪しいでしょ?」
「……確かに」
「ごまかすな!」
「でしょ?」
「俺の部屋問題スルーすんな!」
「分かりました!」
マルタが勢いよく立ち上がる。
「その調査、私たちにお任せ下さい!」
「何でお前がノリノリなんだ!」
「浮気は絶対に許せません!」
うんうん。
母さんが満足そうに頷く。
女って怖い。
そして父さん、脇が甘すぎる。
「それにね」
「え?まだあるの?」
「宝の匂いもするのよね」
「……」
「私の勘だけど」
「…………嘘つけ」
「ホントよ、ホント」
「嘘くさっ!」
「それならヒカリさんも呼びましょう!」
「信じるな!
それと身内の恥を他所に広げるな!」
「あら、いいわね」
母さんまで乗り気になる。
「ヒカリちゃん、頭いいもの」
「何で母さんまでノリノリなんだよ!」
「すぐに来るそうです!」
スマホを片手にマルタがニヤリと笑う。
「早!」
それから10分も経たない内に玄関からチャイムが鳴った。




