第五章 時計台の崩壊とゴールデンレトリバー 1 ケータ
ヨーコの放ったアーチェリーの矢は、何枚かの光の壁を潜っては、すり抜け、潜っては、すり抜けを繰り返し、オーヤマの胸に直撃し、オーヤマは地面に倒れた。
「さすが! ヨーコ! 天使の壁を利用したみたいだね」
ケータは心の中で拍手する。
「君が悪意の壁に潜り込んだのと同じ事だよ。ヨーコの放ったアーチェリーの矢は、純白の壁に潜り込み、そして、すり抜けて、君に命中したんだ。あ、ヨーコがそっちへ行くよ。急いで」
ケータがオーヤマに向かって喋る。
と、ヨーコの目に椅子に座ったケータの姿が見えたのか、それとも動物的な第六感が働いたのか、とにかく理由はどうあれ、ヨーコは、オーヤマに向かって歩いていく途中で、ケータの座る玉座の前で立ち止まった。
フツーの推理小説なら、登場人物一同が勢揃させられたクライマックスで探偵に追求されてるわけでもない限りで、『実はわたしが彼を殺したんです』なんて正直に告白するわけない。当然、推理小説家は真実を隠して創作しているし、犯人の顔を目撃している被害者だって死人に口なし。ダイイングメッセージを書いたって、一般市民の多くがその伝言を見て、あごに手を当て考えてしまう。
モチロン、探偵小説では洞察力の鋭い名探偵が犯人の動機からアリバイまで完璧に推理し、意外な真犯人をぴしゃりと言い当てる。たまに犯人を隠したまま終わる作品もあるけれど、あれは読後感がすっきりしなくって何だか嫌いだ。
だけど、今度ばかりは真相は誰にも分からない。
でも、事実、ヨーコは、立ち止まり、玉座に座ったケータを見ていた。
「ヨーコさん、こっち向いてる」
ケータと椅子との間に押しつぶされていたはずのミカとウリがいつの間にかケータの周りを浮遊している。二人ともちょっと鼻が赤い。きっと無理をして、窮屈な所から抜け出てきたんだろう。小さな球体に描かれた表情をよく観察すれば、開放感から来る喜びに満ちていることが分かった。
「じろじろ見てるけど、実際は俺たちのことなんか見えてないんだろ」
ウリが、故意にヨーコの顔の真っ正面に移動した。その球体からちょこっと出た両手両足をひらひらさせたが、ヨーコは表情一つ変えない。玉座を見つめたまま、じっと動かない。
「やっぱり見えていないって」
ウリが報告する。
ヨーコは、顎に手を当て、首をかしげた。
ケータは、ヨーコの顔をじっと見つめていた。普段はあまり悩みもしない、考えもしなそうなヨーコの表情は、今日はちょっと難しそうに顔を顰めていた。
ミカが、ウリを追いかけ、ヨーコの顔の正面に移動し、ウリの隣に並ぼうとした時、ヨーコがいきなり天使の力を放出した。
「きゃっ」
「おおう」
天使の力は、微弱だったが、その力に触れ、ミカとウリは地面に降下していく。
「ケータ? そんなわけないか」
ヨーコは、くるりと回転し、オーヤマの元へ向かった。ヨーコの力によって、ケータを玉座に縛り付けていた悪魔の力は、粉砕されていた。
ケータは、玉座から立ち上がると、屈伸をした。長いこと椅子に座りっぱなしはやっぱりきつい。床の上で伸びているミカとウリを拾い上げると、無造作にズボンのポケットに押し込める。
そろそろこの戦いも終わりが近い。
「悪魔の力で作ったダミー人形――」
ヨーコが、オーヤマのダミー人形にまんまと騙される様子を見て、ケータは声を立てて笑った。その言葉、僕がオーヤマに対して言った言葉と同じだよ。
「気付くのが遅い」
オーヤマは、ヨーコの背後に忍び寄ると、ヨーコの背中に銃口を押しつけた。
オーヤマが、本当に引き金を引きそうだったから、慌ててケータは走っていった。
「まあ、そのくらいにしときなよ」
ケータが、そっとオーヤマの手に触れた。オーヤマは、ケータの言葉に素直に従い、マシンガンを降ろした。勿論、オーヤマが、ケータの言うことを聞くことは分かっていた。
オーヤマの手を引いて、ケータは玉座へ向かった。ヨーコもすでにアーチェリーを消していて、攻撃態勢ではなかった。よく分からないけど、オーヤマの様子を見て、もう戦う必要がないって思ったみたいだ。
「ねえ、天国ではどんな話題で持ちきりか知ってる?」
ケータは、オーヤマを玉座に座らせると、オーヤマに問う。
「さあな。そんなこと俺の知ったことか」
オーヤマは、ぼそりと答えた。
「それじゃダメだ。きっとヨーコだって知ってるはずなんだ。天国では今何が流行してるかってことくらい。重要だと思わない? だってさ、この世で百歳まで生きたら、長生きって言うけど、天国に行ったら何年間天国にいると思ってるの。もうずぅっと、ずぅっと長い間なんだ。どうせ話題なんて、自分が生きていた時のことを懐かしむくらい。おじいちゃん世代だったらきっと第二次世界大戦だろうし、戦国時代の武将だったら絶対に仕えていたお殿様の自慢話なんだ。でもね、それだけだと、ジェネレーションギャップが、いや、センチュリーギャップ、それとも、ミレニアムギャップがすご過ぎて、会話は成立しないはず。だから、きっとそんな世代を超えて分かり合える話題だってあるはずだ。それがきっと天国で流行になってる話題があるはずなんだ」
「確かにな」
オーヤマは頷いた。
「ヨーコ、天国で流行ってるのって何だと思う?」
オーヤマはケータに従い、ヨーコに聞いた。
「天国? そうねぇ」
ヨーコは、予想通りの食い付きっぷりだった。これなら期待できそうだ。
「韓流スター」
ヨーコは自信満々で答えた。
「ありえない」
「ありえないよ」
「ありえないね」
「ありえないよな」
ケータも、オーヤマも、ウリも、ミカも同時に反対した。
ヨーコは、ポケットから財布を取り出すと、プロマイドを一枚取り出した。
チャン・ドンゴン――
「かっこいいでしょ」
「まあな」
オーヤマが、受け取ったプロマイドをミカとウリがのぞき込む。
「ケータさん、こんな趣味を持った子を好きになったものね。恋って不思議」
「俺は嫌いじゃないけどな。チャン・ドンゴン」
オーヤマが、プロマイドをヨーコに返した。
「やっぱりヨーコじゃ役不足だったね」
ケータは反省する。こういった哲学的な内容を考えることに、ヨーコは絶対に向いていない。
「食い付きはいいだろうとは思っていたけど、ヨーコの考えがここまで的はずれだなんて思わなかったよ。それでさ、今天国で流行ってることをあらかじめ調べておいたんだ」
「いつの間に?」
いつだって流行しているものを聞いて回る時間はあったんだ。だから、ケータには天国で今何が流行っているのか分かっていた。
「それで、今何が流行っているんだ」
ケータは、玉座の背後に回り込み、オーヤマの両肩に両手の平を載せた。ヨーコから受けたオーヤマの傷は思ったよりも強く、無意識では意識同士が連結しあっているケータにもオーヤマの痛みが伝わってくる。
でも、大丈夫。
そこの名前が、天国という名であっても、極楽という名であっても、天界であっても、桃源郷であっても、そういった名称なんか関係ない。ただ死にゆく人間の不安を取り除いてくれる場所でありさえすれば、地獄だって天国なんだ。
ただ、自分という存在が消滅していまうこと。その不安がどうしようもなくつらい。
だから、死んだら、天国へ行って、楽しく流行の最先端を行かなくっちゃいけないんだ。
「京都旅行が流行ってるみたいだよ」
「京都旅行?」
オーヤマの返答にケータは頷いた。
「そう。京都旅行。京都は四季それぞれの表情があっていつ旅行に行っても飽きない。京料理は僕はまだ若いから、美味しいとは思わないけど、やっぱり年配の人に聞いてみると、京料理も食べたいんだって。僕なんかだと、全国区になりきれていない京都ラーメンなんかが好きだけどね。特に鴨川の河川敷を歩くのなんか涼しくていいよ。だから、みんな話題にしているんだ。京都っていいよねって」
「でも、それじゃ――」
「そうなんだ。僕たちは大学時代に京都で過ごしているから、今の流行に乗り遅れることなんてありえない。自慢げに京都について話してくる人に、相づちを打つだけなんかじゃない。僕たちの方から、京都の良さを発信できるんだ。僕たちはいつだって、ヒーローなんだ」
「ヨーコ」
ヨーコは、オーヤマとケータを二人っきりにしてあげていた。オーヤマの作り出した塔の最上階は周囲の壁が全て壊れ、京都の街を一望できた。爽やかな風が吹き抜け、ヨーコの長い髪がなびいている。大学のキャンパスを覆っていた悪魔の力も霧が晴れていくように徐々に薄れ始めている。
オーヤマは、ポケットに手を突っ込むと、先ほどヨーコから受け取ったジッポを取り出した。そして、ヨーコの右手を掴むと、ジッポを握らせる。
「大事に持っていてくれてありがとう。またしばらくヨーコが持っていてくれ」
「当然よ。だってわたしのジッポなんだから。それにこの戦いに勝ったら返してくれるって約束したじゃない」
「そうだったな」
オーヤマがヨーコを抱きしめ、そのハグした腕を解くと、ぽんぽんっとヨーコの頭を叩いた。
「さて、そろそろ終わりにしよう」
オーヤマが、右手に悪魔の力で拳銃を作り出していた。ケータはオーヤマの手にそっと自分の手を添える。
「ケータ!」
オーヤマが自分のこめかみに、銃口を押しつけているのを見て、ヨーコが叫んだ。
「バイバイ」
オーヤマとケータが引き金を引くと同時に、オーヤマの頭が大きく揺れた。右手がだらりと下がり、拳銃が床に落ちると同時に、行使者がいなくなったため、一瞬にして消失する。
「ダメだ!」
薄れゆく意識の中、ブルドックの叫び声が聞こえた。




