第四章 ヨーコとオーヤマの最終決戦 3 シリル
「去年、悪魔に選ばれ悪魔の力を手にしたにも関わらず、あのお嬢ちゃんから貰った天使の力を使うなんて、なんとも行儀が悪い」
悪魔は、床に落ちた鉄仮面を拾い上げ、傷の様子を見ると、使い物にならないと判断し、床に放った。すでに、悪魔の顔の傷は癒えている。悪魔そのものの力と、悪魔に選ばれたものの力の差か。
オリジナルとそうでないものの違い。
ただ、『わたしを離さないで』でも、『彼方のアストラ』でも、『仮面ライダーゼロワン』でも、基本的にオリジナルでない存在の方が苦悩に満ちていて、その苦悩があるが故、物語が盛り上がる。
そんなわけで、俺の悪魔の力が、目の前にいる悪魔から授かった力だったとしても、まだワンチャンスはあるはずだ。
ただ、気がかりなのは、鴨川デルタでの天使との戦いで、天使の上半身を完璧に捕らえ、体の大部分を消滅させたはずの天使が、あれだけのダメージを受けても、全く平気だったことだ。確かに、ヨーコから貰った天使の力を利用すれば、悪魔に対してダメージを与えることはできる。しかし、与えられるダメージはが、大きいわけがなかった。蚊に刺されたのとどちらが嫌か判断が付かない程度だろう。
弱点を見つけ出す。
シリルはそれだけに専念することにする。
一歩歩くごとに、甲冑がガシャンと音を立てる。シリルは素早く後退し、悪魔と一定の距離を保つ。シリルの最大の特徴は、体が小さくて、すばしっこいことだ。しかし、天使に与えられた傷がまだ完全に癒えていないため、どうしても動きがぎこちなくなってしまう。
「天使さまから聞いた話だが、お前はあいつにこっぴどくやられたそうじゃないか。『もうこれであのブルドックはこの戦いの邪魔なんてしてこないわ』なんて言ってたぜ。まあ、俺様にしちゃ、お前がこの場にいてもいなくても関係なかった。ただ言えることは、天使さまの目は節穴だったってことだ」
悪魔は、自分言ったことに対し、ケラケラと笑い声をたてた。醜い顔が大きく歪む。
悪魔が、一歩前に進むと、シリルは四歩程度後退する。
「そんなに距離を置いてどうするんだ、ブルドック。お嬢ちゃんの力を俺様にぶつけるには肉弾戦しか残っていないはずだよな。さあ、来てみろ。ほれほれ。そのちっぽけな天使の手袋なんざ、所詮、テーブルナイフみたいなもんだ。俺様を倒すには日本刀がいるぜ」
悪魔は手招きする。
「来ないか。お前の表情を読み解くとなぁ、一撃必殺の弱点を狙ってるって顔してるぜ。どうだ、シャーロック・ホームズも真っ青な推理だろ。それとも、エルキュール・ポアロの灰色の脳細胞ってやつか。ブルドックは、肉弾戦を仕掛けなければ、倒すことのできないはずの相手に対し、距離を置いている。そして、そのちっぽけなめんたまで、俺様の体中をなめ回すようにじっくりと見ていやがる。俺様がわざと右肩を回せば、その右肩に注目し、左膝を曲げれば、左膝を凝視する。勿論、ちょっとした攻撃では悪魔を倒すことができない。つまり、弱点を狙っている。証明終わり」
好き勝手言いやがって。
シリルは悪態をついた。
ヒーロアニメで、ラスボスとの圧倒的な力の差を一発逆転するためには、まずはラスボスにボコボコにされ、それでもなお、味方を想う心に火がついて、ヒーローの持っている真の力を引き出すことができて、パワーアップするってのが定番だ。
この単独の悪魔のとの戦いの中で、俺はパワーアップすることができるのか。
「ここだよ。ここ」
悪魔は股間を指さした。
「俺様の弱点も、天使さまの弱点もここだよ。もしお前がもっとがぶりと天使さまを食べていりゃぁ。お前はそんなに傷つくことともなかったし、俺様をこの場で倒せれば、お前の復讐も終わるってわけだ」
悪魔から妖しげな光が輝くと、悪魔の背後に数百本もの槍が出現する。
「一発や二発なら、その小さな体でかわせると思っただろう。だが、俺様はそんなに優しくない。俺様は推理する。お前の体のサイズは、縦20センチ、横20センチ、長さが50センチ程度だ。だから、この槍の感覚を10センチ間隔で整列させて、攻撃すれば、お前は避けることは絶対にできない」
槍がゆっくりと回転し始め、槍の先端が全てシリルの方を向く。そして、槍はゆっくりと動き始め、悪魔が言ったように、縦横10センチ間隔で、綺麗に整列すると、ぴたりと止まった。
シリルは座り込んだ。もう年貢の納め時ってことだ。
シリルは諦める。
「シリルさんよぅ」
アフガンハウンドが現れた。
「おまえさんはよく頑張ったぜ。この場で倒れても、きっとあのチワワがおまえさんを天国に連れて行ってくれるだろう。ここで悪あがきして、醜い姿を晒すくらいなら、男らしく全ての槍を受け止めてやるって気持ちになってどしんと腰を下ろして座ってろ。俺はそう思うぜ」
――ああ、その通りだ
「ちょっと待ってください」
チワワが駆け寄ってくると、アフガンハウンドはすっと消えていった。
「シリルさん、何事も諦めたら負けだと思いませんか? できるにせよできないにせよ、やろうとしていることに対して諦めてしまった時点で負けなんです。どんなに仕事が辛くても、どんなに寒さが厳しくても、あなたはその場を打開するために、常に努力をしてきました。今回ももう少しくらい努力をしてもいいんじゃありませんか?」
シリルはチワワを見つめた。
――たまにはいいこと言うじゃねえか
「でも、シリルさん、あの槍はひどすぎ。あんな数、あんな間隔なく、並べられてしまったら、どんなにシリルさんが気合いを入れて、対処法を思いついたって、絶対に避けられないって」
シリルは翼を大きく振ると、一気に加速して、彼方へと消えていってしまう。
いや、たった一つだけ。この場だけを凌ぐ方法はある。
悪魔と俺との戦いをやめさせると、願い事を言うことだ。その一言を口に出せば、きっと神様はその願いを受け入れて、俺は生き延びることができる。しかし、そんなことなんの価値がある。
そして、ヨーコは分かっていない。なぜこの塔がこんなにも高くそびえ立っているのか。そして、どうして、シリルが天使と悪魔に復讐を果たそうとしているのか。
くだらない願い事を言って、生き延びるくらいなら、願い事なんか言わずに、死んだ方がましだ。
「それじゃあ、行くぜ」
悪魔が右手を掲げ、一気に振り下ろすと、それが合図にして、一気に槍がシリルへ向かって加速し始めた。シリルは数え切れないほどの槍を目前にし、ただ単純に恐怖を感じた。しっぽを丸め、一歩、また一歩と後退してしまう。
アフガンハウンドの兄さん、こんな槍を目の前にして、どしんと腰を下ろしておくなんて無理な相談ってやつだ。
シリルは下がろうとしたが、塔の壁でそれ以上下がれなくなった。
槍がシリルに向かって、突き刺さる。
死んだか――
シリルの目の前は、真っ暗だった。
しかし、槍に突き刺さったという痛みは感じなかった。これでシリルの人生も終わりだと思うと、やっぱり願い事を言って生き延びても良かったんじゃないかと思った。でも、そんな考えはすでに手遅れだ。
痛みは感じない。これはきっと戦時中に相手の砲弾により瀕死になり、痛みにもがき苦しむ兵隊を味方の兵隊が銃でドスンと楽にしてやるのと一緒で、きっとあの悪魔であっても、痛みを感じさせず、一瞬で息の根を止めてくれたんだろう。
シリルは感謝する。
「おいおい。勝手に死ぬんじゃねえ」
アフガンハウンドの声が聞こえた。
「シリルさん、うまいこと逃げたわね」
今度は、チワワの声がした。
俺は死んでいない――
シリルははっとする。
ここはどこだ。
急にシリルの全身にオーヤマケータの悪意が流れ込んでくる。その意識を感じ取り、シリルはこの戦いのオーヤマの意識を全て感じ取った。なぜ彼が戦うのか、そして、オーヤマ自身、ヨーコを殺そうという意志はないことも分かった。シリルもヨーコには生き延びてほしかった。チワワがなんと言えど、新しい飼い主として申し分ないはずだった。
ここは天国じゃない。俺は生きている。悪魔の槍が突き刺さる瞬間、死にもの狂いで、願い小言口走ってしまったかと思ったが、そんなはずがない。
「だから言っただろう。お前は姑息なんだよ」
悪魔の声がどこからか聞こえた。次の瞬間、何も見えなかったはずの視界に光が差し込んだかと思うと、体が宙に放り出されていた。
「オーヤマの作り出した悪意の壁に飛び込むなんて、そんな芸当いつ覚えたんだ。ブルドックのくせに」
シリルは床に落ちた。悪魔が壁に潜り込んだシリルを引きずり出すため、壁を破壊していた。シリルの足元に、ヨーコが作った手袋が落ちていた。やはり天使の力は悪魔の力でできたものには入り込めないらしい。
シリルは手袋をはめると、近づいてくる悪魔の足の間を一気に駆け抜ける。くるりと振り返ると、余裕そうな表を浮かべ、悪魔がゆっくりと回転しようとしていたところだった。
「同じ手は二度は使えない。今度は壁ごと、突き抜いてやる」
再び悪魔の後ろに数百本の、いやもっと増加し、本当に数え切れないほどの槍が出現した。
シリルは恐怖心を捨てた。目の前にいる悪魔のように、強力な力を数多く生み出すことはできない。シリルは一年間戦いとは無縁の生活をしてしまったため、悪魔の力の寄りどことなる悪意が小さくなってきていた。それでも、一発だけなら、一本の槍よりも強力な力を生み出せるはずだ。
陰気なアフガンハウンドと生意気なチワワだけのために戦ってもよかった。だが、シリルは悪意の塔の中に入り込んだことで、オーヤマケータが何者なのか、何を思って、ヨーコと戦っているのかを感じ取ってしまった。だから、シリルは、まだここで、負けるわけにはいかない。これがシリルの味方を想う心だ。
シリルの背後に、悪魔の力でできた犬が浮かび上がる。
「俺様にそんなものを向けてくるのか」
「ああ。俺はシリル・ザ・ブルドック! 犬だ!」
「さあ、かかってきな。いつでもいいぜ」
余裕の表情で悪魔は仁王立ちする。そうすることも予定通りだ。シリルの右足から、ヨーコの手袋が消えていた。しかし、シリルに油断した悪魔はそれに気付いていない。
シリルは悪魔の犬を解き放った。
その時、ようやく悪魔は気付いた。ヨーコの手袋を風船のように使い、ヨーコの天使の手袋の中にシリルの悪魔の力を中に入れ、背後に漆黒の犬を生み出していたことに――
「まさか」
槍がぴくりと動いたが、すでに遅かった。シリルの犬が大きな口を開け、悪魔がシリルに直伝したように股間まで、いや足の先までばくっと飲み込んでいた。天使の力にコーティングされた悪魔の力を悪魔は吸収することができない。
激しいエネルギーのぶつかり合いと共に、漆黒の犬が消失していく。そこに悪魔の姿はなく、同時に槍も消えていた。
シリルは階段を上り始めた。




