Chapter.2 「雪花」
「…あ、あの、アリアさん?」
いつものお店。王都アストレリアの中央にある広場から少し南に下ると、商業区がある。いくつもの行商や露天が立ち並ぶ、王国で最も活気のある場所。その商業区を少し路地に入ったところに、こぢんまりとした酒場がある。酒場といっても、単なる宿屋の一角である。
しかし、ミリヤが一歩、その扉から足を踏み入れた途端に、そこは焦土と化していた……。
「な・に・が! “素晴らしい功績だ”よ! エロジジイども! こちとら命張って! ヘルメスの首領を! 追い詰めたってのに!」
アリアは荒れていた。酒場にいる男たちが、一人酒を嗜む姉御に言い寄ったに違いないが、虫の居所の悪いその目に見入られた者たちは、悉くその身を散らしていった。ある者は肘打ちを、ある者は胸ぐらを掴まれて投げられ、現在はその腕に頭をロックされ、店主が泡を吹いて気を失っている――。
「…や、やめて! 店主のヒットポイントが赤くなってるから!」
*
「…活動自粛?」
「えぇ……驚異を除いたことよりも、被害の方が甚大。そりゃあそうだけど……」
落ち着きを取り戻したアリアは、先刻召還された際の話をしていた。
「こっちも被害甚大よ。ただでさえ人手不足なのに、主戦力の三人を失ったわけだし、主席は――」
リゲルのことを口にしたくないのか、そう言いかけて口ごもる。
グラスを傾けながら、軽く振るって氷を鳴らしていた。何か、特別な思いでもあるかのように、グラスに注がれた酒に浮かぶ氷を眺めていた。
心配そうに見つめるミリヤの視線に気付いてか、無理に笑ってみせた。
「ま、とにかく――しばらくは休暇をもらったようなものね」
グラスの中の酒を、一気に飲み干す。飲み終えた後の余韻を残しながら、アリアはそのまま机に突っ伏した。
気持ちよさそうな表情を浮かべながら、ついにはその美貌に似合わぬほど隙だらけの寝顔を見せていた。……涎を垂らしながら。
「…アリアさん、疲れているんだね」
静まり返った店内で、ミリヤは一人、オレンジジュースの入ったグラスを両手で持ちながら考えていた。
――騎士になれ。小娘。
先刻のビオラントとの戦いの後、埋めがたい実力差を見せられて、悔しさと同時に、無力さを痛感していた。
飲みかけのオレンジジュースをテーブルに置いて、アリアのはだけていたローブを整えて、店を出た。
冬のサンシベリア国は、夜の底から冷気を運んできた。寒空の下に一人。路地から天体を眺めながら、一際輝く赤い星を一つ見つけた。その星を見つめながら、ミリヤはため息をつく。息は白く、澄んだ空気と共に路地裏に吸い込まれていった。
両手が冷たい――。その両手を温めるように、ミリヤは息を吐いた。両手を白くなった息が包み込む。その白は空へと吸い込まれるように浮かんでいった。その行方を見届けようと、ミリヤは空を見上げた。
――雪だ。
そういえば、ミリヤはこれまで雪を見たことがなかった。
姿はもはや、中世の一般的に言う成人女性のそれと似てはいるが、この世界に生まれてから、まだ半年しか経っていない。
ミリヤは、冒険者である。
冒険者とは、かつてこの世界がRiaOnlineとして存在していたころのプレイヤーと呼ばれる人々と同じように、この世界にやってきた存在である。――といっても、ミリヤが誰かというわけではない。
この世界は、何かをきっかけに誕生した。
それは、RiaOnlineのサービス終了に起源する。
Riaというオンラインゲームの世界が、現実とは違った異世界として存在するようになってから、この世界では定期的に擬似プレイヤーを生み出してきた。
アリアとも、ビオラントとも、他の誰とも違った誕生の仕方とは異なっている。ミリヤは、Riaによって生み出された特異的な存在である。
だからこそ、人とは違った成長をし、人とは違った可能性を秘めていた。
しかし、それでも人並みに悩み、考え、苦しむ姿は、年相応の女の子と変わりはない。ミリヤは、空から落ちてくる冷気の結晶を物珍しそうに眺めていた。
そして、感傷的な気持ちをその結晶に打ち明けるかのように、呟いた。
「…私は、強くなれたのでしょうか――セイレンさん」
静寂が包み込んでいた。
すると、突如その静寂を破るかのように激しい物音が聞こえた。
ミリヤはその音に反応すると、急いで店に戻った。アリアに預けておいた誓いの剣を取りに来た。その騒々しい足音に気づいて、アリアは目を覚ました。
「あれ……ミリヤ、どしたの、慌てて……」
寝ぼけ眼をミリヤに向けながら、アリアは再び閉じそうになる瞼を朧げに開いていた。
「…アリアさん、外で何か物音がしました。私、見てきます!」
「ちょ、ちょっと……! ミリヤ!」
寝ぼけて、酔っていた体は、思うように動かない。アリアは、よろけて転んでいた。その最中にも、アリアは店を飛び出していた。
激しい物音の正体――それは、恐らく金属音である。
何らかの戦闘行為が、この街の路地裏で行われているに違いない。
ミリヤは足早に、金属音の響いていた辺りへ駆けつけた。雪が薄らと積もっている。注意深い足取りで、ゆっくりと歩を進める。視線を落とした先に、まるで雪面に花が咲くように、赤い跡が点々と続くのが見えた。
それほどまでに、その血痕は多量の血が流されたことを示すものにほかならない。
壁についた傷跡……刃物の類によって付けられたものだろう。しかも、その痕跡に血液が付着しているのをみると、さきほどこの場所で戦闘が行われたことは間違いないだろう。
ミリヤは腰に下げた剣を、左手で握り締めた。
下唇を軽く噛み締めて、決心したかのように、その赤い道しるべを追った。




