Chapter.3 「異教徒」
雪は、その結晶をさらに大きくしながら、ゆらゆらと降り積もっていった。揺れながら大地に降り立つ様は、天からやってきた妖精かなにかのようで、普段であればその幻想的な光景に心を奪われていただろう。
しかし、ミリヤは緊迫していた。
路地裏から響く金属音が、近くなっていた。
その金属音は、金属同士が弾き合う音に加えて、石材を掠める耳に馴染まない音や、苦痛に悶える男の悲鳴と、それを嘲笑うかのように追いかける狂気じみた声と共に響いている。
男は、その手に赤い頭巾をまとった少女を連れていた。
男は褐色の肌に燈花色の短髪……サンシベリアでは見かけない人種のようだ。その燈花色を振り乱しながら、男は雪の路地裏を駆け抜けていた。
表の通りに出ないのは、人気のない大通りに出ることが自殺行為であることを知っているからだろう。大通りに出れば、こんな格好の二人組は目立ちすぎる。ともすれば、今彼らを追っている狂人の仲間がいたとすれば、すぐに包囲されてしまうだろう。
かといって、土地勘のない路地裏を闇雲に走っていても、時間の問題である。
とうとう、二人は袋小路に追い詰められた。
狂人は闇の中に姿を紛らせて、その影をいっそう濃くしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。男は、息を切らせながらその握っていた手を肩に回し、少女を庇うようにして短剣を構えていた。
影の中から、不気味な笑顔がこちらを直視している。
狂人は、その黒衣の頭巾を深々と被り、真っ白な歯を全て見せながら、鎌のように湾曲したその剣を両手に構えながら、行く手を塞ぐように両腕を広げていた。
「逃亡者よ……我が聡明なる神の手を逃れることは出来ぬ……」
カタコトのようにその言葉を告げると、そのショーテルを交差させながら、追跡者はその男の首を捉えた――。
寒空に舞う雪が、不自然に軌道を変えた。
それは、その間に響いた剣撃の交差する音と、そのぶつかり合う衝撃によるものに相違ない。
狂人たる追跡者の剣を受ける美しい鞘に収まった剣……ミリヤである。
「…逃げて! さぁ、早く!」
褐色肌の逃亡者は、戸惑いながら少女に視線を落とした。あどけない表情を浮かべながら、少女も男を見つめていた。
自分の滅びの運命を、このような少女に託して良いものかを自問していた。
しかし、そのミリヤの真っ直ぐで力強い眼差しに、男は首を縦に振った。
二人はその場から立ち去ろうとした。
その二人を、狂人は目で追っていた。逃すまいとして自分をすり抜けようとする少女の身体にショーテルを振りかざした。
ミリヤはその振りかざした狂人の右腕を掴み、その身体を力いっぱい引き寄せ、壁に叩きつけた。ショーテルは少女の腕を掠めたものの、勢いよく壁に叩きつけられて、その刀身を根元から折っていた。
ミリヤはショーテルの湾曲した部分を活かして、地面に寝かせた追跡者の首に押し付けた。追跡者の首が収まるほどの湾曲した刀剣は、サンシベリアでは全く見かけない。
異邦者だろうか。
「貴様……我らが神命に仇なす蛮族どもが……」
「…なぜ彼らを追っていたのです? 説明しなさい」
「貴様らごとき異教徒に語る口などない!」
追跡者はミリヤが押さえつけているショーテルを跳ね除けようと、力いっぱい抵抗した。ミリヤも、力の限り押さえ込もうとしているが、どこから湧き上がるのか、押し返される力に跳ね飛ばされてしまった。
そして、少し目を離した隙に、追跡者は姿を消していた。
辺りを見回してみても、その気配は感じられなかった。その場に落ちていた折れたショーテルだけを残して。
ややあって、ミリヤの背後に青白い光を放った魔法陣が浮かび上がった。アリアの転移魔法である。そこから現れた青白く輝く扉が開き、アリアが現場に駆けつけた。
「何があったの?」
「…ごめんなさい、取り逃がしてしまいました」
ミリヤは事の全てをアリアに話した。
アリアは冷静にその話を聞いていた。
「褐色肌の男に赤い頭巾の少女……それを追いかける異教徒の男、か……」
アリアは少し考え込んでいた。その表情は、青白く、とてもいい表情とは言えない。
「その褐色肌の男だけ、ど……うっ……」
「…あ、アリアさん!?」
酔いつぶれていたアリアは、急な運動に吐き気を催していた。
その場にうずくまるアリアの背中をさすりながら、ミリヤは二人の行方を案じていた。
*
翌朝。
王都アストレリアの路地裏で、雪にうもれながら二人の遺体が発見された。
褐色肌の男と、赤い頭巾を被った少女であった。
その遺体が白いシーツに包まれて運び出されるのを、ミリヤは呆然と眺めていた。いったい、私は何をしているのだろうか。何も守れない、何の役にも立たないではないか。
私はいったい、何のために戦おうとしているのか……その意味すら見いだせないまま、佇んでいた。
アリアは、その様子をただ黙って見ていた。
英雄の背中を追いかける幼気な少女の挫折を目にしながらも、それをすぐに癒せるだけの言葉が見つからずにいたのである。
「ミリヤ……大丈夫?」
「……ほっといてください」
「でも……」
「…今は一人になりたいの!」
そう言うと、ミリヤは一人、降り積もった雪の中を走り出した。
アリアは、ため息をつきながら、「世話の焼ける子ね……」と呟いた。
「あの子には、あなたのように大きな背中が必要なのですよ、セイレン様」
晴れ渡った空を見上げながら、アリアは雲の行方を追っていた。少なからず、アリアは憂いていた。今時分、アリアに背負わされた運命の重さに、耐え切れる自信はなかった。それでも、約束は約束だ。英雄殿に申し付けられた、ミリヤを頼む、という約束を、アリアは律儀に守ろうと決意を固めていた。
だからこそ、アリアは、肩を上下するように深く呼吸をしたあとに、ミリヤを追って歩き始めたのである。




