Chapter.11 「隠」
「目に見えるものは全てではない。目に見えない力が存在するのだとしたら、それは科学が認めない。世の中に解明できない現象など存在しない……」
雑踏の中にそびえ立つ巨大な塔……いや、ビルである。
政令指定都市オオミヤの中央に建つ巨大な建物の最上階から見下ろして、男は難しい表情を浮かべていた。紫色の縦ストライプの入ったスーツを身につけて、黄色いシャツに黄土色のネクタイ、胸には黄金の天秤を象ったバッチを輝かせ、杖をついた中年の男が語っている。髭を蓄えたガタイの良い男である。
「そう、気づかないうちに教え込まれてきた。テレビでも、学校でも、常識としてそれをすり込んで、さも当たり前かのように信じ込まされてきた。これが、無宗教という名の教えなのだ」
口には布を猿轡にされ、後ろ手を縄で縛られた男と若い女が両膝を付いた状態で床に座らされていた。杖の男がそちらに振り返ると、縛られた二人を取り囲むように、数人の男たちが近づく。
「妙な信仰心を持つこの世界の人間に、目に見えない力の存在を示し、魔法だの超能力だの、神だの悪魔だのと言われたものの存在を明らかにし、世を震撼させること。それが、今回のプログラムだ」
囚われている二人――。青の長髪にメガネをかけた女と、その父らしき人物である。
「さて、此度の誘拐劇――警察がどのようにして動くのかは見物だが、御宅の代表取締役殿はどうされるのだろうな」
男は杖を青髪の女の頬に当てながら、微笑んだ。
杖の男が合図を出すと、取り囲んでいた男たちが二人を連れ出していった。
杖の男が再び窓に振り返る。静まり返る部屋の中にある暗がりから、一人の男が影のように現れた。
「魅玖瑠様――」
「首尾はどうか」
「概ね順調でございます。実験は成功かと。現在青陰が試用稼働させております」
「しかし、このザマか」
ミクリという男は、視線も逸らさずに街を見下ろしていた。深夜の都市部をいっそう黒く染め上げた、漆黒の街を。明かりが失われた街を。
「試用稼動とは片腹痛い。まさか、街一帯の電力を吸い上げてしまうとはな。これではコストがかかりすぎる」
「研究は次の段階に進んでおります。全ては、“隠”の名のもとに…」
そう言うと、ミクリは影から現れた男に向き直った。
「“隠”――隠れ潜む者。鬼の語源ともなったであろうこの言葉が、現代では何を意味するか、お前は知っているか?」
「いえ、残念ながら」
「目には見えぬが、確かにそこにいるもののことだよ。オカルトの観点からそれを表現するならば――“幽霊”。決して触れられない、見えない、闇に乗じて現れる恐怖の存在。あると知っていながらも、その存在を認めようとしない。無宗教の境地だ」ミクリは再び窓の外を眺めた「見たまえ……我々はここに在るのだ。深淵なる街に、一人、二人……」
ミクリはそのとき、外の光景の中に、一際輝く閃光を見た。
その光が何を指し示すかは、ミクリにはわかっていた。
ミクリは、その光を見据えて、再び口を開いた。
「さて、我々に抗うものは何者か。夜闇の影を極めた我々が、日輪を掴もうとしている今――。お前は、光か、闇か?」
「ミクリ様、警察が動き出したのでしょうか」
ミクリは、ふと微笑みながら「いや、違うな」と言った。
「この夜闇を味方に動くのは、闇だけだ」
閃光が消えていく。
再び漆黒に染まる街を見据えて、ミクリは愉しそうな表情を浮かべていた。
「目には目を、歯には歯を――悪には、悪を、だ」
*
静寂に包まれた街。その静けさに響き渡る荒い息遣いと足音。桜花は走っていた。携帯のライトをつけて、足跡を追っていた。
信号も、街路灯も、部屋の明かりも見当たらない。
普段なら深夜でも走っているはずの車も見当たらない。
足跡を追っていくと、見覚えのある場所に出た。
「ここって……」
先刻の倉庫だった。
桜花は明かりのない、闇に包まれた巨大な扉をそっと動かそうとした。扉は思いの外大きな音を立てたので、桜花はハッとした。気づかれてしまっただろうか。少し息を潜めて隠れたものの、誰かが出てくる気配はない。
顔半分ほど開いた扉の中を覗き込んだが、真っ暗で何も見えない。
携帯のライトをつけて見ようとも考えたが、それは自殺行為なのではないか、と脳裏を巡ったので、再びそっと、音を立てながら扉を開き、倉庫に忍び込んだ。
何も見えない。何も聞こえない。
そういう時、人は気が狂いそうになるほどパニックになることがある。そうならないように、桜花は携帯を握りしめていた。
少しずつ目が暗順応してきた。桜花は探索を始めた。元々何もない廃倉庫であるここは目立った障害物はほとんどないが、足元に廃材となった鉄パイプや木材が転がっているのを先刻確認済みである。そのため、桜花は慎重な足取りで先へと進んだ。少し月明かりの差し込む場所を見つけたので、そこに向かうことにした。
月明かりに照らされた倉庫内。埃と、冷気と、静けさが同時に感じられる。その先に、薄らと何かが見えた。その何かは、ここからでは見えなかった。月明かりが照らしている倉庫の一部が、より一層その周辺の闇を深くしていたからである。
「やばっ……携帯の充電がなくなりそう……」
警察署からの道のりで、常に点灯させていたライト機能の影響で、残りの充電がほんのわずかとなっていた。
桜花は月明かりの差し込む場所を避けながら、慎重に奥の方へと進んでいった。この奥には、自分自身が不良少年たちに連れてこられた場所があったはず。その奥には……記憶をたどりながら、ゆっくりと進むと、桜花は暗闇の中で、目印の何かが動いているのに気がついた。どうやら、人影のようだ。
もしかしたら、大河かもしれない。
でも、そうとは限らない。
呼吸を最低限に抑えながら、桜花は自分が連れてこられた場所、先刻大河が不良少年を蹴り飛ばした場所まで来ていた。暗闇の中で動く影は、ゆらゆらと揺れ動いていた。あまりにも不可解な動きをしていることは知れたが、やはりそれが何であるかは視認できずにいた。
「一か八か……やってみるかな」
桜花は頭の上に乗っているピンクの生き物の存在を確かめながら、そいつに聞くように決心した。桜花は、携帯のライト機能を使った。その奥にある光景が見えた。そこに浮かび上がった何かの正体……その時、桜花は、咄嗟にライトを消した。ライトを使うのはやめておいたほうがよかったと思えた。人間とは違った、何か別の存在であった。ドラマとか、映画とか、漫画とか……非現実的な世界の中でしか、そいつを見たことがなかったからである。
「何……だよ……アレ……」
腐敗した肉……崩れ落ちた肉……。
人骨の一部が丸見えとなった腐り果てた死体のようなものが、ゆらゆらと佇んでいた。横を向いた状態で、顔半分の肉がなく、頬骨、奥歯まで見えている。ホラー映画の撮影でもしているのだろうか……。
そんなことはどうでもよかった。
ライトを点けた瞬間に、その腐った人間が、こちらの存在に気づいたのである。その光景が、桜花の目に焼き付いて離れなかった。その場から動けず、座り込んでしまった。少しずつ、足を擦りながら歩いてくるような音が聞こえた。真っ暗で何も見えないが、確かにこちらへ近づいてくるのがわかった。
怖い、助けて、という感情が、いっぱいになってあふれていた。
それでも、逃げないと自分の命が危ない。そう自分を奮い立たせ、ゆっくりと立ち上がった。
近づいてくる音――それに合わせて、自分も後ずさりした。
気が付けば、月明かりの照らす場所に出てしまっていた。
桜花はそれに気がついたとき、腐敗した何かが足を速めたことに気がついた。足を速めたと言っても、普通に歩くよりは遅い速度である。それでも、当の本人には、足を早められたことが、自分の存在を悟られてしまった証拠として十分であるほど、絶望的に感じていた。
ひたっ―― ひたっ――
何かを引きずっているかのような足音が、裸足のようなものが地面を平たく叩くような足音が近づいてくる。
桜花も、更に後ずさりした。月明かりのある場所から数歩離れたところまで。
すると、その月明かりの差し込む中へ、おどろおどろしい顔が、崩れた肉が、ほぼ骨が剥き出しになった手が、足が、次第に顕になっていった。
これは、撮影なんかではない。きっと、本物の……ゾンビだ。
桜花はついに、壁際まで追いやられていた。ゾンビは自分から数歩先まで迫っていた。後ずさりしようにも、もはや背中が壁についてしまうばかりである。
その時、ふと背中にある物に気がついた。
もし、これがゲームの世界の武器であるならば……あの何かよくわからないものを倒せるかも知れない。桜花はそう思った。
桜花は決意を固めた。
この大槌を、あのゾンビに叩き込む以外に方法はなかった。
「……来いよ、腐れ野郎!」
桜花のやや怯えながらも勇ましく吠えた声に触発されて、ゾンビはカタカタと歯を鳴らしながら両手を前に突き出して、襲いかかってきた――!
桜花は勢いをつけて、大槌を横に振りかぶった。腕を二本、真っ直ぐに背後に伸ばしきった状態から、体の反動を利用して、その槌をゾンビの側頭部に叩き込んだ。その勢いで体を反転させながら、ゾンビは倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
緊張からか、息を荒げている桜花を、ピンクの生物は頭の上に乗りながら優しく頭を撫でていた。
桜花は、少し安堵していた。
この武器があれば、自分の身をある程度守れると確信したからである。
桜花はその場に膝をつけて座り込んだ。
――背後から迫る、もう一体の存在に、桜花は気づいていなかった。
突然現れたゾンビの攻撃を、間一髪避けることに成功したが、左肩のところを掠めてしまいその部分の服が破れた。皮膚からは出血があり、じんわりと茶色いコートを染めていた。
「何なんだよ……こいつら……」
桜花はその時、不意に現れたソイツだけでなく、他にも複数体存在していることに気がついた。先ほど倒したゾンビも、徐ろに起き上がり、陥没した左即頭部を見せながら近づいてくる。
桜花は、左肩の痛みに気がついた。ただ引っかかれただけの傷ではない。傷を抉られるかのような激しい痛みに見舞われた。その傷口は熱を持ち、心なしか身体が怠く感じていた。しかも、襲われた時にハンマーを落としてしまっていたらしい。
もはやゾンビの複数体いる真っ只中に落ちているハンマーを拾うことはかなわないだろう。逃げ道もどこにあるかわからない。携帯もどこかに落としてしまっていた。ゾンビの群れが、着実にこちらに向かってきている。
左肩の痛みに耐えながら、桜花は咄嗟に頭に乗っているピンクの生物を抱え込んだ。この子だけは手を出させない、そう決めたからだ。
桜花は目を閉じた――。
――“死を司る刀舞”
奇妙な叫び声が聞こえる。何かを切り裂くような音も響いている。目を開けると、灰色の逆立つ髪に黒い衣服を身につけた男が、ゾンビの大群を凄まじいまでの猛攻で蹂躙する姿が映った。常人では成し得ないほどの素早い身のこなしと攻撃の技術……両腕に付けている刃がゾンビの首を、体を、悉く切り裂いていく。
切り裂かれたゾンビたちは、その身を砂煙のように消していった。
一体、また一体と、ほんの数秒というわずかな時間の中で、全てのゾンビを塵にしていった。
その男が、全てのゾンビを倒した後、桜花の方を見た。
緋色の瞳――さきほど警察署で見た、冷徹で冷酷な大河が見せていた目に似ていた。しかし、どことなく雰囲気が違う。姿かたちも、着ている服も違っていた。その男が、ゆっくりと歩み寄ってきた。腕についた刃が月明かりに照らされて光っている。桜花は、傷に耐えながらも、ピンク色の生物をぎゅっと抱きしめていた。
その時、ピンク色の生物が、腕の中でじたばたとし始めた。それに気がついた桜花は少し力を緩めると、その男の前へ浮かんでいった。ピンクの生き物は、男の前で首を傾げると、その男をじっと見つめた。男はそいつの頭を軽く撫でた。
緋色の瞳の中に、優しい心が見え隠れしていた。
この目を、確かに以前桜花は見ていた。自分がこの場所で不良少年に絡まれていた時に助けてくれた、大河の目に似ていた。だとすれば、この人物は――。
「大丈夫? オーカちゃん」
不意に後ろから女性が現れた。綺兎だった。綺兎は、「エリちゃん連れてきてくれて、ありがとね」と言いながら、何もない空間から瓶を取り出した。それを桜花に手渡し、飲むよう勧めた。
桜花は妙な緑色をしている瓶の中身を疑いながらも、それを口の中に含み、飲み込んだ。すると、さきほどまで抉られるような痛みを感じていた左肩の痛みが薄れていった。気が付くと、左肩の傷が塞がれていった。
「何なのこれ……まるで、ゲームの世界みたいだ……」
綺兎は桜花の目の前に立つ黒衣の男を見た。男は頷くと、目を閉じた。
男を光が包み込み、鏡が割れるように光が弾けた。
そこには、大河の姿があった。
警察署で見た雰囲気とはまるで違う、ここで助けられた時の大河であった。
桜花は、それを確かめるように、大河にしがみついた。
いつも気丈に、荒々しく振舞っていた桜花が、出会って間もない人間に見せる弱い姿だった。大河の胸に顔を埋め、「バカ野郎!」とかすれた声で何度も叩いた。
大河は、どうしたら良いのかわからず、自分の頭を掻くことしかできなかった。
綺兎に視線を送ると、笑顔で頷いていた。大河は、桜花の頭にそっと手を置いた。
「怖い思いをさせてすまない……もう、大丈夫だ」
桜花は、埋めた顔をしばらく離すことができなかった。
彼女は他人の前で初めて、涙を流していたのだから。




