Chapter.10 「無灯火」
誰もいなくなった取調室で、クエスは一人退屈を満喫していた。
“魔笛の奏者”の二人組に連れて行かれ、天秤を召喚した儀式に巻き込まれ、しかも、その天秤を自分に封印されて……気がついたときにはこうして元の通りに取調室に座っていたのだが、それまでいたはずの、紺色の服装をした男たちの姿がない。
そのため、ストレージに隠しておいたエリザベスを取り出して遊んでいたのである。机に突っ伏すような形で、足をブラブラさせながらそう呟くと、さきほどから響いていた物音が近づいてきていた。
「エリちゃん、何か物音がするねー?」
エリザベスは首を傾げながら、クエスの渡す餌を勢いよく頬張っていた。
「セイレン様、早く迎えに来てくれないかなぁ」
心なしか、変な叫び声も聞こえる。なんだか騒がしい感じがしたが、ある所まできて、その騒がしさは急になくなった。代わりに、足音が真っ直ぐこちらの部屋へと向かってきていた。
クエスは咄嗟に、ストレージからデクレッシェンドハンマーを取り出していた。先刻、藍王蟲を壊滅させた槌系の武器である。この武器は、対人ではあまり役には立たない。武器の効果としては、自分よりも体の小さい敵に対して攻撃効果の高くなる武器である。また、攻撃を与えた敵の攻撃力を弱めていく効果も備わっている初心者用装備である。
それでも、今のクエスにとって、この武器があるかないかでは雲泥の差がつくほど、心強いものであることに違いはなかった。
近づいてくる足音。外の不気味なまでの静けさに反響していた。
コツ―― コツ――
着実にこちらへ向かってきている。その足音がこの部屋の前に来た時に、突然その反響を中止した。止まったのだ。
妙に静かであることから、こちらの気配を探っている様子だった。
クエスは、ドアの脇に待機した。ドアが開いた瞬間に、このハンマーで叩けば奇襲になると考えた。
ゆっくりとドアが開き始めた。
そこから入ってきた男に目掛けて、思いっきりハンマーを振りかぶった。
その男が、ドアから入ってきたのが見えて、クエスはすぐさま攻撃を止めた。
「セイレン様! よかったー無事だったんですね♪」
様子がおかしいことは、クエスはすぐに理解していた。
その男が入ってきた時に、自分に起こった変化を感じていたからだ。
先程の──というのは、語弊があるかもしれないが、あの時、“魔笛の奏者”たちによって行われた儀式らしいものの影響であることは、すぐに知れたのである。
そのため、クエスは何事もなかったかのように振舞った。本当は、とてつもなく胸が疼いて仕方が無かった。心臓が止まるのではないかと思うくらいに、鼓動が響いていたから。
笑顔を振りまいていたのも束の間、結局、クエスはその胸の疼きに耐え切れず、気絶してしまった。
男は、倒れ掛かったクエスを受け止めると、右肩に担ぎ上げ、部屋を後にした。
*
「……どこに行ったんだよ、アイツ」
警察署内の異変には、数多くの警察官が気づいていたに違いない。それでも桜花が館内を、自由に、くまなく捜索できたのは、何か良からぬ異変が起こっているに他ならなかった。薄気味悪いほどに静かな廊下が、緊迫した心の動きを音にして響かせているのではと思うほど、よく聞こえた。
廊下の角、恐る恐る覗き込むようにして、顔を出す。
一本の真っ白な廊下が続く以外に、何もない。あるとすれば、開いているドアと、開いていないドア、蛍光灯の点滅と、自分のする呼吸の音——。
桜花はゆっくりと歩みを進めた。廊下に手をつきながら、撫でるように、身を屈めながら、少しでも対角線から状況を見極めようと、部屋の並ぶ方ではなく、窓側の壁に身を寄せて進んだ。
少し行くと、開いているドアの部屋に差し掛かった。——誰もいない。
次の部屋はドアが閉まっている。鍵がかかっていた。
その次のドアも閉まっている。残すは――最後の開いているドアの部屋。桜花は生唾を飲み、下唇を噛みながら、覗き込むことを決心した。
心拍数が上がっていく。自分の耳にまで届くような心の悲鳴が、鼓動となって打ち鳴らされている。脈が、血管が、身の危険を告げるかのように強張った体を鳴らし、駆け巡っている。それでも桜花は、知りたかったのだ。先刻の、あの優しい目をした男が、なぜこんなことをしているのだろう。あの住宅街の倉庫で、危険を顧みず助けてくれた時、心の内側に、何か寂しげな影を宿しながら、優しく微笑んでいた男が。警官に暴行を加えれば、ただ事では済まないはず。それでも、しなければならないこと――桜花は、大河の言葉を思い出していた。
そういえば、誰かを探しているようだった。
――そうだ……あのさ、岩槻さん…君がここに来たとき、少し大きめのトラックがなかったか?
「あの時、ちゃんと話しておけばよかったな……」
桜花はそう、呟いた。
先ほどの決心が揺らがないうちに、思い切って部屋の中を覗いた。
机とパイプ椅子……。やはりここにも何もいない。
高まった心拍数が落ち着きを取り戻したのと同時に、桜花は全身の力を抜いた。
壁に寄りかかりながら、座り込んでいた。
あのトラックの本当の行方を知っていることを告げなかったことの罪悪感が、桜花を襲っていた。
足を両腕で抱え込みながら、膝に顔を埋めた。ひんやりとした自分の足が、火照っていた顔には心地よかった。桜花はこの後のことをどうしようかと考えていた。大河を追うべきか、それとも――。
桜花が顔をあげたとき、目の前で妙なピンク色の生物が浮いていることに気付いた。
「うわっ!? なんだ、これ!?」
そのピンク色のウーパールーパーのような生物は、桜花の前で首を傾げていた。その手に、何かを持っていた。
「これって……確か、綺兎とかいう人がつけていたリボン?」
ここに浮かんでいる不思議な生き物は、綺兎の行く先を知っているのか、探してほしいのか……寂しそうな表情を愛らしくも見せるこの謎の生物に、桜花は一通りの愛着を持ち始めていた。
持っていたリボンを受け取ると、ピンクの生物は部屋の中に入っていった。それを追うようにして、桜花も部屋に入った。
ピンク色が示す先に落ちている身の丈近くあるハンマーと、紙切れが目についた。
「これを……どうしろと?」
持っていけ、とでも言うのだろうか。
桜花はハンマーを手に取ってみた。とてつもなく重そうな外見とは裏腹に、思いのほか軽くて驚いた。自分の手を軽く叩いてみたものの、痛さも重さも感じない。よくできた小道具のようだ。
次に、紙切れを手に取ってみた。紙切れを手に持つと、空間に“2”という数字が浮かび上がった。これが何を表しているのか……。桜花には、何となく理解ができた。
「なんだろ、これ……ウチがやってる“GBO”のエフェクトに似てるけど」
GranBladeOnline。通称GBO。2024年にサービスが開始された、VRMMOSFRPG。2016年秋に先駆けとなった体感式立体映像型ゲームのうちの一つで、多人数同時参加型のSFRPGとして現在人気を博しているオンラインゲームである。
GBOは、Riaがサービス終了後に同社から公開された高度なバーチャルリアリティを体感できるゲームであった。
綺兎が残していったであろうアイテムが、桜花の目に馴染みのものに見えたことはこのためである。
先ほどの紙切れに浮かび上がった“2”という数字は、「アイテムの残り使用回数」を指し示すものである。とすれば、これは何らかの回数制限のあるアイテムであることがわかる。しかし、なぜこのようなものがここに存在するのか……。
桜花は、ピンク色の生物を見つめながら、大河に起こっていた異変を思い出していた。
「お前……ゲームの世界のモンスターなのか?」
ピンク色は少し悩まし気な角度で首を傾げていたが、すぐに桜花を正面から見つめた。桜花にはそれが、うなずいているように感じていた。
桜花には、それだけで十分だった。今目の前に起こっている不思議と向き合うために、ほんの少しでも自分の気持ちを後押ししてくれる存在がいるだけで。
桜花は、ゲームで行っているように、その紙切れのアイテムを使用してみようと試みた。
「ユーズアイテム! アイテム使用!」
反応しない。これには何か使用するための条件があるようだった。
しかし、これが安全なアイテムである保証はどこにもない。何かを攻撃するスキルが封じ込められていれば、自分にも危険が及ぶ可能性があった。桜花は、少しためらいながら、諦めて机の上に置いた。
ため息。机に両腕を敷いて顔を乗せながらしゃがみこんでいた。
ピンク色は桜花の頭の上に乗って、同じようなポーズを取っていた。
「なんだよ、真似すんなよな」
そうは言っても、可愛らしい外見に顔はほころんでしまう。
「真似するならちょっとは役に立つもの出してくれよ」
頭の上のそいつを指でつつきながら、桜花は呟いた。すると、そいつは浮かび上がり、桜花の目の前にやってきた。ボーっとしたような表情を桜花に向けながら、突然、光を放ち始めた。薄紅色に輝きを見せると、先ほどの紙切れが似たような色を放ち始めた。もしや――条件が整ったのか?
桜花は、紙切れを手に取った。
紙切れに文字が浮かび上がった。“Chaser's Vision”と書いてあった。
「えっと……英語は苦手なんだよな……えー……ちゃせ…ちぇい…さー? ちぇいさーず…びじょん?」
紙切れは薄紅色の光を紫紺色に変えて怪しく輝いた。桜花の身の回りに魔法陣が浮かび上がっている。魔法陣はその文字らしき紋様を巡らせながら、桜花を中心に集まり始めた。桜花は戸惑いはしたものの、次第に見えてくる二人の行方が視覚化されているのを感じた。
数分前――この場所……ドア付近で、大河が綺兎と体面した。綺兎は意識を失い、大河に担がれて部屋を出て行った。その痕跡が、足跡のように浮かび上がって続いている。
ピンク色の生物が輝きを失い、元の姿に戻ると、桜花の頭に乗った。ぐったりとしていた。疲れたのだろうか。
どちらにせよ、この謎の生き物のおかげで、桜花は大河の後を追うことができるようになった。
机に置いてあったハンマーを手に取った。装備するためのベルトがハンマーについていた。それを体に身に着け、ハンマーを背中に差した。
桜花は廊下に出た。足跡を辿りながら、階段の先に続く、薄暗く緑色に光る通路を見据えた。非常口の色は、なぜにもあのように奇妙に見えるのだろうか。
夜の館内を照らす気味の悪い緑の光を頼りに、足跡を追っていく。
足跡は警察署の裏口に続いていた。奇妙が奇妙を呼び、警察署内には誰もいる気配がない。それが、桜花を再び緊張させていた。
裏口のドアノブを捻る。その先に見えるはずの街路灯や、普通なら点いていてもおかしくないはずの、住宅街の明かりは、どこにも見えない。
黒洞々たる闇。現代の文明から光を奪うことは、こんなにも気味の悪い情景を生むのだろうか。
漆黒の町を照らす蒼月が、大きく、不気味に輝いていた。その月明りを頼りに、桜花は夜闇の中へと駆け出した。




