Chapter.6 「闇英雄」
闇夜に浮かぶ蒼月の光は、この街に潜む全ての影を照らすには心もとない輝きである。
彼らは陽の及ぶところには決して現れない。薄暗く湿っていて、人目のつかない路地裏に於いてのみ咲く、言わば雑踏の雑草にも至らない、苔生した一群。
気まぐれに輝く夜月でのみ、彼らの花は咲く。
決して陽の光では癒せない絶対的な傷跡が、瘡蓋が、膿んで膿んで仕方がなくなったとき、その疼く痛みを晴らそうと彼らは夜に現れる。夜闇曇天こそ晴らすことは可能だが、晴れを晴らすことはできないように、《《傷》》を持つ者は夜を求めた。
かつての俺も、そうだったのかもしれない。
繁栄の陰に闇有り。これは俺の持論だ。まぁ、正確にはじいさんの持論だが、この世界、この街を見ているとそう確信せずにはいられない。
政令指定都市オオミヤを照らす光は、巨大な闇を生んでいた。
闇に潜む花は、光を歩む者に踏みにじられるのをただ待っているはずがない。
今回の誘拐事件は、そういう類の、《《魔》》である。
俺たちがたどり着いた、そんな《《魔の巣窟》》は、陰鬱とした森の奥でも、洞窟の中でもない、人の住む繁栄の中心、街の中にあった。国道16号沿いの路地に入ると住宅街がある。住宅街には使われなくなった倉庫のような場所があった。
クエスが触媒魔法“追跡者の慧眼”によって足跡をたどってきた場所がそこだった。
――政令指定都市オオミヤ、南地区。
妙な連中がうろついていた。中には学生服を着た若い男たちの姿もあった。数にして7人。どこからか連れてこられた女性を、寄ってたかって押さえつけているのが見えた。
「セイレン様……あの方、睦ちゃんでは無いようですね」
「みたいだな……」
素っ気無く返事をしてみたが、俺の方を何度見もしてくるクエスと、クエスの頭に乗って俺の方をじっと見ながら首を傾げているエリザベスの視線が突き刺さる。
「……助けないんですか?」
「…はぁ……」
そんなに、じとっとした目で見ないで欲しいな。
期待するのは勝手だけど……まぁ、やってみるしかないか。ここでうだうだしていても埒が明かない。
俺は、正面から堂々と倉庫に入っていった。その姿を、影からクエスたちが見守っていた。何の策もなしに正面から入っていった俺に少し驚いた表情を見せた。
それまで女性を囲んで楽しんでいた男たちが一斉に静かになった。
――その視線の先に、俺がいる。懐かしく久しぶりの感覚が蘇ってくる。
俺は、着ていたワイシャツを第三ボタンまで外していた。
「誰だテメェ」
俺は装備の確認をしていた。
武器は、使い古した一張羅のスーツ――使い古した革靴。それ以外に何も無い。剣も甲冑も、魔法さえも使えない、ただの商社マン。
ネクタイは既に家に置いてきた。社会人にとって一番の武器は、今では全く役には立たないから。
「シカトこいてんじゃねぇぞコラ、テメェ一人か?」
「スーツなんて着た大の大人がなんの用っすか? もしかして……説教?」
「なんだこいつ、黙ってるだけでなんも喋んねぇ! ビビってんじゃねぇの?」
「今、俺たちいいところだから、あっちいっててくんない? おっさん」
そう言いながら、不良の一人がタバコの火をこちらに向けてきた。タバコを指で弾き、俺のスーツの左胸のところに当って落ちた。
それを見た不良学生たちの笑い声が、静けさに包まれた町に響いた。
俺は、その場にただ立っていた。もしかしたら、目つきは鋭くなっていたかもしれない。不良の中のひとりが、俺の目つきが「気に食わねぇ」と胸ぐらを掴んできたからだ。
クエスが身を乗り出しながら、ハラハラとした面持ちでこちらを見ていたが、俺は、もう既に笑みを浮かべていた。
俺は視線を落とした。タバコにライター、潰された缶が山積みになっていたが、恐らく酒だろう。胸ぐらを掴む男、確かに、顔は赤く染まっており、吐く息がまさに酒臭い。この7人の中に、俺らが追っていたやつはいない。ここを通って、次の目的地に向かったに違いない。
そして、最後に俺は女性の方を見た。女性は身を縮め、恐怖に怯えていた。服がやや乱れてはいるが、まだ乱暴をされたような形跡はない、無事だ。
俺は目の前の男に再び視線を戻した。俺は興味を失ったようなため息混じりの言葉を、その男につきつけた。
「……離せ」
その言葉にキレた目の前の男は、俺の顔面をいきなり殴りつけてきた。左頬に右ストレート。この殴り方から察するに、ボクシングか何かをしているようだ。
しかし、俺はこの男を蔑む目をやめなかった。
すると、今度は俺の腹に一発、背中に両手で一発攻撃を加え、うずくまった俺の脇腹を三回蹴った。その姿を見ながら、他の六人の男たちは賑やかそうに笑っていた。「なんだよこいつ、大したことねぇな」と聞こえた。既に俺から興味を無くした者もいたようで、現れた俺の活躍を期待していた女性は、既に落胆したかのように、男達に成すがまま諦めの表情を向けていた。それでも、その女性の目は俺を向いていた。
クエスは、もう我慢できない、と言わんばかりに、眉間にシワを寄せた状態でこちらに来ようとしていた。
が、その時――。
その場にいた男たちが、俺から視線を外し、女性の方へ向かった瞬間――。
クエスの目に写ったのは、いつもと雰囲気の異なる男――かつて英雄と呼ばれていたはずの男が、髪の毛をかき上げて、タバコに火をつけ、何事もなかったように佇んでいた。……その姿はむしろ、《《かの猟犬》》を思わせる姿だった。
胸ぐらを掴んでいた男――。立ち上がった男の姿に気づき、後ろを振り向こうとした。その振り向き際に、俺は回し蹴りをもろに顔面に叩き込み、体の反動を利用して思い切り蹴り抜いた。男は身体を数回転させながら、置かれていたドラム缶に激突し、既に気を失っていた。もはや見る影のない男の顔の、口だと思われる部分からは、折れた歯が数本垂れていた。
タバコを蒸す。これまでに人に見せたことのないような形相を、威圧する猛獣の風格を表すように漂わせ、笑ってみせた。
そう、俺も元は闇に咲く花……少し面影を呼び起こせば、すぐにでも“彼”は目を覚ます。かつて猟犬と呼ばれた、RiaOnlineの狂った猛獣、オルトロスである自分が。
胸ぐらを掴んでいた男は、この場で一番の手練だったらしい。その彼をたったひと蹴りでのしてしまった俺に、怖気付く少年たちの、恐怖に歪む顔を一人一人見ながら、俺は近づいていきながら、「なんだ、大したことないんじゃないのか?」と嘲笑いながら聞いた。
奮い立たせながら、一人の不良が近くにあった鉄パイプを広い、振りかぶるようにして殴りかかってきた――が、振り下ろす前に腕を止められてしまえば、鉄パイプなど全く意味を成さない。俺は、鉄パイプを持って、その不良の首に当てた。丁度、背後から鉄パイプで首を絞めるような、そんな感じで引きずった。その場にいた全てが、背筋が凍るような緊張感を味わっていた。俺は、男の耳元で言葉を呟いた。「あぶないよ、これ、使い方によっては……」反対側の耳元で、「……人が死にかねないからね」そう言うと、捕まえていた男の顔が真っ青になった。
気が付けば、他の不良たちは一目散に逃げていた。ドラム缶のところで気絶している男、俺が鉄パイプで取り押さえた男、襲われていた女性を残して。
クエスは、恐る恐る近づいてきた。俺の顔を覗き込むようにしていたので、ジロっと、クエスの方に視線を向けた。「ひっ」と声にならない悲鳴をあげながら震えているクエスを見て、俺は頭に手を置き、ポンポンとしながら、「もう、大丈夫だよ」と優しく声をかけた。クエスは、ほっとしているようだった。
とにかく、まずはコイツから情報を聞き出してみるか。
*
「なんでもっと早くこうすることを教えてくれなかったんですかぁ! やられちゃうと思って……心配してたのに……」
心配か…まぁ、ありがたいことではある。これまでの俺には、クエスみたいに物好きな人間は近くにいなかったから。クエスがいなければ、俺は今頃、闇夜の蒼月に照らされて、魔が差した狂犬になっていたかもしれない。俺の心に日を当ててくれる、そんな晴れやかな人だからこそ、俺は、あの時傍にいて欲しいと言ったんだ。
「だって、強いって信じてくれてたんだろ? お前にとって、本当の俺は」
だから、俺はこうやって、お前に笑いかけられるんだ。
*
闇夜に紛れて、二つの影が、集合住宅の屋上を黒く染めていた。
「ご覧になりましたか。」
「あぁ、非常に面白くなってきたね。まさかこんな所で逢うなんて奇遇だね。オルトロスちゃん。」




