Chapter.1 「平凡の再来」
第三章
2026年1月――Riaの世界で爆ぜていったオルトロスの死によって、同一の存在であるセイレンもまたRiaの世界から消失してしまった。
しかし、死を覚悟していた気持ちとは裏腹に、現実の世界に戻ってくることができた主人公。
あの世界での出来事を夢と割り切って、平凡な毎日を再び過ごしていた。
――現実世界編 前編――
俺が欲しかったのは、こんな平凡ではなかった。
平凡な毎日を送ることは、幸せなことである。
そんなことはわかりきったことである。幼い頃に家族を失った俺にとっては、“平凡”という言葉がよくわからなかった。いわゆる“普通”の生活を送った記憶はほとんどない。孤児として育てられた俺が、唯一親として呼べたのは……ネットの世界で知り合ったじいさんだけだった。
そんな俺が、高卒認定試験を経て、大学に合格し、まぁ…中小企業の商社ではあるけれど、仕事に就いている。ようやくたどり着いた平凡――。
それは、仕事帰りにコンビニで幕の内弁当を買い、黒烏龍茶を飲み、極めつけに冷蔵庫に常備してある梅の発泡酒、ウメェシュを飲み、動画投稿サイトのゲーム実況を見ながら寝るという生活――俺が求めていた平凡とは、そういうことではない!
酒を飲み、酔い始めた俺を呆然と見つめながら、水槽の中でウーパールーパーが気ままに漂っていた。水槽の中を覗けばいつでも目が合うコイツは、悩みがなさそうで感心させられる。でも、そこがかわいい。
「あぁ、神様……あなたは情けないことをなさいます。たった26年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯この穴蔵に私を閉じ込めてしまうとは、横暴であります! …なんてな」
酒の進んだ俺は、更にやさぐれていた。
「俺にも……蛙がいたらなぁ」
昔、図書館で読んだ井伏鱒二の山椒魚を思い出しながら、首を傾げるウーパールーパーを見つめていた。
こいつを見ていると、この前見ていた夢を思い出した。
炎上する町中で、騎士風に甲冑を着こなしている俺が、ウーパールーパーをエグく狂わせたような怪人と戦う夢。口から斧を取り出し、俺に斬りかかってきたあいつを……。思い出すと、ちょっと気持ちが悪い。
そして、過去の因縁との対決──まぁ、言わばお決まりの展開だが、昔の自分を乗り越えて、その夢は醒めていった。
それにしても、妙にリアリティのある夢だったな――。
夢の中で出会った、甲斐甲斐しくも自分勝手で、でもどこか憎めない女の人――。
口喧嘩も多かったけど、あんなことや、こんなことや……いや、違う違う、そんな男子の夢的な展開も良かったけど……。夢の中とはいえ、幸せな時間だった。
純真で頑張り屋で、さみしがり屋な妹みたいな女の子もいた。その夢の中で体験したことは、非凡なことには違いないのだが、二人と旅をしている時に、自分の求めていた“平凡な日常”に近いものを感じた。
そう、こんな自分にも、「家族」ができたような、そんな夢――。
できるなら…もう一度、あの夢を見られないだろうか――。
俺はいつの間にか、睡魔に堕ちていた。
ウーパールーパーは俺への興味を失ったように、岩屋の中へ潜り込んでいった。
翌日。
俺の日々への絶望をよそに、深淵なる穴蔵から抜け出せるチャンスが、突然訪れた。
「は!? お、お、お、お見合い…ですと!?」
上司のメガネ(本名は妻鹿 良郎らしい)から持ち出された縁談だった。お相手は、取引先の部長の娘。就職や転職などの紹介や人材派遣などをしている会社で、キャリアサポート(就職指導や新人教育)をしている人らしいが……メガネにロングヘアー、スラっとした見た目。なんだろう、どっかで見たことがあるような……。
「まぁ近頃の猿渡君の業績も良い…とはいえんが、君もいい歳だし、この辺で家庭でも築いて責任感を養いなさいな。…そして」急に後ろを向き悪代官のような顔つきで「お得意様の縁者に近づくことで取引も持続する…安泰だ、我が社は安泰! 私も昇進間違いなしだ!」
どっから持ち出したかわからないが、金色の扇子で煽ぎながら高揚する悪代官メガネ部長の高笑いと、あぁ、やっぱり会社の犬なのね、と肩を落とす俺。部署の他の社員も呆気にとられながらこちらを見ていた。
「まぁ、いいじゃないっすか、猿渡! 結構まぁ美人みたいだしさ!」
同僚の須原。お調子者で厄介ごとを持ち込む男。彼のトラブルムーブにより、俺はまさしく社畜中の社畜となった。コイツと関わるとロクなことがないが、まぁ、なぜか憎めないやつだった。
「猿渡君! お見合いは今日の夕方だから、ささ、早く仕事片付けて準備しなさい!」
「今日!? 急すぎやしないっすかメガネ部長!?」
「メガネじゃなくてメガなんだが・・・しかも、なんで須原君がツッコムの、そこ」
「…あ」俺が話そうとした途端、間髪入れずに須原が割り込む。
「猿渡は無口っすからね! これは俺も同行しないといけないっすね! メガネ部長!」
「ちょ」再び、間髪入れずに、今度はメガネ部長が割り込む。
「だれがメガネハゲだ万年隅っこ族! キサマの失態で我が社はもうアレだ、アレだったんだぞコラ」
「まっ」再々、須藤のターン。
「ハゲなんて言ってないっすよ部長~。もう、そそっかしいっすね! あははは! …あ、あれ、俺万年隅っこなんすか?」
パワハラ部長とトラブルムードメーカー須原の日常会話。そして、それに挟まれたじろぐ俺! それを苦笑しながら見る他の社員…お願いだから、助けてくれ。
「ま、もう3時だし、今日は早く上がっていいぞ猿渡、私もちょっと書類片付けたらすぐ行くから」
「わかりました! じゃあメガネハゲ部長、また明日っす!」
「いや、お前は仕事しろよ!!」満場一致で須原にツッコミが向けられた。
それにしても……お見合いとは。
ありがた迷惑な話だけど、今の自分にとって、何が必要なのか漠然と感じていたことでもあった。恋をして結婚して家庭を持つ。俺に許されるのであれば、俺の求めていた“平凡な日常”を享受したい。そう思うと、少し握る手に力が入った。




