Chapter.19 「栄光と奈落」
無個性という名の個性――それは、あのじいさんとの出会いによって、覆された。
俺の生きる世界に個性なんて要らない。
ただ、影として、栄光に照らされ、賛美された者の裏を歩んでいく。
それが俺だった。
――なぁに、影だろうが、光だろうが、そんなことは関係なかろう。
これが現実だったら、どれだけ楽しいんだろうと、かつて願っていたのは自分だ。ただ、誰よりも、強ければよかった。
――“成りたい自分に成ればいい”。
それでも弱かった自分の闇に――。
――お前さんが成ろうとしたその先に、何が待っておるのかは…。
――お前さんの“明暗”次第じゃ。
光が照らされてしまったその日から――。
――“犬コロ”。
俺は迷い始めていたのかもしれない――。
雨が降っていた。
誰の心も、この雨は癒せなかった。ただ、対峙する二人の渇いた心だけが、潤っていく。
決して出会うことのなかった光と影――。
リゲルは、朧げな視界の中に、白銀の甲冑の男と、黒衣の暗殺者が向かい合っているのを見た。「セイレン様…」声にならない声が漏れたが、リゲルはそのまま意識を失った。
「…よぉ。久しいな。」
「……あぁ」
「…随分と余所余所しいな、まぁ、俺にとっても不思議な気分だが」
「……あぁ、本当に、不思議な気分だな」
お互いの視線は、全くぶれることなくお互いの目を直視していた。
金属音は突然鳴り響いた。お互いの剣とカタールが互いを削り合う摩擦が、ジリジリと響いていた。それは、同時に、互いへの遠慮や躊躇がなく、一心に滅殺しようとする反映だと伺える。
雨は風をも呼んでいた。
風はどこからか周囲に人を集めていた。いつの間にか、ミリヤたちは森の入口付近の森までたどり着いていた。
猛攻と猛襲の交錯――広範囲にわたって繰り広げられる白銀の甲冑の英雄と、黒衣の猟犬と呼ばれた暗殺者の死闘。あまりにも桁外れな戦いに、彼らはただ見守るしかなかったのだろう、離れたところからこちらを見つめていた。
俺は大振りに剣を振るうと、オルトロスはバックステップで距離をとった。オルトロスのクラスであるトリックスターは、近接攻撃では最速の手数と、対人戦闘において特化されたスキルを有しているため、接近戦での部はこちらが圧倒的に悪い。ならば、と、俺はスキルによる猛攻を始めた。
「"猛攻突破"‼︎」
剣を振るう。振るった剣から衝撃波の斬撃が放たれる。こちらの放つ遠距離からの斬撃が、バックステップでの着地のタイミングを捉えていた。オルトロスは身を空中で半回転させ、斬撃を回避した。衝撃波はオルトロスを掠めた。
「…くっ」
オルトロスの態勢が崩れている――! 俺はこのチャンスを逃さずべく再び"猛攻突破"を連発した。縦横に放たれる衝撃波の斬撃――オルトロスは態勢を崩しながらも、常人では到底成し得ないほどの靭やかさで斬撃を悉く躱していく。俺は、オルトロスを牽制していた。もちろん、距離を詰めさせないためだ。迂闊には近づけない上に、近づけさせられない。もし、近づけさせてしまったら……昔の経験から、パターンは熟知していた。
オルトロスが反撃に出る。
「……"制約解除"、"隠匿の刃"」
制約解除…武器性能・効果を限界まで引き上げ、更に武具の攻撃力を高め、隠匿の刃…残影の隠し刃を複数枚召喚し、一度に重複攻撃を行うスキルだ。
これらのスキルは一定の限られたごくわずかな時間でしか効果はない。しかし、武器性能・効果が限界強化された場合、追加効果で毒状態にすることのできる武具であれば、ほぼ100%の確率で相手を毒状態にすることができる。そのうえ、重複攻撃を受けることになり、回数はランダムだが、一度の手数で3倍、4倍のダメージを与えられる。これだけでも食らってしまえばひとたまりもないのだが――。
「……“死を司る刀舞”《デッドリースカーレット》"」
盗賊職系最上位職の乱舞型攻撃スキル……不規則な動きから繰り出される連続攻撃を放つスキルだが、補助効果も相まって、文字通り、一度受けてしまえば即死級の攻撃だ。連携されたスキル運用――乱舞系の攻撃であるが故に、数多くの手数を回避しなくてはならない。そのうえ、一度躱したとしても、重複攻撃を喰らう可能性もある。そして――どの攻撃でさえ、たった1回掠めた程度であれ、ジエンドだ。
なぜなら、オルトロスの持つカタールは、“即死効果”を秘めているのだ――。
「…躱しきれるかね――? …英雄殿」
オルトロスの乱舞攻撃の初手が繰り出されようとしていた――。
幾百もの腕によって蹂躙するがごとく舞くる猛襲、ならば――その全てを見極める――!!
スキル——"完璧なる注視"、"洗練された洞察"‼︎
完璧なる注視は、自分の意識下の体感速度を遅めることにより、周囲の行動や流れる時間が一定時間スローにさせるスキル。しかし、それでもこのスキルでオルトロスの攻撃を完全には捉えきれない。それほどまでに、オルトロスの繰り出すスキルコンボは卓越した技だ。目には追えても身体がついていけないならば、視認できた技を回避するスキルを用いればいい。それが、洗練された洞察だ。一定時間視認できた攻撃を半自動的に回避することができる——!
オルトロスの乱舞猛攻——その一振りで何重にも重なる腕が俺を切り裂こうと迫る。一つずつ、連続して、縦、横、斜め、死角、あらゆる方向から襲い掛かる死の一撃を躱し、受け流し、剣でふり払う——。
俺の使ったスキルの効果時間が先に尽きようとしていた。
このスキルは連続使用ができないため、重複して使うことができないが、オルトロスの攻撃が止む気配がない。
俺のスキルの効果時間が切れた。
剣を構えて身構える俺に、オルトロスはその首目掛けて、体を回転させながら、命を刈り取るようにカタールを振るった。
俺は剣を逆手に構えていた、もちろん、今度は反撃をするためだ。
「“煉獄之波動”――!!!
オルトロスの一刀が触れるか触れないかのタイミングで、俺のスキルを発動させた。俺を取り巻く周囲数メートルは、このスキルの効果範囲だ。近づけさせてはならないが、万が一近づかせてしまったとき……自分の領域から外に追い出せば良いのだ。
全身全霊をもって地面に剣を突き立てる。剣から放たれる波動と衝撃が、オルトロスを弾き飛ばし、そして、斬り裂いた――。
「…すごい、あの猟犬を、圧倒しているだなんて――」
遠くから見ていたアリアはそう呟いた。
「当然ですっ!」と言わんばかりに、クエスは胸を張って威張っていた。「別にあなたが戦っているわけじゃないのに…」と、アリアは呆れ顔と苦笑でクエスを見つめていた。視線を戦っている二人に戻しながら、「これは、いける…このまま押し込んで、止めをさせば……!」と、再び呟いた。
「…果たして、そうでしょうか……。」
しかし、不安そうにつぶやく、ミリヤの姿がそこにあった。剣を両手で抱き抱えるように握り締め、固唾を飲んで見守っていた。
「それは、どういうこと?」アリアは眉をひそめて訪ねた。
「……。」さっきまでの威勢が嘘のように、クエスも萎れていた。
ミリヤは、不安と緊張感を入り混ぜたかのように、重そうな雰囲気で言った。
「あの、猟犬とか言う人……全然ダメージを受けているようには見えないんです」
“煉獄之波動”を受けた一瞬に、オルトロスはスキルの発動をキャンセルしカタールで斬撃を防いでいた。さすがに衝撃には耐え切れず吹き飛んだものの、大したダメージには至らなかった。
……むしろ、ダメージを受けていたのは、俺の方だった。
「ぐっ……おまえ、防御する瞬間に、毒牙のナイフを……!」
全神経を攻撃に注いでいた俺は、不意に飛んできたナイフに気づくのが遅れてしまっていた。直撃は免れたが、右腕を掠めてしまっていた。
全身を、じわりじわりと倦怠感が、襲う。
自分の体力も、心も蝕むように、傷口から見えない手で体中を縛られているかのように、動きが鈍くなっていった。
その男は笑っていた。ニヤリ、と、既に勝ち誇った表情を見せながら、下目使いに俺を見ていた。そして、ゆっくり、ゆっくりと、俺との距離を侵食してくる。近づいてくるたびに、その一歩一歩が重い一撃のように感じられた。それが、自分の目の前に立ったとき、俺はほとんど動けない体で、剣を振るってみたが、握力が効かない右腕は、その剣を既に地に放ってしまっていた。
オルトロスは眼前に立ち、俺の周囲を回りながら、見世物を興味深そうに眺めるような感じで、俺を見ていた。
しばらくして観察をやめると。俺の頭を掴み、笑みをこぼしながら話し始めた。
「…まさか、自分で自分を殺す日が来ようとはな」
風が通り抜けた。
突風に近いほどの風が吹き荒れ、森の枯葉を勢いよく吹き飛ばしていった。
雨交じりの暴風が、彼女たちにとって衝撃的な事実を運んできたのだった。
「――自分で、自分を…?」
アリアはその言葉に反応してしまった。
クエスは口を閉ざし俯いていた。
ミリヤは茫然として、ただ対峙する二人の男を見つめていた。
セイレンもまた、口を噤んでいた。
オルトロスだけは、饒舌に語りだしていた。
「…その通りだとも、諸君。俺は、この男が生み出した一番最初の自分だよ」




