Chapter.18 「奈落の死神」
クリーマ・アン・ターリアのスキル“感知遮断”は、オルトロスの“気配遮断”と似て非なるものである。
姿を見えなくし、気配を悟られないようにする“気配遮断”と比べ、“感知遮断”スキルは、姿は見えるものの、遠隔的な感知を無効化し、敵に悟られなくする狩人職のスキルである。
オルトロスはクリーマの弓技に反応が遅れたばかりか、その身を掠めた。これまで幾人がその身に刃を触れさせようと懇願し、地に伏していったことだろう。クリーマは、文字通り一矢報いる功績を築いた。そして、そのオルトロスに追撃を与えるべく、リゲルもスキルを発動した。
――“閃光突破”!!
リゲルから繰り出される閃光の居合抜き――。
オルトロスはまともにその剣技を受け、その場に倒れた。
「――やった、のか……?」
全くもって動かない体。ただ地に伏して、静けさを保っていた。
いつの間にか、雨が降ってきた。
雨は地上を潤している。森の入口は、木々の背が低いものが多く、雨を防ぐには適していない。
降り注ぐ雨は、戦いの傷を癒すには少々その身に堪えた。
余韻が包み込む。
ややあって、クエスティナ・レインズから通信が入った。
『リゲル様――アリア・スティンフェンリル様が、聖殿にて五行宗星のイグニス・メラフレアを撃破。街を襲っていた|火を司る五大精霊の守護者《フィフスエレメンタル・ガーディアン・オブ・ファイア》は、英雄、セイレン・アルージェ様により撃破された模様です』
『そうか…彼が動き出したか……』
力んだ体を緩め、剣を支えにして膝をついた。
念のため、クリーマにはオルトロスを狙わせている。
『それで、セイレン殿はどちらに…?』
『――申し訳ございません。セイレン・アルージェ様についての感知は不可能でした』
オルトロス同様、こちらの神器ですら感知できない英雄の存在。
先日、レインズによる死の幻影種の反応が消えた時、その場にいたのは二人……しかし、戦っていたはずのもう一人の存在が、感知できなかった。
これが、オルトロスでないことは予測できた。
オルトロスであれば、自分に関係のない戦いをわざわざするはずがない。まして、初心者エリアにオルトロス本人に用があったとは思えない。
とすれば――残る選択肢は、別の人物。
その人物が英雄セイレン・アルージェであることは、つい先ほど知らされたばかりである。
部下の二人が酒場で出会った白銀の甲冑の男――その男こそ、セイレンだったのだと確信したのは、先刻の王都“掲示板”地下での事件。
アリアが地面に剣を突き刺した跡を発見したのを聞き、彼の捜索を命じたのである。
自分の任務、つまり、オルトロスと接触し、“魔笛の奏者”との繋がりを暴くこと。上手くいけば同士打ちをさせることが失敗した場合に、最後の砦となりうる人物を立てるため。
見知らぬ英雄に、王国騎士第六士団主席のリゲルは、世界を託していたのだ。
もちろん、賭けであることはわかっていた。
それでも、賭けざるを得なかった。
アリアがこの地に来ているということは、接触に成功したということ。
その上で、何か事を成しているに違いない。リゲルはそう確信していた。
「…さあ、起きてもらおう。猟犬殿。貴方がこの程度で破れるとは最初から思っていない」
剣を伏している背中に突きつける。
黒衣の男は、それでも動かない。
リゲルは止めを刺すことにした。
オルトロスを跨ぎ、剣を両腕で逆手に持ちながら、その首元を目掛けて剣を振り下ろした――。
ドスッ―――。
リゲルの剣は、地面に突き刺さっていた。その場にオルトロスの姿はない。
さっきまで視認していたはずなのに、目の前から忽然と消えていた。
遠く離れた木の上から、クリーマは弓を構えていた。
「なんやて…消えた!! 一体どこへいったんや…!!」
その背後に、黒い影が現れていることに、クリーマは気づいていなかった。
首元に暗殺用短剣がピタリと付いた時、ようやく認識できた。
死神に抱かれるかのような恐怖――絶対的な死を覚悟させる者。
小刻みに震えたまま、クリーマは身動きが取れなくなった。
影の主は自分の左肩に視線を落とした。弓矢によって掠めた傷である。
その視線を、クリーマの弓に向けた。
「お前の弓が、この腕を傷つけたのであろう?」と、発してもいないのに言葉が聞こえた気がした。
緊張に震える息遣いを聞くように、クリーマの左肩にオルトロスの顔が乗る。まるで生気を吸い取るかのように呼吸をすると、その耳元で囁いた。
「…借りるぞ」
緋色の瞳が遠く、青髪の騎士に視線が向いたのと同時に、首元を裂かれ、血を噴き出した女の体が地面に落下していった。
オルトロスは滴る血を払いのけるように右手を振るうと、再び影の中に消えていった。
『――おい、クリーマ…!! 応答しろ!!』
あからさまに狼狽するリゲルに向かって、背後から何かが急速に接近していた。
『――リゲル様』
クエスティナ・レインズの声を聞きながら、振り返り様にその礫を切り裂こうとした――。
『――クリーマ・アン・ターリアの生体反応が、消えました』
「!?」
その言葉と共に、剣がソレに触れるかの刹那、リゲルは自分に向かって飛んできた礫の正体に気づいた。
――クリーマ……!?
頭部はその剣によって切り裂かれ、切り裂かれた頭部は、森の茂みに消えていった――。
「…俺は、部下の、首を……斬ったのか――?」
絶望感に、闘志を削がれた男――。
彼に忍び寄る影はその男を捉えると、かくも無慈悲に、その首目がけてカタールの刃を振るった――。
雨の降る森の中で、金属と金属が交叉する音が響いた。
立ち尽くす青髪の騎士。その背中を守る、青い短髪の剣士――。
恰幅のよい男がリゲルを攫うと、数十メートル離れた場所で、リゲルを座らせた。
リゲルは精神を失ったように、ただ、茫然としていた。
「しっかりしてくれよなぁ、第六主席さんよぉ!!」
カタールを受けるジェイドの剣。
湾曲があるのを見ると、刀の一種であろう。
細身でありながら、美しい曲線を描く黒身の刀。刃渡り六十センチメートルほどの刃を振るい、オルトロスと対峙していた。
カプリコはリゲルに回復薬を飲ませた。
傷は消えたはずだが、心はどこかへ行ってしまったようである。
「ボス! しっかりするのである!!」
金属音の響きは、長くは続かなかった。
代わりに、ジェイドの苦痛に悶える声が、雨とともに響いていた。
それを見て、カプリコはリゲルを木に寄りかからせると、大剣を構えて、戦場へと馳せた。
「(……やめ、るんだ…おま、え、たち……)」
薄らと留めていた意識の中で、リゲルは朧げな視界に手を伸ばしていた。
伸ばす、というには、あまりにも力はなく、指が数本浮いた程度であった。
霞む視界の中で、部下たちは次々に、戦場に沈んでいく。
ジェイドは剣を折られていた。右目を斬られ、下腹部から血を流し、崩れていった。
カプリコは大剣を力任せに振るっていたが、軽くあしらわれ、今まさに首を絞められながら引きずられている。
奈落から死神を連れてきたように、触れたものを全て死に至らしめる暗黒の殺人鬼。
もはや、猟犬と呼ぶにはあまりにも狂気じみており、狂犬と呼ぶには真っ直ぐな目をしていた。
その視線の先にある死を見つめて、緋色の瞳はリゲルに歩み寄ってくる。
途中でついに息絶えたカプリコの首を片手でへし折ると、ゴミのように捨てた。
「(ジェ…イド……カ…プリコ……クリー…マ……)」
三人の部下の死は、リゲルを更に絶望の淵へと追いやっていた。




