Chapter.9 「眠れる獅子」
「魔笛の奏者の宗師、レーヴェ・クリュエルを、暗殺していただきたい」
再び、重たい沈黙が起こった。
重たい沈黙が続いて間もなく、入口の方から拍手の音が聞こえてきた。
「よくそんな思い切った決断ができたものだねぇ。僕が想定していた37通りの行動パターンの中でも、かなり下位の決断だよ、ね、オルトロスちゃん」
背格好の低い、仮面をつけた、黒いローブを纏った者が、不気味なほど朗らかで穏やかな声を発した。それと同時に、隠し持っていたナイフを、入口にいた騎士に勢いよく振りかざした。騎士は瞬時に剣を構え、そのナイフを受け止めた。受け止めた時の金属音は洞窟内に激しく響き渡る。同時に、凄みのある衝撃が走った。
それとほぼ同時に、オルトロスの部下は、勢いよく血を噴き出し、その場に崩れ落ちた。
「おぉ、騎士団ってのも、なかなかやるもんだねぇ。見直したよ」
「くっ・・・なんて力だ・・・」
仮面のナイフを弾き返し、騎士はリゲルの元へ駆け寄った。
「リゲル様、ご無事で?」
「あぁ、オーティス」
「貴様・・・何者だ!」
オーティスが大声を上げると、仮面の者はナイフをクルクルと回転させながら、オルトロスの傍に歩み寄りながら答えた。
「・・・レーヴェ・クリュエル。君たちが死んで欲しくてたまんない相手だよ」
「・・・何故ここに来た、レーヴェ」
「連れないなぁ。ヘルメスの猟犬と第六主席の歴史的対面だよ、立ち会うべきでしょうに」
オルトロスとレーヴェの様子を見て、リゲルは全てを察していた。
「オルトロス卿、貴方やはり・・・!」
「そうだよぉ、僕たちとヘルメスは、まさに一心同体。君たちが来るよりもはるか前に、僕たちは組んでいたんだよ。そうだなぁ・・・数ヶ月以来、の盟友とでも言っておこうかなぁ」
数ヶ月前。オルトロスが再び姿を現した当初から、“魔笛の奏者”と繋がっていたことになる。完全にアテが外れていた。特務機関が動き始めるには、既に手遅れであったのだ。
「リゲル様・・・お退きください、ここは・・・!」
「・・・そういうわけには、いかない」
リゲルは剣を構えた。
「ほぉほぉ、やる気、みたいですねぇ、オルトロスちゃん」
「・・・気安く名前を呼ぶな」
「やはり、というべきでしょうかオルトロス卿・・・こうなることは、予期していました。この場所は既に、王国特務機関第六士団が包囲しております。大人しく観念していただきたい」
灰色の逆立つ髪に黒い衣を身に纏う暗殺者。その素性は誰も知らず、その技は誰も見切れず。緋色の瞳に魅入られたものは須らく生きて帰らなかった。
その伝説の殺し屋が、素直に大人しく観念するなどするはずはない。むしろその逆である、絶対的な死を背景に動き出そうとしていた。
「うおぉぉぉ!」
オーティスは真っ先に動き出していた。このまま死を待ってはいられないと考えたからである。即座に敵の懐に飛び込み、右下から袈裟薙ぎの一刀を放った。
オルトロスはそれを左足で止めた。剣を振り切るその直前に、柄を握る拳を足で受け止めたのである。オルトロスはそのまま動かず、リゲルを真っ直ぐに見据えていた。残念ながら、オーティスは全く相手にされていない様子であった。
「ぐっ・・・!」
オーティスは体を半回転させ、今度は左薙ぎの攻撃を仕掛けた、が、振り向きざまにオーティスは、いつの間にか眼前に立っているオルトロスの姿に気づいた。こう近づかれては、剣先が敵に当たることはない。そう判断し、身を退こうとしたオーティスの両腕が、突如空中に舞った。大量の血飛沫を吹き出しながら。
何が起こったのかと、現実を認識できないまま倒れ掛かったオーティスの、鎧の襟元部分を掴み、リゲルはオーティスを後ろに引いた。オルトロスの暗殺用の短剣が、オーティスの眼前紙一重のところを空振りしていった。しかし、その斬撃の鋭さがオーティスの顔に傷をつけた。
オーティスを後ろに引いた反動を利用して、リゲルはオルトロスに攻撃を仕掛けた。
このタイミングで攻撃を受ければ、オルトロスはこの攻撃を紙一重で躱すしかない、本当の狙いは、躱した後ろにいるレーヴェである。全身全霊を込めて、リゲルは剣を一直線に、オルトロスへ突き出した――。
リゲルの剣撃が凄まじい衝撃を生んだ。強烈な突進により、とてつもない破壊音とともに、壁と隠し扉が吹き飛び、逃走用の隠し通路が顕となっていた。
これほどの威力のある剣撃を差し向けて、リゲルは冷や汗を流さずにはいられなかった。オルトロスに躱されたにせよ、レーヴェを仕留め損なったにせよ、少なからずダメージを負わせるには十分な攻撃だと思っていた。
「・・・オルトロス卿。やはり、貴方は一筋縄では行かないようだ」
リゲルがオルトロスへ剣を突き出した一瞬、躱すのと同時に剣撃をカタールで弾き、矛先を、全く別の方向に変えられていた。もちろん、レーヴェを掠めることすらできていない。
「ここは、一旦退くしかないようだな・・・」
リゲルは近場の壁を攻撃し、砂煙を巻き上げ退散した。
「あれれ・・・特務機関の、仮にも士団長が部下を残して逃げていくなんてねぇ」
「・・・そいつは捨て置け、どうせ助からん」
両腕を失い、顔まで傷つけられ、悶えに悶え苦しむオーティスに、オルトロスは視線を落とし、「・・・だから雑魚など連れてくるなと言ったのだ」と、言った。
「オルトロスちゃん、どうするの?」
「・・・さぁな、《《想像にお任せしよう》》か」
オルトロスがそう答えると、レーヴェはピクリとして、急に動きを止め、妙な雰囲気に変わった。
「想像に・・・任せる・・・?」急に声色が変わった。
「ボクは頭がいいからねぇ・・・ボクの想像に任せられるとね・・・頭が一気にフル回転して想像が止まらなくなんだろうが!!」
オルトロスはレーヴェの豹変っぷりを意に介そうとせず、隠し通路へと歩き始めた。
「あーーーーー!! 頭が痛い・・・! てめぇ、どこ行く!」
「・・・一生やっていろ、脳髄ぶちまけるまでな」
オルトロスはレーヴェに視線を向けることなく、黒洞洞たる洞窟を進んでいった。
「あいつ・・・わざとやりやがったなーーー!! ちっきしょおおがぁぁぁ!!!」
レーヴェの叫びは洞窟内に虚しく響き渡った。
「ぐっ・・・ここで・・・死ぬわけには・・・」
必死に地面を這いつくばって、入口から逃げようとしていたオーティスを、狂った形相のレーヴェが見つけた。
「あはは・・・イイコト思いついちゃっタ」
レーヴェは、逃げようとするオーティスの背中に跨った。そして、徐ろに“魔笛”を取り出すと、狂乱の笑みを浮かべながら、「ねぇキミぃ・・・いっちょ、モンスターになってみないぃ?」と、不気味なまでに朗らかな声を、オーティスの耳元で囁いた。そして、魔笛を吹き始めた――。
隠し通路の出口は、森の中だった。リゲルは坂道を一気に走り抜け、森の中に身を隠した。
「くっ・・・オーティス・・・すまん・・・」
身を隠しながら、オーティスは追っ手を警戒しながら、追跡者と戦うための準備を画策していた。不穏な雰囲気が森全体を震わせていた。獣達が、鳥達が、自らの危険を察知して飛び去る。野生の本能さえ刺激する、獲物を射殺さんとする威圧感が、洞窟の出口から漏れ出ていた。
「このままでは・・・まずい・・・」
陸路の森には、数多くの冒険者や商人たちが通っている。
眠れる獅子を起こしてしまったのだ。下手をしたら、凶悪なモンスターよりも質の悪い鬼との戦闘に巻き込んでしまうかもしれない。こんな悪鬼を放ってしまった後悔が、自分の力で対処できると慢心していた思い込みへの羞恥心がこみ上げていた。それらを胸にしまいながら、冷静に、この場をどうにかしなければならないという使命だけが、リゲルを支えていた。
その矢先、追跡者が洞窟の出口からゆっくりと出てきた。空間を澱ませるほどの殺気を放ちながら。
「――・・・ヘルメスの諸君に次ぐ。森に迷い込んだ客を始末せよ。王国騎士団、並びにそれに準ずるものも皆、抹殺しろ」
オルトロスは何か独り言を呟いていた。しかし、リゲルには、その呟きの正体が何かわかっていた。自分だけではなく、第六士団全員で取り掛からなければ、事態はとんでもない方向へ動いてしまう。
リゲルは何かを決意したかのように、呟いた。
「――第六主席、リゲル・ウィンズ・バルドだ。コマンドを要求したい。至急第六士団全員へ伝令を繋いでくれ」
――クエス。




